アメリカのシリコンバレー銀行の破綻から端を発して毎週のように出てくる金融不安。シリコンバレー銀行の後は、クレディスイス、そしてドイツ銀行。必死に信用不安を覆い隠そうと躍起になる政府や各国中央銀行。資本主義の綻びは限界を迎えようとしているのではないだろうか。中央銀行は根拠のない紙幣を刷りまくり、実体の無いお金を増殖させてきたけれど、遂にはその泡が弾けて資本主義もろとも、世界を瓦解させようとしているようにも感じる。
折しも、占星術界隈では冥王星が水瓶座にイングレスして、今まで当たり前だった古き体制が壊れていく期間に入ったことを予言してくれている。
私は最近よく考えているのだが、人はお金を理由に死ぬ人もいる。事業が失敗した、投資に失敗した、詐欺にあったなど、さまざまな理由でお金が無くなった人。借金を背負った人。その人たちの中には自ら命を断つ人もいる。これから、資本主義が瓦解していく時に、当てにしていたお金が紙屑となった人々は、悲観してどうなるのだろう?お金を信仰している現代人は、これからの時代なにを思う?
私の星座、太陽は水瓶座で月は蟹座で、シモーヌヴェイユと同じだそうだ。あのソルボンヌ大卒の才女が工場労働を経験してみたりして、社会の不条理をとことん考え抜いたヴェイユの精神が私の精神と深いところで共鳴している。私はどうしても社会の不条理が放っておけない。その点でどうしてもヴェイユと似たところがあると感じている。
この社会は、新自由主義が跋扈する、弱肉強食の社会である。お金を稼いだものが勝ち組の格差社会。お金がなければなにもできないように錯覚するような資本主義末期の現代において、お金に悲観した人が生きることを諦めてしまうものもいる。これからますます多くなることと思う。
私は江戸っ子の『宵越しの金は持たない』精神を尊びたい。生きることと、お金は別である。裸一貫で社会的にも何もない人、それでも楽しく生きている人。その人こそ、新時代の人類だ。
私の大好きな中沢新一のアースダイバーから江戸の精神を少しだけ引用する。
狩猟民のように、今日という日を精一杯生きて、燃やし尽くす。明日は何が起こるかわからない。あきらめの美学。富の蓄積ではない、欲望の増殖によって鈍くなるような鈍い生き方ではない、軽い生き方。場合によっては全財産を気分で困っている相手に贈与するような「いき」な生き方。下町人情の美学が、これからの資本主義が壊れゆく世界において、どれだけ尊ばれるべき生き方であろうか。
私の精神を高めてくれた尊敬する心の師匠、+Mさんが偶然にも書いてくれた言葉が、いまの私の言いたいことのすべてであったのは、とても素晴らしいことです。いつもながら勝手に引用させていただいて、今回の記事のむすびとします。