どこにいようと【feat.メガネくん】
始まりはたぶんグリップの違和感。ほんの些細なそれを許容できるか否か。
たぶん「認識する」までには多かれ少なかれタイムラグがあって、だから心臓に近いところをかすめたところで、それもまた始まりは些細な違和感。
一度、二度、三度。
「それ」は認識するまで丸々一時間を要した、深いところに沈めてあった思い。
自分の幼さが嫌いだ。先走る感情。いい年した大人が5歳児に振り回される。けれどそれはオンタイムで制御できるものではなく、いつだって時間差で後悔に変わる。
手元からしたパン、という音。私が完全に5歳児主導に切り替わったのはあの時だった。
負えなくなる。私本体がぬいぐるみを抱えて見上げる生き物に変わる。
一つ、メガネくんのいるクラスのメンバーが2人居合わせたこと。
一つ、コーチが「組みたかったんだろ」と茶化したこと。
一つ、戸塚のサーブが完璧にエースを取ったこと。そして、
一つ、前衛としてアドサイドに立った時、身体の左側を抜けた打球。相手がサウスポーである以上、難易度はバックハンドに比べて低いものの、その弾道は、鋭さは、過去に見たことがあるものだった。
強張る。
この強張りは単に緊張によるものではない。
強張ったのは、心。
ななコとレッドが似ているように。
ナオトとひここが似ているように。
サーブだけとはいえ、戸塚はメガネくんにひどく似ていた。
私自身、サーブを引き受けた段階ではまだ理性が効いていた。本人だったら全部ダブルフォルトでもおかしくなかった。続くリターンは私がアドサイド。返らない。過去、サウスポーのサーブを一度として返せていなかったことを思い出す。それ以上にぎゅっと心が縮む。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
気温20度越えの中、感じたのは背筋が凍えるような寒さ。
すがるような、赦しを乞うような、
〈待って〉
止まらない背中にかけた声。
〈女の顔になってるぞー〉
果たして読む側として、私にとってのメガネくんはどんなカテゴリに分類されるのだろう。「片思い」「憧れ」「不可侵」「依存」受け取り方は人それぞれで、理解の仕方も任せる訳だけれども、いかんせん不思議に思う節はないだろうか。
例えばバケモノなら分かる。「受ける刺激の量がケタ違い」だから。オンタイムで消費するコマ以外に時間を割くのは、私にとってそれだけの価値があるから。けれどもメガネくんはバケモノではない。私と同じ一般人、むしろ一般人代表だ。少し例を足そう。
ななコと打ちたいと思った時、そうだな、目安として月一かなと思った。合間自分を成長させる時間が必要で、そのくらいが妥当。けれどもメガネくんとは基本数ヶ月に一度で不足を感じていない。都合と言っても、それだって正直コントロールできる。それだけ期間が空けば、かえって忘れてしまう可能性の方が高い。けれど、離れた点と点が消えることはない。それは消えないだけの何かがあるということ。
思い出すのは未就学児、父親に連れられて子供用バイクに乗るイベントに参加した時のこと。手元についたアクセル。暴走を制御するために、少し離れたところで正面に立っていた父親。力の加減なんて分からない娘相手に、マジもんの事故を起こしかねないそのイベントを、今でもはっきり覚えている。
自ら打っても、本気を出しても終わらない。ここに「マジで勝てん」という正面から打ち負かされる経験をしたのがメガネくんである。加えて男は、その上で私の気分を尋ねた。今日は打ち合いたいのか、続けたいのか、内容を変化させることで「初級のやさしさ」と「中級の緊張感」を同時に生み出していた。
包括。決して万能とは言えない男の、それは私に限って言えば理想の相手だった。思い出すのは、バイクに跨った私の正面に立った父親。
〈こんだけパカパカ打ち込まれたらたまらないよ。あんた相手にラリーできるヤツなんていないでしょ〉
男性にはプライドがあるから、本気を出してはいけないと言われた時のこと。今なら笑える。自分を小さく見せずに済む。
本気で甘えられる。メガネくんと対峙する時の私は、決まって純度の高い5歳児。パパーと言って甘える、バイクで突っ込んでいく女児。だから「見合うように」と背伸びしたところで、できることが増えたところで、その心だけは変わらなくて。
ただ褒められたかった。認められたかった。一方で、だから「上手くできなくてごめんなさい」と、相手が首を傾げるほどに怯えた。
そこから少しずつ成長して、ななコと向き合った時の私はちょうど高校生くらい。だから精神的依存度に差が出るのは当然のことだった。
いつだったかコーチが言った。「休む時は早めに言ってね」と。「今回2人断ったんだよね」と。コーチは知ってる。4ヶ月前、初めてメガネくんが私を呼んだ時のこと。だからわざわざ教えてくれた。
〈速水さん〉
いつだってたどたどきょどきょどしていたメガネくんは、その時だけは普通に会話が成立して、まるで普通の男の人みたいだった。元々アドリブが苦手なだけで、フォーマットを用意しておけばいいのかもしれない。
〈今度そっちにも行こうと思って〉
あの時、どうしてそんなことを言ったのだろう。
それは「待て」だった。
私の今行っているクラスでメガネくんに再会しない限り、私はもうメガネくんのクラスに行くことはできない。メガネくんを嘘つきにしてしまうからだ。そうして言い出した手前、メガネくんは何らかの弁明を余儀なくされる。だから何のことないように「こんにちは」と「ここで」言えるまで動けない。
3ヶ月。
3ヶ月で私のテニスは色味を増した。できることもやりたいことも増えた。でも。
こんな時底抜けの恐怖を感じる。全て思い込みで、全てハリボテで、本当のところ何も変わっていないんじゃないか。6年前と比べて、ソウさんと比べて、私は相応の成長ができていないんじゃないか、と。
普段不足を補う時、「ここをこうしよう」と改善案を立てる。けれどじゃあ「メガネくんと同じコートに立つ時の緊張感、恐怖感」に対してはどうしたらいいんだろう。味方になれば迷惑をかけたくないと縮こまり、敵になれば「勝てない」先入観にイメージを塗り潰される。それはいくら体力を補おうと役に立つものではなく、どう足掻こうとどうしようもない気がする。
私でごめんなさい。
メガネくんは責めない。同時に下手に慰めもしない。
だから赦しを乞うのか。でもじゃあ形だけ赦されたところで、納得できるとは思えない。そうして「本当は赦してなんかないでしょう」と真実を求めれば余計に拗れるだけ。
容量7割。
変わらないなら残りの3割を圧縮するしかない。圧倒的燃費の悪さ。けれどそれ以外に道はなくて。
手元からしたパンという音はガットの切れた音。
張り替えの期間を尋ねたコーチは、答えを聞いて「よくテニスをしている人間だ」と評した。
まだ間に合う。まだ来ていないのだから。するべきは「想定」
本格的にサーブに力を入れ始めた時、いつだってビッグサーバーが味方前衛にいることを想定していたように。
結論「片思い」「憧れ」「不可侵」「依存」どれも間違ってない。だから全ての上澄みをさらってこねこねしたものに火をつければ一番キレイに燃えると思う。メガネくんも覚えているといいな。クロスラリーをしていた時の「決まった」と思った打球が全部返ってきた時のこと。相手も「まだ返ってくる」と思っていたなら。
まだ間に合う。
見るべきはボール。
まだ間に合う。