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【序】『80歳の壁』を貸そうと思われたことがうれしかった話


「これ、やっぱり返す」
 母親が差し出したのは未開封のシャンプー。以前私の髪を見ながら「何のシャンプー使ってるの?」と聞いたため、誕生日に購入してあげたものだった。付属のサンプルを使ってみたが、価値ほどの効果を感じられなかったという。
「お母さんには勿体無くて」
 贅沢に対する罪悪。多幸感に対する罪悪。身の程。
 押し付けるようにして返却しようとするもの。
 見えたのは「価値ほどの効果を感じられなかった」という思いではない。ハナっから見合わないと引け目を感じた自意識が、その商品を受け入れることを拒む様だった。
 慎ましく老いを受け入れる。果たしてそれは、本当に手本としてあるべき姿なのだろうか。

 母は決して若くない娘に「ナッツがいいらしいよ。モデルさんも食べてるとか」とアーモンドの大袋を手渡した(一体何年前の情報だよ)手の甲を見比べて「キレイでいいわね」と言う。そのこと自体、複雑な一方で羨ましくもある。いつの日か母と同じ年齢になった時、私にはそんなことを言える相手はいない。一人「あの時こんな気持ちだったんだ」とシワだらけの両手を見つめるしかないのだ。
 互いにないものねだり。
 そうとは知らない母は、ギリ女の風体が残る娘に、せめてもの価値を付与しようとする。まるで沼に札束を投げ入れるかのように。




 歳の離れた患者さんと雑談できないことがコンプレックスだった。
 学生の時バイトをしていた整形外科は、リハビリのために通う患者さんがメインで、そのほとんどが高齢者だった。当時±3歳くらいのコミュニティでしか生きてこなかった私は、器具を調整するにしても装着を手伝うにしても、定型の言葉しか出てこなかったのを覚えている。だから一緒に働いていた2つ年上の先輩が、するりと懐に入って楽しそうに話しているのを見ると、羨ましいと思うと同時にものすごく引け目を感じた。何をやっても「本当はあの人にやってもらいたいだろうな」と思っていた。あれから。

 一緒に働く人が手本だったこともあり、引け目を感じずに済む程度には話ができるようになった。大きく変わったのは相手に興味を持つようになったこと。5W1H。パーソナルを把握することで、何となく病気の方向性が見えることもある。
 そんな話をしていたからだろうか。ある日我らが看護チームリーダー(u野さんとする)が「80の壁って本があるんだけどね」と口にした。「歳をとるにつれてできないことが増えていく、そんな老いと向き合う」という内容を面白おかしく紹介した上で「貸してあげる」と言う。
 以前も『ライオンのおやつ』を借りたことがあった。毎月「ねこの気持ち」を貸してくれる人だ。同じテンションで言ったに違いない。それでも「80歳」にまだ全然届かない私にそれを貸そうと思ってもらえたことに驚いた。当たり前だが話しても通じない人に話はしない。1分からない人に3話す訳がない。u野さんは母と同年代だ。そんな限りなく彼女に近い本。

 私自身面と向かって本を勧めることはほとんどない。そのくらい人に本を勧めるというのはハードルが高い。だからこそu野さんが「この子ならきっと分かる」という何かを感じ取ったことがびっくりするほどうれしかった。びっくりしたついでに心に残ったものを2つほど記録しておこうと思う。


 啓発本嫌いの私が残すものだ。相当なイレギュラーだと思っていただいて相違ない。





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