バスに乗ってしまう習性
通勤通学にはじまり、ショッピングや会食などの用事のために、人はバスに乗って町から町へ移動する。電車やタクシーと同じで、バスも交通手段のひとつとして、人々をいろんな町へと運んでくれる。
いま読んでいる本「スバらしきバス」の著者、平田俊子さんにとってのバスは、ちょっと様子が違う。居酒屋の赤提灯に誘われるように、空き箱を見つけた猫がくるくると箱の中に収まるように、あの大きくて四角い乗り物を見ると、平田さんの足はバスのステップを昇る。そこには目的地など必要ない。なぜなら彼女にとってバスは、乗ること自体が目的なのだから。
ぼくも同じ性癖(バスを見たら乗ってしまうという習性)をもつものとしてこの本を手に取り、共感の雨あられの中、何度も読み返している。中野、高円寺、阿佐ヶ谷、吉祥寺、環七、青梅街道、五日市街道、早稲田通り、善福寺川… 中央線沿線の街に8年間住んでいたぼくは、これらの文字を見るだけで興奮してしまう。
東京はバスの街である。ぼくら(平田さんとぼく)には、カタツムリが歩いた跡のように東京の地図の上にあるバスの足跡がキラキラと光って見えている。そういう意味で東京はバスのテーマパークのようなものなのだ。
今日は立川での読書会に参加するためぼくは中央線に乗って西へ西へと向かっている。読書会のあとは高幡不動にある床屋で髪の毛を男前に仕上げてもらって、分倍河原の本屋さんにいく予定だ。立川駅、高幡不動駅、分倍河原駅、どの駅にもバス乗り場がある。大きくて四角い乗り物がドアを開けて待っていたらどうしよう。