つんつるてん許可証
前髪はもう切られた後だった。たまらず漏れたは苦笑い。
毎度のこととはいえ「ちっとは躊躇えや」と思わずにはいられない。
美容院で「こんな感じにしてください」と画像を見せると、いつも通り「はい、はい」と言った後、私の髪を触りながら男は続けた。
「これだと前回よりも長めになりますけど、いいですか?」
はあ、と思う。モデルを提示している分、そこを基準にしてもらえればいい訳で、提示した髪型自体、シルエットの大きく変わるものでもない。ほとんど反射のように「はい」と答えると、不思議な間ができた。その後「承知しました」という声とともにシャキ、という音が響く。
「近くにいる5人の平均が~」とか何とか介さずとも、どうあっても人は結局近くにいる人に似る。私自身元々人と関わることが得意ではなく、関われたとて状況、立場が似ている相手に限り、そうでなければ、なくなれば、容易く離れた。それで私の世界は完結していた。
看護師のu野さんは母と同年代だ。ついでに誕生日も近く、性格もどことなく似ている。今目の前にいる人に関心を持ち、その人の話を聞き、頷きながら自分との共通点を探す。そうして「身内」にしてしまう。一期一会なんて言葉はu野さんの辞書にはないようで、例え明日には海外に行く相手だとしても変わらない。人の懐に入る力、相手が話したくなる聞き方、何よりその質問力。
話をしてもらう、心を開いてもらうために必要となる質問力が、たぶんu野さんから無数に出ている人間関係の源泉だと思う。興味を持って、聞いて、だから残る。それが次につながる。たぶん無意識だが、根本人に興味のなかった私が、真似事をしていく内に、何となくそれらしい生き物になってくる。人に興味を持てるようになってくる。すると何が起こるか。
「恋人の浮気を疑う人は、自分にその可能性がある人」と言うように、「言ったってその場限りのこと、どうせ明日には忘れてる」と思っていたことが変わる。自分が相手の言葉をしっかり受け取ろうとすると、相手もまた自分の言葉をしっかり受け取ろうとする。性質としては返報性の法則とやらに属するのだろう。
u野さんに限らず、人間関係には無数に枝がある。内一つ、その場その時、「それ」は長い人生において、ほんの小さなやり取りに過ぎない。けれどその1を、むしろわずかな1だからこそ大切にしようとするのかもしれない。「それ」は繋がり。基本人の心は見えない中で、確かと言えるもの。
面倒くさがり、かつ倹約家(笑)な私は、いつだって「少し未来にしっくりくる」ような髪型を注文していた。けれどたまたま言い忘れていたために、1時間後にはモデル通りの髪型に仕上がる。
相変わらずつんつるてんの前髪に苦笑いするものの、その出来は私史上過去イチで、満足して家に帰ったのだが(ちなみに旦那は私が髪を切ったことにすら気づかなかった。もはやアルビダと入れ替わってても気づかれないレベル)
その後鏡を見た時にふと、あの時言われたことが浮かんだ。
〈これだと前回よりも長めになりますけど、いいですか?〉
「はい」と答えた後の不思議な間。
違和感。次の瞬間、鏡の中の自分が息を呑んだ。
〈まあるくしたいんです〉
いつだったか大きな鏡を前に、人差し指で自分の顔の前に円を描いた。
まるっとしたショート。男は、だから確認したんだ。あれは、正しくは
〈これだと速水さんが望んでいたまるっとしたショートとずれますけど、いいですか?〉
どうせ明日には忘れてると思ったこと。きちんと関係を築こうとすると、そこには責任が生じる。何気なく口にしたこと、意図して口にしたこと。ここで大事なのはそんな自分の側の温度に限らない。受け取る側がどれだけの温度でそれを受け取ったか。結果はむしろそっちに依存する。
u野さんは、だから強い。強いという言い方は適当ではないかもしれないが、そんな強い結びつきを持っている人は、絶対に一人にはならない。なれない。
一人にならないというのは、死なないということ。ヒルルクも言ってたじゃないか。人は、人の中でしか生きられない。だからこそ縁を大事にする。自分を大切にしてくれる人を大事にする。その結果できた社会は、義務ではなく能動で回る。幾重にも豊かな枝葉が広がっていく。
髪を切るのが美容師の仕事だとして、その功績は直接本人に返るばかりではない。例えば今の私が一番キレイだとした一般人Aが、ニコニコしながら人に関わる。そんな「風が吹く」ことで、結果なんかこううまいこといって返る(ザツ)
そのこと自体、必ずしも「私が」返す必要はなく、結果返ればいいのだ。
いいよもう、つんつるてんの前髪でも。あの男は一番大事なことを分かっているから。