八咫烏の歴史を紐解く🌈
日本神話にも登場する三本足のカラス『八咫烏(やたがらす)』。
現在も、『熊野三山』と呼ばれる和歌山県の聖地である三社(『熊野本宮大社』『熊野速玉大社』『熊野那智大社』)では、八咫烏で描かれたカラス文字の護符『熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)』が授与されています。
熊野牛王神符は、三社それぞれ意匠が異なります。
こちらは、現在、熊野速玉大社で授与されている護符です。48羽の八咫烏で書かれたカラス文字は、『熊野山宝印』という言葉を表しています。
熊野牛王神符は、強い力を持つ護符として、病気平癒や災難除けなど、人々の篤い信仰を得ています。
これほど神聖視されている八咫烏とは、一体どのような存在なのでしょうか?
我々の祖先は、文字で会話をしていたのではなく、図絵を用いて会話をしていました。
図絵が共通言語の役割を果たしていたんです。
その図絵を用いて、文字を形にしたものは、神の力が宿っているとされ、疫病や自然災害など、目に見えない厄災から身を守ってくれると信じられてきました。
それが、護符の役割。
熊野牛王神符は、それだけ強い力を持っているんです。
日本最古の古文である『古事記』に、八咫烏の歴史が書かれています。
九州・高千穂に生まれた神の子孫であり、後の神武天皇である『神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)』。
彼は、卑弥呼の後、統治者となる人物です。
天の神のお告げにより、
「人々が安心して暮らせる秩序ある国にするため、日本を統一する」
このように決意し、兄とともに軍勢を率いて、現在の奈良県中部にあたる『大和橿原(やまとかしはら)』を目指します。
そこから、長い年月をかけて、ようやく紀伊半島の『熊野の地』にたどり着きます。
ところが、深い山をかき分けて進んでいる途中、巨大な熊に遭遇します。
その熊は、ただの熊ではなく、熊野の土地を支配する『荒ぶる神の化身』でした。
勇猛な兵士たちは、恐れることなく、熊に立ち向かいます。
しかし、熊の全身から放たれる毒気によって、その場にいた兵士たち全員、体に力が入らなくなり、倒れ込んでしまいます。
神武天皇も、身動きが取れず、地に伏してしまいます。
そこに現われたのが、熊野に住む『高倉下(たかくらじ)』という人物でした。
彼は、神々からのお告げを頼りに、一振りの神剣を手に入れ、倒れ伏していた神武天皇に手渡しました。
神剣を受け取った神武天皇は、体に力がみなぎるのを感じたんです。
その瞬間、熊は、地響きを立てて倒れてしまいます。
軍勢も正気を取り戻し、一行は、剣をもたらしてくれた神の力を讃えました。
この時、天空から現われたのが、『八咫烏』です。
八咫烏の『咫(あた)』は、長さの単位で、1咫あたり親指と親指と中指を広げた長さ(約18cm)になります。
つまり、8咫の烏は、体長約144cm。
そんな大きなカラスが、バッサバッサと真っ黒な羽を広げ、神武天皇の目の前に飛んできたんです。
今後、一行が、熊野の山中で荒ぶる神に害されることがないよう、先立って神武天皇を導いたということです。
八咫烏の先導を受けた神武天皇は、無事、大和橿原にたどり着き、国の統一を成し遂げました。
ここから、天皇を中心とした『中央集権国家』が生まれ、『日本』と名乗りを上げることになります。
まさに、日本という国の始まりであり、日本最初の都である『藤原京』が橿原の地に造営されたきっかけでもあります。
ここから八咫烏は、天皇家を守る役割を担うことになるんです。
JFA(公益財団法人日本サッカー協会)のシンボルマークにもなっている『八咫烏』。
神武天皇の故事に習い、現在も「勝利を導く神の使い」として、人々の崇敬を集めています。
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