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本当は甘えたかった。【2000字】



「猫が甘えん坊なのは仔猫だから」という一説を検証するための一例。
 元ノラ、生後1年1ヶ月のサバトラ(メス)おかゆの場合。

 最近愛猫が膝に来なくなった。
 相も変わらずヒャーヒャー鳴き喚いては「構え」と主張するのに、近寄れば少し離れた所でゴロンと横になる。そうして大人しく撫でられている時もあれば、急に噛み付いてくる時もあるのだから、毎日ロシアンルーレット。刺激的な日々を享受している。
 そんな単なる乙女心に思春期をプラスした、いささか持て余さざるを得ないご意向は、脳みその足りない私にとっては尊大な謎であり、可能とあらばご教授いただきたいのだけれど、そんな考え知る由もなく、席を立てば寄ってきて、扉を隔てれば再びヒャーヒャー鳴き喚く。頼むぜ、おかゆさん。下僕は下僕でも忙しい下僕だーれだ。私―。(←ヒマかよ)

 一度聞いてみたかったことがある。
「信号の待ち時間を何かに当てているか」
 長くて1〜2分、その間ただ待つのか、それともそれさえ隙間時間として活用しているか。
 急いで通り抜けた黄信号。でも結局到着時間に大差はない。実例を挙げられた所で、それでも何となく得した気分、損した気分が生まれるのは、既に頭からまるっと時間に飲み込まれているが故なんだろうな。
 損得勘定。より多くの利を得るがため。利とは時間、その時間から生み出す価値。何ができて、結果何につなげるか。時間関係なく世界中に発信できる今、その一瞬と戦うがために時間にうるさくなる。細かくなる。ケチになる。かく言う私個人もチマい人間だ。
 でもじゃあそれが悪いことかと言えばそうではなく、単に個人の生き方、価値観ということでふんわり納得していたい。

 忙しい、というのは本当の話だ。
 平日帰って食べて寝るだけの生活は、全ての家事を休日に押し込め、掃除洗濯料理に至るまで、その日中にこなさなければいけないし、そうして合間にリコカツ見たり打ちっぱ行ったり書いたり読んだりすれば、いくら効率を上げてもなかなか隙間は生まれない。労働時間を見直せばそれなりに片付くであろう問題も、今の仕事を手放すつもりはない。そんな中、ヒャーヒャー鳴き喚くのだ。日々ヒャーヒャー言っているのはこっちである。

 お互い必死だ。
 自分の時間を確保したい猫VS自分の時間をいかに有効活用するか考える女。
 結果歩く女とついてくる猫の図が出来上がる。コロコロで狩りの練習をする猫。クイックルワイパーを追いかけ回す猫。ハンガーに齧り付く猫。キッチンで身を乗り出す猫。テーブルを拭く動きに合わせて爪を立てる猫(やめて)
 一目で分かる。この上なく効率的ではないか。これ以上ない位構っているし、本にゃんにとっても良い運動になっている。それなのにヒャーヒャーまだ喚く。今まで一緒にいたじゃないなんてぼやき関係なく、全力で主張する。
 仕方ないので腰を下ろすと、小さな身体は少し離れたところでゴロンと横になる。
 完全な仔猫じゃない。思春期。自我の芽生え。べったり甘えない個としての距離感。おかゆは

「もうお姉さんなんだからね」
 きっと思っている以上に私の言っていることを理解していて、きちんと話せば扉の向こうでも待てるようになった。それでもまだ仔猫が抜け切らない部分があって、その感情は波の満ち引きのように繰り返す。時間が経てば、不安になれば、甘えたくなれば鳴き出す。多分それは至って正常で、私だって成人式を終えたからと急に大人になれた訳じゃない。ただただ押し出されるように仕方なく、いつの間にかなってしまっていた。ある日突然押し付けられた役割に順応するなんてできなくて当たり前で、それならわざわざ口にすることでもなかった。

 おかゆは少し離れた所でゴロンと横になると、その伸びた身体のまま前足だけを動かした。やっと気づく。それは「ふみふみ」だった。何もない所でふみふみ。本当は甘えたいけど、お姉さんだから。きちんと大人になろうとしてふみふみ。寂しいとは言えなくてふみふみ。
 静かな時間が過ぎる。
 鳥の鳴き声がする。飛行機の近くを通る音がする。近所の幼児の声がする。音もなく前足だけ動かしていた君は、おもむろに顔を上げてこっちを確認すると寝返りを打つ。静かな時間が過ぎる。テレビの音に反応してそっちを向く。少しして視線を戻すと、じっとこっちを見つめていた。
 思い出す。何かを書いている時、机の足の間から見上げているのを。壁の角から顔だけのぞかせているのを。背後のソファーで丸くなっているのを。そうだ。いつだって見ていた。それと同時に見て欲しがっていた。
 何もしない時間。愛でるでもない遊ぶでもない、ただ同じ空間にいること。ただその様子を見守ること。私に動く気配がないと分かると、ようやく近づいてくる。近づいて、膝に前足を乗せる。顎を乗せる。本当は。

 気付こうと思えば気付けていた。ただ耳を塞いでいただけで。ただ見ようとしなかっただけで。
 膝から伝わるエンジン音。鼻づまりかと思うようなゴロゴロ音は、猫が満足しているときに出す他、元気に育っていることを伝えるために出す音でもあるという。元気に育っている、それこそが最も大切だというのに。

「おかゆ」
 声をかけると、返事をする代わりに耳を後ろに寝かせた。撫でて欲しい時、撫でやすくするために耳を後ろに倒すことがあるという。
 どうしようもない下僕は君の悲しみと引き換えに何度でも間違う。何度でも繰り返す。
 何度でも繰り返し道を正す。それは君相手だからできること。
 いつも待っていてくれてありがとう。


 ねぇ、おかゆ。




※参考:付き添い→時間、場所を共有すること。寄り添い→時間、場所、感情を共有すること(『認知症の人が見ている世界』より)






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