書き写し
書き写しとは本を書き写す、ただそれだけだ。
私はこの書き写しに何度挫折したことか。書き写したら文章力が上がるような気がする。でも、作業になってしまうと、一気にやることはできても続かない。まさに三日坊主の繰り返し。
書き写しを始めたきっかけ
そんな私が書き写しを再開して約10ヶ月続いている。
きっかけは3年前、「誰でも独学ねっと」というサイトを発見したところから始まる。
独学の方法を知りたくて検索したり、本を読んだりしていた。どれもこれもしっくりこないものばかり。合う人には合うのだろうけれど、私がこれをやっても続かないだろうなと思った。
その中で出会ったのが「誰でも独学ねっと」だ。京都府の南山城村の童仙房にお住まいの方が更新している。著作もある。でも、本質はサイトを読むだけで十分である。現時点でX(旧Twitter)でも毎日投稿されている。
4人の子どもたちはホームスクーリングで育っている。学校を否定しているわけではない。やむを得ず、ホームスクーリングとなっただけで、子どもたちが学校に行きたいと言えばいつでも行ける環境だった。
そのサイトでは、「大量の昔話の読み聞かせ」「大量の書き写し」「大量の読書」の大切さを説いている。これらが独学の土台を築き、また、生きていく力・思考力を鍛えるのだそうだ。特に「昔話」と「書き写し」についてはいくつも書かれている。
書き写しが文章力だけでなく、そんなすごい効果があるなら今すぐやろう、とその日から本をノートに書き写した。どのくらい続いただろう。毎日ではないが3年近く続いた。その後1年ほど中断する。そして、10ヶ月ほど前に再開した。
1日平均3枚、ひとまず3000枚以上
今度は原稿用紙だ。
久々にサイトを訪問したら著作を出版していた。本を購入し、サイトをまた読み直して鉛筆と原稿用紙を用意した。とりあえず3000枚以上書き写そうと思った。
平均して1日3枚書いているので3年書けば3000枚はとうに終わっている計算だ。まだ1年もたっていない。先は長い。
明治の文豪が良い、とのことで森鷗外を書き写した。最初は短編集だ。太宰治やその他有名な作家を書き写した。毎度、彼らの語彙に感服する。今は漱石先生の「坊っちゃん」を書き写している。
以前と違うところは「毎日書く」「鉛筆で原稿用紙に書く」ということだ。最近付け加えたのは、書き写したところを音読することだ。3枚程度だと音読はすぐに終わる。
私を突き動かしたもの
何が私を突き動かしたのだろう。サイトを読んでふーんで済ますこともできたはずだ。でも、見逃せなかった。
読めばわかるが熱量がすごい。しかも、結果はあわられている。ぜひ、読んでほしい。
昔話も図書館で借りて読み始めた。小澤俊夫さんの本を主に読んでいる。昔話ってこんなに面白いのか!と次々借りた。
昔話は抽象化されているからいい、とのこと。「抽象化」というのも私が気になっているテーマである。抽象化は大事って聞いたことがあるけど、どこでどうやって身につけるのだろうと思っていた。そのヒントがここにあった。
私自身の変化
さて、「誰でも独学ねっと」がすごいのは言うまでもないことだが、私自身はなにか変わったのだろうか。実のところわからない。急激な変化があるわけではないようだ。
独学の観点からいうと、「続ける」ことができるようになったことだろうか。傍らで高校数学をやり直しているが、参考書を使いつつなんとか続いている。他にも新しく挑戦したことが諦めずに続いている。
書き写しを続けていたら周囲の人も「書き写ししようかな」と言い始めた。書き写し仲間が増えると良い。そこでふっとお坊さんの姿が浮かんだ。