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未明だから未だ夢の中


 早朝4時、目が覚めた旦那は「散歩に行こう」と言った。
 中途覚醒後寝付けず、ひたすらゴロゴロしていた私は、分かったと言って身体を起こすと、喜んでやってきた愛猫の頭を撫で、着替えを済ませる。「珍しい」と笑うに合わせて「たまにはね」と伸びをする。
 まだ直火の暑さはない。ぬるく湿度の高い、けれど間違いなく朝とわかる空気。人気のない道路で、信号だけがチカリと色を変える。
 
〈足で歩いて、手で触って、見て嗅いで、躰で識る。それ以外の方法で木場は物ごとを巧く捉えることが出来ない。世界を実感できない。生きている感じがしない〉『絡新婦の理』より
 
 完全に見誤った。旦那はよく外出したがる。当初男のことをインドア派だと決めつけていたために、やれ食事に行こうだのやれ旅行に行こうだの、ソファと一心同体の私からすると(ついでに愛猫からしても)困惑するばかり。
 困惑すなわち限りなく「NO」に近い「NO」。だから基本「へー」と相槌を打って嵐が過ぎ去るのを待つ。腰が軽いのは長所だが、古来より女性は身体の構造上腰が重いものでして。あ、コレはあくまで個人的な言い訳で、私自身、根本超元気でも食事にも旅行にもどうにも興味が持てない訳でして。
 
 そんな私でも、この文章を目にして、少しだけ悪いなと思うところがあった。
 日頃数字とばかり睨めっこしている男にとって、五感での楽しみが不足しがちなこと。生きている感じがしないというのは、確かによろしくない。たまには付き合ってやんよの結果の未明散歩である。気だるい身体は、けれどもその後「いつ二度寝してもいい」という天国案件に、素直に従った。


 
 正義感について。
 いつか誰かが私に添えた「正義感」とやら。その正体がようやく分かった気がする。「こうあるべき」といううるさいバイアスの根っこ、それはバランスだった。
 例えば「この人と結婚したのは、この人が仕事で出している成果に見合った報酬を受け取っていないと感じたため。謎に多く貰い受ける性質を持つ私の持っているものをはめ込めば帳尻が合う気がした」というような。
 強きを挫き弱きを助けるとか、弱っている人にはやさしくするとか、たぶん自分の中で線引きがあって、それを基準に「そこ」に持っていくことを行動指針とする。
 目に見えるものはいい。相応の対価を受け取っていればいい。問題はその逆。目に見えないところでされた努力が報われないこと。それこそ猫の手、コバンザメ、戸愚呂兄なスーパー使えないパースン出動案件(え、むしろいらなくね?)
 


 少しずつ、少しずつ世界が色づき始める。薄いベール、もやがかかって全てがパステルの色味。本当はこのくらいの明るさがちょうどいい。けれど。
 少しずつ、少しずつもやが晴れていく。世界が正しい輪郭を取り戻していく。現実に戻ってくる。
 
 対価。その結果人より多く貰い受けることになろうと、相応であればそれは権利。堂々と己を主張していい。
 
 私は未だ夢の中。一度は眠った身体でもまだテニスを続けている。
 たぶん私は見てはいけないものを見た。本来私レベルでは届かないもの。そのために私が差し出そうとしているもの。
「珍しく」従った。諾と応えたのは。
 真っ直ぐ受け入れることは、その実、欲しいもののためと言えないか。
 興味が持てない「その他」より、興味のある「それ」を。
 縦に求めることを許してもらうためと言えないか。
 知ってる。週末家を空けるのを快く思っていないことを。私だって並んで買い物するのを、ありきたりでとても幸福なことだと思った。けれどいつだって心のどこかでテニスをしていて、それは決まってその時間にしか発生しない。だからこそ厄介なのだ。
 せめてこの時間がずれていれば。二つ同時に並び立たなければ選ばずに済んだのに。


 
〈僕は我慢している〉


 
 理解は求めない。されるとも思ってない。
 ただ男は分かってる。だから自由にさせておく。全ては箱の中。構わない。
 私が望むのは本と紙とペンと2畳間。それにラケットとシューズとテニスコート。その大きささえあればどこまでも自由。だからもし仮にテニスコートを奪われれば、残るのは2畳間だけ。そんな器の小さい男だと思われたくないだろうなというのも、残念ながら知ってる。
 
 旦那のことは好きだ。とても好きだ。
 でもこの聖域には干渉しないで欲しい。白を黒と見紛う余地はどこにでもある。そんなところで目を曇らせないで欲しい。お願いだから。
 その場における役割はきちんと果たすから、限られた自由を奪わないで欲しい。
 
 夜が明ける。鳥が鳴き始める。日の光が差す前に玄関のドアを開ける。焼かれないよう避難したラケットと目が合う。
 ひと足先にドアの向こうに行った男が何か言ってる。
「何―」と返事をする。







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