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【感想】NHK 歴史探偵「江戸の天才 平賀源内」を視聴しました

2023年12月13日(水)22:00~22:45 歴史探偵「江戸の天才 平賀源内」を視聴しました。

<始まる前に>
平賀源内といえば、エレキテル。
天才的発明家としか印象ないから今日は楽しみです。

<NHKのあらすじ>
江戸の天才、平賀源内。
森羅万象の謎に挑む学問「本草学」に魅せられた男の縦横無尽の活躍のヒミツを徹底調査。
希代のイノベーターが日本文化に残した遺産とは!?


■江戸の天才 平賀源内

●スタジオで
佐藤所長「平賀源内といえば、エレキテルのイメージです」
杉田玄白は、源内について、優れた才能を持ち、時代の寵児であった、と述べています。
平賀源内のマルチな業績
発明家、コピーライター、小説家、脚本家、イラストレーター、鉱山師、俳諧師、薬剤師、陶芸デザイナー、毛織物プランナー、イベントプランナー、起業家
その天才のルーツを調査します。

■天才のルーツを調査

生まれ故郷、讃岐市志度の平賀源内旧邸へ
・平賀一善さん(7代目当主)

●源内ゆかりの薬草園へ
源内が観察、食用としていたという薬草、ツバキ、サトウキビなど70種類以上です。
海外由来の、アロエ、サフラン、ウコンなどもあります。
さらに、ライギョ、サソリ、ジャコウネズミまで記録にあります。
これは、本草学という学問で、自然界に存在するあらゆるものを研究することです。
「鉱物、植物、動物、自分たちが見られるものを研究したものです」
百科事典を作る研究者だったのです。

●本草学
神宮文庫(三重県松阪市)
『聞くままの記』
「源内は下級武士、高松藩の武士で多くが侮り、軽んじている」
一発逆転の学問が本草学でした。
新たな特産品を生み出そうとしていましたので、注目されていたのです。
「幕府に仕えることも考えられる立身出世のため、研究者を目指していました」
しかし、本草学で身を立てるのは簡単事ではありませんでした。
・石上敏さん(大阪商業大学)
「本草学は莫大な費用がかかるものでした」
中でも、洋書の購入費にお金がかかりました。
『物産書目』紅毛本草(植物図鑑)、紅毛魚譜(魚図鑑)など、およそ2千万円かかりました。
さらに、旅費も源内の肩に重くのしかかりました。
秘策は、マルチな才能です。
初めて出版した『滑稽小説』という小説を書いていました。
娯楽小説の執筆でお金を稼ごうとしました。
代表作『根南志具佐』歌舞伎役者の恋愛スキャンダル、『痿陰隠逸伝』、『放屁論』など次々に発表します。

●プロデューサー
『菅原櫛』象牙、銀などおよそ2万円の高額でしたが、爆発的にヒットさせます。
吉原で大人気の花魁・雛鶴に櫛プレゼントしつけてもらうと、世間で大流行します。
実は、エレキテルも見物料で資金を得ることが目的の一つでした。
本草学で身につけた幅広い知識でした。
石上さん「おおもとに本草学が存在することはまちがいないのではないでしょうか」

●スタジオで
石上敏さん「本草学は世界の読み取りを目的としていました。新たな枠組みで物事を考えたのは、もとにある本草学のおかげだったと考えられます」
・マルチな才能が身につく本草学者
①語学力
②観察力:『衆鱗図』
佐藤所長「写真とみまがうほどリアルです」
③文章表現力
④全国の地理に詳しい
佐藤所長「そろそろ努力は実らないのかい?」
幕府は源内に、伊豆芒硝御用という任務を与えます。
芒硝とは、硫酸ナトリウムのことです。
下剤、精神安定剤などの薬として利用されていました。
石上さん「日本国内では調達できない、中国からの輸入によって流通していて、非常に高価です」
しかし、源内は伊豆で見つけてしまいます。

■芒硝

・土井康弘さん(歴史研究者)
伊豆田方郡上船原に行けば手がかりが見つかります。

●上船原へ
・鈴木学さん
村のせんそく湯と呼ばれていた、温泉の足洗い場です。
どこにあるのか上船原と書かれた地図で探すと、湯場があります。
探し求めていた温泉を発見!
芒硝はあるのでしょうか?
お湯が湧き出ている場所があります。
白っぽい石があります。
石の表面に白い粉が付着しています。

●白い粉の正体を探る
日本分析化学専門学校(大阪市北区)へ
・尾崎信源さん
化学分析を行います。
白い粉に硫酸+ナトリウムが含まれていれば芒硝です。
すると、硫酸化合物のグラフと同じ線を描きました。
さらに、ナトリウムの炎色反応によって物質の正体を探ります。
黄色の火が出ればナトリウムです。
黄色の火が出ています、ナトリウムです。
白い粉の正体は、硫酸ナトリウム、つまり芒硝だとわかりました。

