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【感想】NHK 歴史探偵「明治維新 新政府の挑戦」を視聴しました

2024年11月13日(水)22:00~22:45 歴史探偵「明治維新 新政府の挑戦」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
日本の大きな転換点「明治維新」。
実は新政府は、資金不足に兵力不足のどん底からのスタートだった!?
課題を一挙に解決した電撃作戦とは?
明治政府の苦悩と挑戦に迫る。


■プロローグ

●スタジオで
佐藤所長「明治維新といえば、大きな改革ですね。明るいイメージがあります」
実は、後半戦、戊辰戦争のあとに直面した課題について迫ります。
明治維新の目的です。
「五箇条の誓文」
新政府の方針5つを上げたものです。
・身分の上下を問わず心をひとつにしてみんなで国を治める。
・知識を世界に求めて天皇を中心に大いに国を発展させる。
人々が一致団結して欧米諸国と渡り合える強い国を作るということが最大の目的です。
実は、明治政府にはある大きな課題がありました。

■明治新政府の課題に迫る

●課題に迫る手がかり
鹿児島県
・隈元俊一さん(鹿児島県埋蔵文化財センター)
謎の建造物の跡、敷根火薬製造所跡、火薬製造所で、加工を製造するための水車の跡です。
鹿児島県埋蔵文化財センター
石臼です。
薩摩藩が火薬の粉をすりつぶすときに使いました。
記録によると24トン製造した年も、国内最大級の火薬製造所です。
なぜ政府の課題につながるのか?

●戊辰戦争
・原口泉さん(至学館大学)
「戊辰戦争の軍隊はあくまで鹿児島藩のものです」
明治政府のものではありませんでした。
政府に各藩が臨時で提供したもの
「ますます強化していきました。明治政府には最大の脅威となり続けました」
明治政府は独自の軍を持っていませんでした。
「藩はそのまま残っていて、各藩割拠体制です」

●ある大事件
長州藩のあった山口県へ
・立石智章さん(十朋亭維新館)
奇兵隊は、高杉晋作が組織した戦闘部隊です。
藩に対し、反乱を起こします。
原因はある政策にありました、藩の戦士を除隊、リストラしていたのです。
「精選といって、兵を絞り、不満になり抵抗します。最終的に武力討伐されることになります」
明治政府の木戸孝允は、「急いで藩を一掃しなければならない」と記しています。

●経済面での弊害
経済面でも弊害をもたらしました。
日本銀行金融研究所 貨幣博物館
幕末から明治にかけて発行した太政官札です。
明治政府が新たに発行した紙幣です。
全国普及がうまくいきませんでしたが原因は各地で発行された藩札という紙幣、藩の中でしか使用できません。
にも関わらず明治になっても藩札を刷り続けていました。
「混乱した状態にありました」
さらに、税収の問題、新政府の直轄地は全国3000万石の内、800万石に過ぎませんでした。
それ以外は藩のもの、国の運営がおぼつかない状態でした。
・竹本知行さん(安田女子大学)
「朝廷に権威・権力が揃っていませんでした。藩の軍事力を解体し権力を集中していくべきだと考えました」
いかに統一的な国家を作り上げるのかが明治政府の最大の課題だったのです。

●スタジオで
佐藤所長「江戸時代と大きく変わっていなかったのですね」
河合先生「列強諸国の圧力にさらされていて国が一つにまとまらないと対抗できなかったです」
問題は他にもまだありました。
「賞典録」功労者に賞金が配られ、80万石、800億円が配られます。
河合先生「各藩の人たちの不満が爆発しかねないためでした」
佐藤所長「がんじがらめでどうしようもない」
実は、先駆けて改革していた藩がありました。

■紀州和歌山藩の改革

●織物と軍隊
・佐藤顕さん(和歌山県立博物館)
とある工場へ
機械音が聞こえます。
織物を作っています。綿ネルという和歌山県伝統産業です。
和歌山藩の改革に深く関わっているといいます。
佐藤さん「きっかけとなったのは和歌山藩の軍事改革です」
その内容が石碑に残ります。
織物のほか、軍靴、弾薬の製造が発展、近代的で強力な軍隊を作り上げていたのです。
「紀伊徳川洋式演武之図」
馬に慣れていない人物が描かれています。
武士でない身分のもの、身分の別ない軍隊でした
江戸時代からの常識を覆すものでした。
竹本さん「農民を軍事力にしていて、近代的であり画期的でした」
武士の給料を10分の1に削減、武士の特権を排除することで改革に成功したのです。
この改革に注目したのが明治政府です。
「風雲回顧録」和歌山での軍隊訓練を政府が熱心に視察に来た。

■廃藩置県

廃藩置県は、藩をすべて解体し、新しく県を設置するもの。
一つ大きな問題がありました。
大名たちを全員クビにすることを意味し、激しい反発が起きかねません。
推進派の木戸孝允と慎重派の西郷隆盛や、大久保利通と分かれていました。

