渡来人の最大勢力の一つ!秦氏が日本の歴史を紐解く重要な血筋だった🌈
旧約聖書に記されている古代イスラエルの部族のうち、行方が分かっていない10の部族『失われた10支族』。
かつて日本にも渡来したとされている部族です。
そんな彼らには、このような逸話があります。
「ある日、失われた10支族が渡来し、日本人にユダヤ文化を広めた」
共通点が多いことで知られる『日本人』と『ユダヤ人』。
この説は、ある一族の歴史から紐解くことができます。
それが、日本でかつて『秦氏(はたし/はたうじ)』と呼ばれていた一族。彼らが、この失われた10支族の末裔だったのではないかと言われているんです。
秦氏は、第15代応神天皇の時代(4世紀後半)に、大陸から渡来してきたとされている一族。
この時、数千人、数万人もの人々が渡来してきたと言われています。
その一部は奈良に、多くは京都に移動しましたが、雄略天皇の時代(5世紀半ば)に、全員、京都に定住するようになりました。
定住後、秦氏は、日本で非常に有力な一族となります。
その証拠に、794年に作られた『平安京』は、この秦氏の力によって完成したと言われています。
そんな秦氏が本拠地としていた場所は、『太秦(うずまさ)』という地名が付けられました。
これは、アラム語での『イシュマシァ(Ish Mashiach)』から来ており、ヘブライ語で『ヨシュア・メシア』と発音する言葉。
ヨシュアは「選ばれた者」、ギリシャ語でイエス・キリストのことを意味する言葉です。
日本書紀には、この太秦(キリスト)を信仰する豪族として『秦河勝(はたのかわかつ)』と『秦大酒(はたおおさけ)』という人物が登場します。
秦河勝は、秦氏の族長を担っていた人物。
聖徳太子にも影響を与えた人物で、弓月国(中央アジアにあった古代の国)からやってきた帰化人であったと考えられています。
秦河勝が弓月国から持ち込んだとされる『胡王面(異国の王の面)』は、後に『伎楽面(ぎがくめん)』として、仮面舞踊劇『伎楽(ぎがく)』の舞台で用いられるようになりました。
この面は、ユダヤ人などの異国の人々の顔を表現しており、天狗のように鼻が高くなっています。
一方、秦大酒は、748年に大蔵長官となり、朝廷の財政に関与した人物。
秦河勝と同様、太秦を本拠地としていましたが、国内で勢力を伸ばすために、大分の『宇佐』に住むようになりました。一説には、宇佐を護るヤハダ神を信仰したことが、『八幡宮』の創設に繋がったと言われています。
八幡(ヤハダ)は、アラム語で『YHWDH』と書き、語源は『Yahawada』、これは失われた10支族の中のユダ族を意味します。
つまり、八幡は、ユダヤの語源でもあったんです。
八幡宮は、その後、712年に官幣社(朝廷の正式な神社)となり、現在まで受け継がれています。
秦大酒が大蔵長官になった749年頃から勢力を持ち始め、奈良の平城京に上京するとともに、全国に分祀が置かれました。
この全国4万6000千社以上ある八幡宮の総本宮が、発祥の地、大分県宇佐市にある『宇佐神宮』。
古くから皇室の崇敬を受けている神社です。
現在、秦氏の血筋を持つ、5つの家系が継承していると言われています。
彼らは近年、YouTubeなどのメディアにも積極的に出演しています。
日本人として、先入観なく様々な知識を蓄えておくことが、過去を受け入れ、未来を切り開くことに繋がりそうです😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