●なぜ芒硝を見つけられた?
平賀源内記念館
「東都薬品会」は、珍しい物産を集めて研究する会のことです。
この催しにある斬新な仕組みを取り入れます。
身分の垣根を超えて参加できた、医者、商人、農民まで多岐にわたりました。
実は芒硝の発見も、薬品会がきっかけでした。
珍しい産物について伊豆の農夫から調査依頼を受けると、芒硝だとわかったのでした。

●スタジオで
佐藤所長「身分などどうでもいいと思っていたような気がしてきました」
石上さん「特定の集団に独占されていた知識、モノの裾野を広げて時代を変えていくきっかけになりました」
クイズです。ある食品の誕生に関わっているのです。
ヒント:源内の故郷・香川で今でも作られています。
ヒント:栽培されている畑です。
ヒント:所長の名前
佐藤所長「砂糖!」
正解は白砂糖でした。
石上さん「白砂糖を黒砂糖から精製する技術が確立されていなかったのです」
「図を書いて出版して一般の人にもわかるようにしました」
晩年源内は「功ならず 名ばかり遂て 年暮ぬ」と嘆いています。
「仕官お構い」
石上さん「高松藩を辞める時によその藩や幕府に仕官することはまかりならぬ」
江戸文化に影響を与えた平賀源内の功績とは?

■江戸文化に影響を与えた源内の功績

●プルシアンブルー
『西洋婦人図』源内が描いた作品です。
女性の襟元にプルシアンブルー、外国産の顔料が使われています。
源内はいち早く絵画に取り入れ、江戸で大注目されました。
それまでにない画期的な表現を可能にしました。
「西洋人が持ち込んできた顔料、色が深く非常に鮮明である」と記しています。
どんな色だったのでしょうか?

●木版画
・早田憲康さん(摺師)
水に溶かす前のプルシアンブルーと本藍を比較します。
粉末の状態では、違いはわからないように見えます。
ところが、版画を刷って比べると違いがはっきりわかります。
本藍とプルシアンブルーを比べると、鮮やかさが違います。
さらに、それまで難しかった新たな表現を可能にしたのです。
それは、濃淡の異なる青を絵の具一つで表現できることです。
波しぶきの濃い青と薄く透き通った空の青、見事に描き出しています。
その秘密は着色の仕組みにありました。
ナノ粒子が和紙の繊維に絡まることで表現でき、豊かな青が生まれるのです。
早田さん「明るめの色から夜がかった青まで表現できます」

●江戸文化に影響
・勝盛典子さん(近世日本絵画研究者)
プルシアンブルーで新たな潮流が生まれたと言います。
風景版画は様相が一変し、人気が爆発、一大ジャンルに躍り出ました。
浮世絵界を代表する名作、葛飾北斎の富嶽三十六景、歌川広重の東海道五十三次などの名作に繋がりました。
本草学者たちの未知への探究心があったからだといいます。

●スタジオで
佐藤所長「広重や世に貢献したんだ、源内は」
石上さん「伊藤若冲なども利用するようになりました」
「物の価値をいち早く生み出し伝えていくというのが本草学の一面でした」
プルシアンブルーが明るい青で、本藍は味わいのある青
文化の垣根を取り払うことにも役立っていました。
佐藤所長「あらゆる壁、無用な差別、垣根を取っ払うというのが彼の成功に繋がっている、今にも通じます」

ーーーおわりーーー

次回は「徳川光圀 黄門さまの真実」12月20日(水)放送です。

■感想

平賀源内は1728年生まれ、田沼意次は1719年生まれ。
平賀源内は江戸中期の田沼意次政権下の人で、時代の波に乗った起業家だったということですね。
本草学は元々中国由来の学問で江戸初期には存在したものなので、それを流用したに過ぎないらしく、平賀源内はアイデアマンのプロデューサーですかね。
享保の改革、天保の改革など、質素倹約の幕府改革ばかりがもてはやされる教科書や世間の論説ですが、本当は逆だったのではないかと思えてきます。
これらの質素倹約政策が上手く行ったという評価はあまり聞かないですし。
賄賂をもらった悪い人物だという印象が強い田沼意次ですが、殖産興業政策を進めるなど、日本経済の発展に尽力した偉大な人物なのかもしれません。
その風潮の中で生れたのが時代の寵児・平賀源内だったということでしょうか。
小室哲哉さん、秋元康さん、ホリエモン見たいな感じかな。
今年の漢字は「税」ですし、質素倹約が大事だけど、殖産興業も大事といったことが世相に反映されたのでしょう。


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