吉備王国の呪い(葉脈盆地2)
気楽に文章書いて、放り込もうと投稿し、写真までつけたけど、予想外の渦が発生し、情報を要求し、効果的写真撮影しろと、創作小人が騒ぎ立てる。いやはや、やれやれ、よもやよもやだ。ただ論文でなく、仮説書き散らし、概念メモと、自分で納得。
今回の山並みは、葉脈盆地の東方、岡山と兵庫の県境。峨々たるとまでいかないが、活断層あるので、盛り上がり3重に山が連なる。古代吉備王国の国ざかいだ。私の生地は吉備王国の大和方面最前線だった。岡山のローカル紙の古記事には、古代吉備王国が、現代の岡山県と広島県東部の瀬戸内側にまたがる、広域圏であり、その祭祀のコアたる吉備の中山には200人規模の巫女団がいたとある。また"吉備王国の呪い"という話もよく耳にする。ひらたく言えば、大和の謀略で鉄砲玉として、出雲王国に攻め込み滅ぼした。その激烈な祟りを受け、今度は自国が大和に滅ぼされた。なんとも半端で割り切れない話だ。図書館には、様々な岡山県本があるが、自嘲気味なハンドブックに、"岡山の二度泣き"という章がある。転勤で岡山に来た会社員が、あ〜ついに岡山のような難しい振るわない場所に来てしまったと泣き、数年後他県に転勤時に、あ〜やっと岡山から脱出できると泣く。また著名評論家、草柳大蔵氏には、"岡山県人は日本のユダヤ人"という有名な評論がある。これは一体何なのか?
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