流れていく景色【テニス】
ありがてえと思った。半身を委ねるような、そのストロークにおける信頼。
目が変わった事を自覚する。容器ではない。ただその中心、腹に据えた覚悟にまっすぐ敬意を表する。
必ずしも目が合うばかりではない。「それ」は察するもの。コートに向かう時、以前いた男子中学生がパッと二度見するのが分かった。ショートストロークに入る時、女子中学生が小走りに対面に入るのが分かった。ストロークでかち合った時、男子高校生が腰を落とすのが分かった。
名を知らずとも「あの人だ」と認識すること。そこに生じる感情が、この場における己の輪郭を形作る。
個人ではなく社会にもカラーがあるようだ。例えばi野コーチのクラスは並行陣ベースで、一定の速度の打球が行き来する。一方でノッポさんのクラスは雁行陣ベースでフルスイングの打球が行き交う。
ベース年齢の差か。10代の割合。半数以上の5ともなれば、学生ベースの雁行陣が主流となる。基礎の構築にノッポさんのクラスを、実践にi野コーチのクラスを当てていた私にとって、フルスイングベースのカラーと向き合うのは久しぶりだった。
最後にゲームできちんとラリーをしたのはいつだろう。思い出すのは一年前、玉ちゃんとしたラリー。逃げないと思った。その場で踏みとどまってフルスイング。それができたから次に進んだつもりだった。
別に間違ってない。それから並行陣、ボレーに特化したプライベートレッスンと、しがみつくようにして磨いてきたストロークの他、少しだけ柔軟性を身につける。賢く張り合わず、以前ならそれを「逃げ」に区分していた。けれど必ずしもそうじゃなくて。
折れない。こっちがダメでもこれがあるという選択肢は、こと心の余裕につながる。しなりというやつだ。受け流し、次に備える。全ては喉元を掻っ切る一瞬のため。
いやあほうれん草が美味しくて。栄養価の高さを感じるよ。
ストロークしかできなかった。だからそれに縋るしかなかった。テニスを続けるにあたって、当初ハイパー初級でやっていくためには。
テーブルに片肘をついて見上げる。うめえ。
パンパカ打つしか能がないように見えた男子高校生が、ふいに私のペースに合わせてきた。出力、出力、出力、からのスライス。まるで「はい、次どうぞ」とでも言うかのように。
打ち切ることだけが楽しい訳じゃない。ただ打っても打っても返ってくるというのは、それだけでうれしいもので、その礼にも思えた。ふとメガネくんがかすめる。あの時メガネくんがしてくれていた事を、今自分がしているかのように錯覚する。
「あげます」
次のラリーで自分から打ち出すことはないとした男子高校生は、満面の笑みでボールをよこした。その尻尾がぱったんぱったんしているのが見えるようだった。
私自身、最後にメガネくんと打ったのはいつだっただろう。
久しぶりに雁行陣で戦う。ペアを組んだ女子中学生は生粋のストローカーで、「打ちたいでしょ」と聞くと、顔中を笑顔にしてフォアサイドに入った。
大人の余裕? まさか。
腰の入ったリターンに、こっちの腰が引ける始末ですよ。
ただひたむきにストロークを繰り返してきたこの子達に恐れるものはない。失敗したらどうしようではない。できる前提で、どこまでできるか測ってる。だから入りからして違う。イメージの持つ重要性を思う。大人になるほどに、分母が増えるほどに良くも悪くもいろんなイメージがついて回るようになる。やることはシンプルなのに、キラキラと輝く未来を信じられなくなった現実社会の大人はいらぬ雑念に惑わされる。無知と言うと失礼だが、知らない強さというのはたぶんあって、そういう意味では成長期の中学生はある種無敵だった。
そんな訳で味方と張り合う気のない一般人Aは、その良さを活かす方に回る。回れる。ボレーやって来たから。ずっと手本を見てきたから。
フォアサイド、相手サーブを味方がクロスに引っ張る。いい深さと速さに、早い段階で相手の目がボールに集中した。気づく。
いいストローカーを背負った時、相手の余裕が削れた時、一足増した主体性が生まれる。チャンスだから仕留める! という必死感ではなく、「ここに来るからどこに返そうカナー」
結果、自身が最も美しいと感じる場所を狙える。この時私は相手前衛のバックサイドに配給した。バウンドして高く弧を描く打球を見つめる。振り返ると中学生がきょとんとしていた。少しして「な、ナイスボレーです」と口にする。
帰宅後旦那に「中学生相手に欲しがるんじゃない」とたしなめられたが、確かにあれは「絶賛褒められ待ち状態」だった。だって。
私あそこにボレー決めたの初めてだったんだよ。
「すぐ戻れ」の後衛がベースで、たまに前やってもよくネットに引っ掛けて、ここにいても役に立たないのなんて自分が一番分かってて、でも。
振り返った時、きょとんとした女子中学生を見た時思った。「ああそうか。この子私が基本ボレーできないの知らないんだ」
「速水が後衛側ではなく、前衛側にボレーして仕留める」価値。それを正しく認識してくれる人。じゃあ逆にこの時、誰に認めて欲しかったんだろう。
ふいに裏寂しさを感じる。それは「絶対に離さないでね!」と補助輪外して自転車を押してもらいながら懸命にこいだ先、振り返ったら誰もいなかったような。
身体の右側を少し高めの打球が通過する。相手コートのベースラインギリギリ。
〈絞れ!〉
ああ、どっかの誰かさんも言ってたな。コースを絞る。返球コースを。
だってここにしか来ない。例え女性同士の速さの中でだから通用することだとしても。
アングルに叩きつける。力には依らない。ただタイミングさえ合えば、面白いくらいボールは弾む。
今なら「その」ストロークに多少なりとも貢献できるかもしれない。でもじゃあ活かせたところで活かしたいと思うかは別問題な訳で。
よいしょ、と再び自転車をこぎ始める。景色が流れていく。
ほうれん草。逃げない、と踏みとどまった、今の私に不足しているのはストローカーとしてのラリー。自分の半分くらいの年齢の子達に混じってフルスイングをする。
最高スイングスピード126。バカみたいに能動的なラリーに、今は不足を補う。
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