ごめんよレディースたち
以前読んだ本「さよなら、男社会」尹雄大(ゆんうんで)著と「マチズモを削り取れ」武田砂鉄著は、男性性について考えるきっかけだったり、男性優位社会の現在位置を知ることができる本だ。この二冊を読んでぼくは何度も大きく頷いた。
ほくは50代の男だからこの日本社会では圧倒的な優位な立場に立っている。そんなマチズモ真っ只中のぼくですら、中年男性たちの言動や立ち振舞いに、いい加減嫌気がさしている。例えて言うなら、自分もタバコは吸うけど他の人の煙は嫌い、とかそういう感じに似ているのかもしれない。
今朝、通勤中にいつもと違う車両に乗った。今日から降車する駅が変わるので、それに合わせて乗る車両を変えたのだ。次の駅に着くと出口のところで邪魔にならないように一度電車の外に出た。そしたら駅のホームにいたスタッフさんが「4号車は女性専用ですよ」とぼくの耳元でささやく。間違えていた。ぼくは女性専用車両に乗ってたのだ。
ぼくは「あっ」と小さく声を出してすぐに隣の車両に移った。あたりまえだけど、とても恥ずかしかった。「ごめんよレディースたち、悪気はなかったんだよ」と心の中でつぶやく。恥ずかしさとは別の感情もあった。それは「なんだよ、女性専用って、ちっ! そのせいで、こっちの車両はオッサン専用みたいになっとるやんけ!」というような憤りの感情だ。失敗した恥ずかしさからくる逆ギレのようなものだが、これもぼくの本音なのだ。
女性専用車両が必要なことは分かっているつもりだし、そんな社会を作ってしまっているのは、間違いなく我々男性で、みっともなくて恥ずかしい社会だなと思う。ぼくだっておのれの男性性をコントロールして生活しているつもりだから、思わず心に浮かんだおのれの悪態に戸惑ってしまう。
コントロール? そうかやっぱりコントロールしないとダメなんだ。分かっていた。ぼくの中にある「マチズモ」は隙あらば顔を出そうとしてくる。もはやそんなもの必要ないと思っているし、捨てられるものなら捨ててしまいたい。でもそれはぼくの一部としてそこにある。
今日もぼくは男性性をコントロールして生活している。電車に乗ると向かいの男も両隣の男も股をガバッと広げて座っている。ぼくは自分の男性性をコントロールしているので、大人しく足を閉じて座る。そうやってぼくは自分の男性性を隠して生きていく。
中年男性に提案があります。オッサン専用車両になっても不快になりたくないので、みんなお行儀よくして、日頃から清潔感を意識して、できればオシャレに気をつかって、爽やかなオッサン車両で通勤しませんか。とりあえずそのマチズモを隠しておきませんか。