好きだと言って何が悪い



 赤いギンガムチェックのスカートに振り返る。
 丸襟白のブラウスとマスクについたフリル。
 驚いたのはそれがおそらく60代であろう女性だったこと。
 真っ直ぐな背筋。立てば芍薬座れば牡丹〜を自分に言い聞かせているような、その人だけは、いや、その人こそ誰より自分に対して期待しているような後ろ姿。

 少し前、ねぎしさんのnoteで「自分のnoteが結局一番面白いんだから。」という記事を読んだことを思い出す。これが面白かった。自作のお気に入りの過去の記事を紹介しているのだけれど、その書き方に衝撃を受けた。
 以前どこかで書いたことがあるのだけれど、ヒマつぶし、という言葉が好きではない。読み手の時間を軽んじているように感じる。ただ、その分母は大きい。だからこそこういう記事はとても好きだ。
 自分の「好き」を自信を持って主張できる人が好きだ。別にその人の語るものに興味はなくとも、その熱量自体に価値がある。人一人を動かすだけの深さ、重み。

 赤いギンガムチェックのスカート。
 リンクしたのは矢沢あいさんの「Nana」
「ご近所物語」や「パラダイスキス」揃いも揃っておしゃれだった。
 私自身20代前半scolarというブランドにハマって、家から片道一時間かけて市のショッピングモールにまで足を運んだ。久しぶりにそのホームページを開くと、溢れんばかりのときめきに心躍った。感性はあの頃のまま。無意識に「まだイケそうなもの」をタップするが、それでも十二分に幸せだった。

 赤いギンガムチェックのスカート。
 私と同じようにすれ違った、若い女性二人組が顔を見合わせて笑った。
 それはその人達の感性。本人には関係ない。必要のないもの。

 見たいものを見て、幸せを生きればいい。
 必要な時にさえ地に足ついていれば、あとは少しくらい浮いていたっていい。

 これでいっか、と、これがいい。
 それは多数分のイチと「あなたがいい」の分岐点になる。
 自分が好きなもの。自分の感性を信じ、誇ること。
 言葉にしないと消えてしまいそうになる思いは、何度だって記せばいい。
 私は好きなものを選び取る。自分の感性を信じる。
 今後、道に迷いそうになった時、誰かの顔色を伺いそうになった時、きっとあの赤いギンガムチェックのスカートを思い出す。





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