恥の多い生涯を送ってきました【feat.なんちゃって中級】
婚活は分かりやすい。ベース男性の価値は年収で、女性の価値は若さ。
分不相応な言い分が地獄の始まり。結果を求めるなら、まず自分の市場価値を知ること。転職も同様。
「人の目は前についているから前しか見えない」と言えば何だかポジティブだが、それは同時に「そう思っている本体の姿は見えない」ということでもある。
学生の頃、食事中に母が鏡を置いたことがある。当時おいしいおいしいと食べている私は、リスもびっくりな頬張り方をしていた。そうして少なくともそれまでの間、その姿を全方位に晒してきた。
時に、すごくキレイな人と「えっ」という人が恋人もしくは伴侶というパターンがある。すごくキレイな人は、自分が「それ」を持っているため、相手に同じものを求める必要がなく、逆に自分にないものに惹かれるという説だが、じゃあ常日頃からキレイかどうかを基準にしている私のテニス自体がキレイかどうかなんて、話すまでもなかった。ないから求める。つまりはそういうことだった。
宇野真彩というテニスプレイヤーがいる。プロフィールに「美しく力まないフォームを心掛け、未経験の方にもテニスの楽しさや素晴らしさを伝えるために日々奮闘中」とあるように、本当にキレイなテニスをする。百聞は一見にしかず。本当はこうやってつらつら書くよりも、動画あげた方がはるかに納得やすい。思い出したのはソウさん。バックハンドの両手打ちはソウさんのフォアハンドそのものだし、サーブも同じく。
ただ私にとって、理想はあくまで理想であって、どこがどう違うのか分からないけれど、彼女たちと同じにはなれない。ストロークも、サーブも、ましてやボレーも。
先日振り替えが余っていたために、別のクラスの中級に顔を出した。隣のコートで打っている学生たちは、小さい身体でこの上なく上手に出力していた。スイング、インパクトの面の向き、打ち出し方向、重心。このレベルの子達はイチイチそんなこと考えてないんだろうな、と思った。呼吸をするようにしていること。見ているのはその先。
嫉妬しなかったと言えばウソになる。けれどじゃあ始めからテニスを選んでいたとして、それが当たり前だったら生まれなかった感情もあると思う。やっぱりこっちがいいと自ら選んだからこそ今尚コートに立っていて、バスケを辞める時、全く負荷がかからなかった訳ではないからだ。
でもそんな思いは市場価値と、自己評価と他者評価には関係ない。環境がどうではない。本来見るべきは取り決め、定められた枠組みそのものだった。
中級は基本+応用(雁行陣、平行陣)
初級は基本〜応用、ゲームの組み立て
もちろん相手によって精度は変わる。問題となるのは「できる」のレベル。
休憩を挟むとその時担当していたコーチが言った。
「僕が初級を担当するクラスではここから始める」
打点である。バウンドした時にはインパクトのポイントが定まっていて、幹は動かない。テイクバックの高さ、つま先の向き、横に走らされた時の身体の使い方。
コーチは十人十色。プレイヤーも十人十色。
合う合わないはあるし、出会う出会わないもある。
いろんな人がいろんな言い方で教えてくれていることを、今もまだ上手く受け取れない。
先日今いるクラスで上手い人に出くわした。私が打ったのはボレストの4球。キレイな4拍子に、緩急の呼吸が合う。キャッチの上手い人だなあと思った。けれど一方でレッドやナオトの時のようにテンションが上がることはなかった。
「出会った」人には色がつく。例えばレッドは赤だし、ナオトは青。ひここは黒で、玉ちゃんはピンク、戸塚は緑。メガネくんは白で、ビッグサーバーは黄色。
つまりその人とは「出会えなかった」
それは純粋な実力差、あるいは単純に興味が湧かなかったから。無色。何のことなく紛れる、もしかしたらああいうのが本物のストローカーなのかもしれない。
たぶん私はレベルを上げるごとにできるようになっていくことが、一点特化型でやってきた分、1、2、7しか出来ないみたいなことになってる。そんで7に照準を合わせて話をしているだけで、中身がスッカスカ。だからあの時「僕が初級を担当するクラスではここから始める」と言われた段階で私が口にするべきは「そこに行けば私は変われますか」だった。「ここから始める」すなわち「それをあなたは出来ていない」
正しいルートを辿れない以上、何球打ったって意味はない。ゆるい足場の上できっとまた簡単に自分を見失う。
久しぶりに動画で見た自分は、想像していたよりもずっと気持ち悪かった。
桜木の二万本シュートの初期だったサーブも、大して変わっていなかった。つまりはそういうことだった。
何もしてこなかった訳じゃない。でも努力の方向が違う。それは致命的だった。
尽くしても重いだけ。そんな執着は、大事にしているはずのこの競技自体を汚す。これまでこうして書いてきたものを読んで下さっている人がいたとして、その人たちに向けて動画を晒せば、きっとその意味が分かる。分かってしまう。
問題は、じゃあどうするか。
方針。私の6年は全くもって無駄ではなく、何も出来ずとも処方の仕方だけは何となく分かるようになった。
i野コーチのところには、技術は元より、メンタル強めの人が集まる。というか残る。ほとんどの人が一度はマジでブチ折られているからだ。今あるストロークの精度を底上げしたければ、じゃがコが負荷のかかるラリーに付き合ってくれる。力みをとりつつも打ちたい時はななコのところに行けばいい。シングルスをやりたければ前いたクラスに、そうして基礎の基礎、正しい姿勢、呼吸の仕方から学びたいとした時、「そこ」に行けば私は変われるのか。
今からでも間に合うか。
それでも私はこの競技を好きでいられるか。
緩急。
強く握りしめているものを自ら手放すこと。
相応の人とラリーをすること。
私の望む世界はその先にあるのか。
何だってそうだ。保証はない。けどだからこそ自由、己が一存。
どうなりたいか。
ソウさんは初級にいた。考えてみれば烏滸がましい話だ。
ソウさんはちゃんと取り決め、定められた枠組みにのっとって、自らの居場所を決めていた。あれだけキレイなスマッシュを打つ人は、けれどもストローカーであることを望んだ。雁行陣を選んだ。
どうなりたいか。
評価を望むストローカーに、まずは聞いてみよう。
答えは、それから出せばいい。