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カモフラージュ(1/3)【feat.メガネくん】




 本来なら「ようこそお越し下さいました」と床に頭をこすりつけてチラッと上目遣いする所だが、今回書き残すものに限って、同作者による小説「デュアル!」を読んで下さっている方にはおすすめしない。これはあくまで作者個人の独り言であって、フィクションを楽しむ上でのノイズになり得るからだ。物語と作者の独り言は相入れない。オンタイムなら尚更。

 そもそもじゃあ出すなよ、という話ではあるが、音に起こしてしまった以上、出さずにはいられないという何とも堪え性のない性分がしきりに喚いた結果、両手で抱えていた箱の中身をぶちまけるといった形で書き残す。これはテニスを通じた、一つの出会いの話。



【この記事は「私の舞台裏」をテーマに書き上げたものです】




 流れ星のきらめく一瞬。
「その時」という限りなく小さな単位の中での一瞬。それは、あるいは人生の内においても、まばたきひとつにもきちんと紛れることのできるレベルなのかもしれない。
 けれどそれは強く輝く。
 見てしまった以上、目の奥に焼き付いて、決して消えない光。

 最初、変な人だと思った。
 その人は、味方であるダブルスのペアが目を丸くしているのを知ってか知らずか、ラリーを続ける。テニスコートの外枠、ボールひとつ分だけアウトした跡を足元に残したまま、謎のその人基準のコートを守り続ける。
 無味無臭。男性にしてはフラット寄りのボール。ラリーをしても至って挙げるべき特徴もなく、人数分の一。そうして何かの拍子に声をかけると「あ、あ」と、どもってしまうような、そんなカ●ナシ。
 ただ、仮にカオ●シが2時間半で2、3回「あ、あ」と言っていたとすれば、割合的に本家の方がよく喋っている計算になる。カオナ●を超える●オナシな男は、何も言ってないのにペコリと頭を下げると、そそくさとすれ違う。

 思えば私自身、自信がなかった。
 あるとすればこの競技に対する愛情だけで、好きという気持ちだけがずっとハムスターの回しているアレの如く、カラカラカラカラ空回りしていた。ハムスターって夜行性じゃん? アレ夜中にカラカラするじゃん? それこそ私の愛情もテニスの終わった夜こそカラカラ空回りして「あそこで何で攻めなかったのか」「何であのコースを狙わなかったのか」と延々一人反省会。結果寝付けなくて布団の上をゴロゴロ。カラカラゴロゴロ。気づけば翌朝、仕事な現実。

 自信がなかった。
 練習ではできることも本番ではできなくなる。
 いくら練習を重ねた所で、ここぞというときにこそ不安はしつこくつきまとった。結局イメージで、できるものはわざわざ意識せずともオートで体現する一方、苦手意識のあるものも結果それを体現する。
 脳筋な私にとって、数打つことでしかそんな不安は拭えなかった。そんな時、カオ●シはとても役に立った。
 無味無臭。
 異性の香すら感じさせない男は、どんなボールでも打ち返した。
 不安になって打ち込むことしかできない自分の打球を、全てきちんと返すのだ。
 ふと思い出す。異性とコートを分け合った時「速水さんとはいいわ」とコートを開けられた時のこと。「男性はプライドが高いんだから、本気で打っちゃダメだよ」と言われた時のこと。男性相手に「女の子だから気を遣ってね」と宣言された時のこと。「君相手に、ラリー続く相手なんていないでしょう?」と言われた時のこと。全部全部
 ストレス発散の如く乱打する。カオナ●とのラリー、ボールは全てこっちのネットにかかって終わった。

 いい加減著作権案件なので、以下カ●ナシをメガネくんと称する。
 メガネくんはあからさまに私を避けた。近づかないし、声をかけても逃げる。ソーシャルディスタンスなんて言葉がない時から、ソーシャルなディスタンスをきっちり守っていた。
 けれどもラリーは、ラリーだけは順番に当たる。彼と私の接点は、そんなたったひとつ、小さなボールのやり取りだった。
 メガネくんは基本、どんなボールも返した。ふかしたボールも、ショートも、バックの深いボールも。唯一返って来なかったのは足元きっちりに打ち込んだものだけ。
 自信のない私は、ラリーが続く程、数打てる程、不安が消えていくのを感じた。いいイメージができる。いいイメージができるまで返してくれる。自分本位の、余裕のない打球を。けれども持てるだけの愛情を込めた打球を。

 そうしていつしか彼に依存するようになっていた。
 メガネくんと打つことで不安が消える。メガネくんと打つことで自信が持てる。だからメガネくんと打たせろ。これが俺様理論である。
 ラリー自体時間枠があって、順番だろうと、長引けば同じ人と打つこともある。そんな時は決まってメガネくんを呼んだ。呼ばれた側は当然は不本意だ。けれども慌てて入るのは多分怒られたくないから。ちなみにメガネくんは絶対私より年上だ。
 ボールを出す。

 いつしか彼に依存するようになっていた。このラリーを終わりたくないと思うようになっていた。自然と自分にとっての相手と相手にとっての自分の温度差を考えるようになる。
    私はこれだけ楽しいけど、あなたは? 
 その時になって初めて自分がいかに独りよがりなテニスをしてきたかに思い至る。自分ばかりで、相手は打ちたいボールを打っていない。メガネくんはいつだってキャッチャーをやっていた。それは私に限った話ではなく、誰に対しても相手の打球をきちんと受け止めて返しているように見えた。相手の発信を両手で受け取る。ガシャリのなさは誠実さだった。

 いつものようにボールを出す。返ってくる。
 いつもだったら打ち込む所を、もう一本返す。サービスラインとベースラインの間。彼の立っているポジションから丁度一歩踏み込んで打てる所。メガネくんは踏み込んで打った。返す。サービスラインとベースラインの間。スプリットステップからのテイクバック。打ち込んでくる。

 そうか。この人はオープンスタンスだからボールとの距離感を違えないんだ。

 何十本、何百本してきたやり取り、その中身をまるで知らない。ただ重ねてきたやり取りに色味が加わる。
 この人は無味無臭なんかじゃない。
 こうして無意識に役割をこなしてきた。
 我の強い集団、その年長者として。

 返す。打ち込んで来ていたボールが突如やわらぐ。
 聞こえるはずのない声が聞こえた。

 はい、君の番。

「あ」しか言えないメガネくんの、それははっきりとした意思だった。
 打ち込む。返ってくる。打ち込む。返ってくる。打ち込む。

 返ってくる。
 返ってくるのだ。ちゃんとボールが。

 思わず弾道を上げる。
 浮いたボール。それはともすれば息の詰まるようなやりとりを落ち着ける。ニュートラルに戻す。

 ありがとう。あなたの番です。

 返球もまた似たような弾道。しかし、ただ打ち上げたものじゃない。本物は腹筋を使う。繊細なボールコントロール、回転量の調整。本物は、
 ネットにかかることのない、終わることのないやりとりを好む。
 思わずこぼれた笑み。
 いいじゃないか。どちらかが倒れるまで打とう。
 ベースラインでの応酬は、しばし空間をジャックした。







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