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ずっと聞こえていただろう(種②)【feat.ななコ】
4、実はこの話続きがあって、その後私が後衛に回ると、ななコは笑いながらボールを上げた。
驚く。
ぎこちないロブがベースライン一歩内側にバウンドする。返球。同じ弾道の球が返ってくる。色んな球種に出会って、都度自分を変化させる。もはやクセなのだろう。自分で「ポーチの練習をしよう」と言っておきながら、全然ポーチな要素ない。
何それ。
思った瞬間、脱力するのを感じた。それはある種の「しょうがない」
目の前の一球のために、いつだって必死だった。
自信がないこと以上に、失敗する自分を受け入れられなかった。
迷惑をかけるのが怖かった。そうならないように努力して、努力して、それは「ダメな自分は受け入れられない」と思っていたことの裏返し。ななコは、だから言ったんだ。「いい、打ってこう」と。一人で戦うな、と。何より、
ベースラインまで下がった前衛、その横顔。
ボールだけを見つめる。
俺は敵じゃねえ。
気づいてしまう。
〈受け入れる。この男の技術を、思いを。
少なくともその心だけは2年前と同じではなくて。
このこと自体、正しいか分からない〉
あの時受け入れたのは。
正しいか分からないと思ったのは。
〈あなたではない〉と思ったのは。
ああ。
この男だったんだ。
もう行かないと思っていたから。もう会わないと思っていたから。
自分が耳管開放症であると思い出したのは。
内側から聞こえた声は。
同じストローカーの、同じフラットの、同じ低い打点の、
〈もう一球〉
ななコは楽しそうに打つ。誰に対しても本気で打ち殺しにかかる。
私もただ同じように楽しめばよかったんだ。うまくやろうとしなくても、そんなものななコは求めない。試合に出ない私自身にとっても、大して必要のないもの。
打てばよかったんだ。打つことも、自分が失敗することも、それ自体が相手を軽んじることじゃない。自分がやりたいように、もっとわがままになってよかった。
あっちにぶつかりこっちにぶつかり、
キャッチャーもピッチャーも、勝つことも楽しむことも、自分が楽しむのも相手と楽しむのも、都度迷いながら、修正をかけながら。
そのどれもが正しい。大事なのはメリハリ。
選択するまでは迷っていい。けれどコートに入った時には決まっているように。
打つなら打て。つなぐならとことんつなげ。
チャレンジするならチャレンジして、必ずその場で不足を見つけろ。
私はすぐに視野が狭くなるから。「こう」と言ったらそれしか見えなくなってしまうから。でも全部を全部染める必要はなくて、楽しむ時間を作ること。やってみるという「遊び」を作ること。そうして最低限笑える余剰は残しておくこと。
笑ってしまう。そうか。それなら壊れずに済む。神経質に、過度のストレスにならずに済む。頭の芯が痺れる。けれども不思議と不足は感じていなくて。やることが多すぎて、そんなこと感じるヒマがないのかもしれない。それに、
「思ったよりも時間かかっちゃって」
i野コーチがポツリと言った。
「2ゲームにしたら一試合3倍くらいかかっちゃったから」
それは「ごめんね」だった。
本当に申し訳なく思う。私の機嫌なんて気にする価値もないのに。それに試合を長引かせたのは私自身であり、そんな窮屈な思いをさせている私の方こそ「ごめんね」だ。
理解者がいる。
たぶんまた見えてないだけで自覚なしに環境に恵まれていて、だからこそななコだけに依存せずに済む。
馴染んだグリップ。
回すラケットは黄色と黒。
ね。
行くよ。じゃじゃ虎。