●廃藩置県をどのようにすすめたのか?
・勝田政治さん(国士舘大学)
「廃藩置県に直接関わった人たちの日記や回顧録、後日談です」

●廃藩置県までの道のり
・明治4年7月4日
山県有朋に2人の部下が訪れ、早く軍隊をつくるべきと直談判しています。
山県は廃藩置県の断行を決意
・7月5日井上馨も同意しました。
・7月6日
井上馨が木戸孝允にやるべきだと伝えます。
山縣有朋が西郷隆盛の、説得を試みます。
慎重派の西郷が同意、その日のうちに大久保利通の説得に向かいます。
わずか2日後、動きが早いです。
・7月9日
木戸孝允の邸宅で極秘会議が開かれます。
参加者はたったの7人で正式に決まります。
・発令は7月14日
山県の直談判から10日間の出来事でした。
短期間、少人数で、極秘のうちに断行する廃藩置県の決定プロセスでした。

●廃藩置県断行
事前通告無しで藩が消滅することなったのです。
各藩の大反発、大きな抵抗は起きませんでした。
なぜ、平穏にことが進んだのか?
各藩の動きにありました。
元米沢藩主・上杉茂憲「茂憲公御年譜」
廃藩置県は当然の措置である。藩への私情にはこだわらず、朝廷のために忠義を尽くすことを希望。
このような告諭が各地の藩で出されました。
勝田さん「世の中の大きな流れ、自分たちの時代ではないという感覚がありました」

●スタジオで
佐藤所長「10日間、電光石火とは知りませんでした」
河合先生「危機感を共通認識で持って廃藩置県となりました」
ほかにも現実的な理由がありました。
それは財政難でした。
「自分から藩をつぶしてくださいという藩も出てきて、明治政府は借金を全部肩代わりと約束しました」
「御親兵という、薩摩長州土佐の軍を集め、西郷は反乱は御親兵で潰すとまで言っています」

●さまざまな改革
「徴兵令」膨大な軍事力を確保しました。
「地租改正」統一的に徴税が可能になりました。
課題が一気に解決に向かったのです。
危うい立場に立たされた人たちがいました。
「氏族」が苦境に立たされます。
河合先生「大多数の人が無職になってしまいます。ほとんど商売で失敗し、時代に適応できない人が続出しました」
氏族たちをどうするかが課題になります。

■その後の士族たち

●札幌へ
・永峰貴さん(琴似屯田子孫会)
廃藩置県後にやってきた侍の家です。
士族の暮らしぶりをしらべれば明治政府が士族とどう向き合ったかわかるといいます。
永峰さん「農具です、武士にはみえません」
家の横には畑があり、農作業に従事していたようです。
朝4時に起きて、厳しい軍事訓練や土地の開拓に勤しんでいました。
「屯田兵」という制度が士族救済の策でした。

●屯田兵制度
当時ロシアを警戒していました、北海道は国防の要となる重要な場所。
防衛、開拓で士族を救済します。
「警察制度」3000人が職にありつくことができました。
これには西郷隆盛が関わっていたといいます。
新たな役割を課すことで生きる道を与えようとしたのです。
一方、明治政府は、士族の給料を大幅に削減します。

●給料の削減
国家財政の圧迫を理由に士族への給料を廃止します。
廃刀令で軍事力はあくまで国が持つものだとしました。
近代化を徹底するには、士族の特権をことごとく廃止する必要がありました。

●士族の抵抗
・落合弘樹さん(明治大学)
「全滅覚悟で決起し、政府を反省させるという人が出てきます」
明治10年、西南戦争です。
その中心据えられたのが西郷隆盛でした。
徴兵軍が士族を打ち破った戦いだと語られてきました。
しかし近年別の側面に注目が。
西南戦争に参加したある人の日記です。
屯田兵、士族たちが政府軍に参加していたのです。
抜刀隊も新政府軍に参加、かれらも士族です。
徴兵制は過渡期の状況、政府軍が有利に戦えたのも、こうした士族たちの力が大きかったのです。
落合さん「軍、警察、屯田兵、士族同士のぶつかり合いが西南戦争だったと考えています」
明治10年9月、西郷隆盛は自刃、西南戦争が終結しました。
武士の時代は武士にによって終り、近代国家への道を歩むことになるのです。

●スタジオで
佐藤所長「武士の力が武士の世を終わらせる、皮肉以外のなにものでもないです」
実はその後、士族が深く関わった運動が、自由民権運動です。
河合先生「自由民権運動に士族が多数参加しました」
佐藤所長「武力から言論に変わった」
河合先生「世界史的にも珍しい事例です」

ーーーおわりーーー

次回は「宮沢賢治と銀河鉄道の夜」11月20日(水)22時放送です。

■感想

結局明治維新は、日本人による日本人のための改革だということですね。
太平洋戦争(大東亜戦争)後の改革と違うところがこれ。
終戦後のは外圧でやらされた改革。
先人たちはよく納得した、我慢したなあと思います。
そろそろ自分たちで改革する時期にきているのではないかと。
今の日本のごたこたを見ているとそう思えてきます。
明治維新から終戦まで約80年、そこから現在まで約80年。
ちょうど良いサイクルですよね。
アメリカの親分も変わったことだし、絶好のチャンスではないでしょうか。
制度疲労を起こしている日本国、大改革するには日本人の手に戻す必要がありそうです。


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