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その場に出会ったということ、その場で出会ったということ。−Tsukuba Place Labと僕との話−


いつかそのうちに、とは思っていたけれど、ずるずると文字に残すことができていなかった話がある。

きっとこのタイミングを待っていたのかもしれないなと、ただの怠惰にそれっぽい理由をつけられたので、懐かしい記憶を引っ張り出しながら綴っていきたいと思う。

筑波大学すぐそばのコワーキングプレイス Tsukuba Place Labに、僕がいた時間の話です。


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はじまり

Labのオープンは2016年12月で、僕が初めて足を踏み入れたのは2017年の1月。オープン初期からお客さんとしてここを利用していたことになる。

僕は卒業を控えた大学4年生で、年内に卒論も提出し終わり、大学院進学を控えていろいろと考えていたり、選手としては引退した大学のサッカー部でコーチとしての活動を始めた時期だった。いわば転換期だ。


おそらくLabに来る人のほとんどと僕が違うのは、「Labに来る」という感覚の前に「Labが来る」という感覚があったということ。Labのオープン前のことなので、もっと正確にいうと「何かが来る」になる。

どこに。そのTsukuba Place Labが入居している、星谷ビルという空間にだ。

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大学2年生の頃から、このビルの1階にある珈琲店、古書店、雑貨屋、そして居酒屋にはよく出入りをしてお世話になっていた。

たまにこの並びの商店街でちっちゃなお祭りをすることがあって、その雰囲気や集う人、垣間見えるカルチャーが好きだった。

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そんな馴染みのある場所の2階、不動産会社があったところに「若い人が何か作るらしい」と知った。

Facebookで見かけたクラウドファンディングの記事を「へぇ~と思いながら」シェアしたところ、

『ありがとうございます!!』と代表の堀下恭平からコメントが来た。

2016年の夏の話。実はこんなタイミングで最初のコンタクトがあったのだ。

僕の知っていた「星谷ビルの1階」とは雰囲気が違う感じの人だなあと思ったので、なんとなく一歩引いて見ていようという気持ちが、返事に表れている。

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そんな背景もあって、12月にオープンしていたことは知っていたけれどちょっと様子を見ていて、時間も生まれた1か月後に「敵情視察」くらいの気持ちで立ち寄ったのが最初の出会いだ。(ただの星谷ビルの常連だっただけのくせにスタンスがエラそうなのは、若気の至りということにしておいてほしい)

この日を含めて堀下さんと話した最初の数回は、ひどく猫を被っていたような気がする。もしかしたらお互い様だったかもしれないなとも思っている。


ここから僕の、Tsukuba Place Labを使い倒す日々が始まった。

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コワーキングと『場』


実家で自分の部屋というのがなかったから、基本的にリビングで過ごしていた。小学校の宿題も、大学の受験勉強も、塾や予備校には行ってなかったのでずっとリビング勉強。

だから、Labみたいな場所で作業や勉強ができるのは自分に合っていて、すぐにヘビーユーザーになった。

Tsukuba Place Labはコワーキングでありながら、オープン初期から(ほんとに)とんでもない数のイベントが開催されてきた。

しかしLabの1年目、僕は全くと言っていいほどそれらに参加していない。サッカー部や研究室のタスクに追い回されてたというのもあって、イベントが始まるタイミングで学校に場所を移したりしていた。

「Labにめっちゃ来るけど通常利用だけで、イベントの時間になると帰るやつ」だった。もしかしたら、あの頃のLabだと珍しい方の人種だったかもしれない。


そんな折、記念すべきLabの1周年イベントでは朝から晩まで並行しながらイベントをやりまくるということで、「普段イベント来てない分、全部参加してみるとかどう?」という堀下さん。

その通りに2017年の12月1日、僕は朝からコーヒーを飲み、(ちゃんと食用の)虫を食べ、日本酒を飲んだ後に紅茶をたしなみ、哲学の話を聞いたり、プレゼンバトルの聴衆になり、筋トレした後にワイン講座を聴いて、トークセッションに心を奪われたりしていた。

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何かを生み出して、価値を創り出している人がたくさんいてかっこいいと思った。「あちら側」に行くにはどうすればいいのかと憧れた。

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そんなアホみたいな1日を過ごして、改めてここが多様な人が集まる場だということと、そういう場の力を感じた。


Tsukuba Place Labで初めて触れたものがたくさんある。

「場」「場づくり」という概念、イベントをつくるということ、コミュニティ、まちづくり、コワーキング…


空間に何をどの位置に配置するか、何を見えるようにして何を見せないか、人の動線はどうなっているか、という部分でのこだわりを見た。

場をオープンに保つためのコミュニケーションが必要なことを知った。

こういうイベントが面白くて、こういうイベントになっちゃうと「ちょっと…」と思ってしまうことを知った。

コミュニティというものを考えるようになった。

Labでのことではないけれど、堀下さん発案のお掃除イベントで「まちづくりってこういうことかもしれない」と気づいた。

『コワーキング』『コワーキングスペース』というものに触れたのもここが最初だ。

大学の知り合いもよく通る交差点、そこに面した2階の窓際のこたつで作業することが多かったのでよく知り合いに見かけられていて、

「あそこ、なんなの?」とよく聞かれた。

「コワーキングだよ」

「コワーキングって何?」

「ええと…」と毎回、答えに困っていた。

その頃の僕はLabしかコワーキングを知らないけれど、あの場がいわゆる「コワーキングスペース」でないことだけはわかっていたから。

僕の中の「コワーキング」のベースラインが、全然作業が捗らないあの空間になっていることについては、どうか責任を感じてもらいたい。

過ごす時間が長くなれば長くなるほど、人との関わりが楽しくて、全然作業は進まなかった。そういうコワーキングしか、僕は知らない。

『7:00過ぎに来て23:00頃までいたり、ふらっと22:30頃に来て掃除手伝ってくれたり、LabスタッフよりもLabのこと知ってたりするおもしろい”お客さん”です。客だと思っていないけど。』

※この後、「締め作業全部、1人でできちゃう系のお客さん」にまで育て上げられました


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場と人


「Labで出会った人って、なんて紹介していいかわからないんだよね」

という話で当時は常連、いまはスタッフになっているお姉さんと「わかるわ~」と言い合ったことがある。

とはいえ、文章を書きづらいのでいったん『友達』としておく。


僕がTsukuba Place Labで一番魅力を感じ、実際に享受している価値は「大人が友達になれる場所」であることだと思っている。

実は、代表の堀下さんがよく言っている「あらゆる挑戦を応援する」にはあんまりピンと来ていないのだけど、数年前のイベントで聞いた「ゲストハウスのリビングを作りたかったんですよね」にはとても共感した。僕もそういうのが好きだ。


Labで、普通に大学院生として研究したり、サッカー部でのコーチ活動をしていたらおそらく知り合えていなかったであろう人と出会い、イベントをしたり、ヨガをしたり、一緒にご飯を食べたりした。

他愛もない話をしたり、まじめに語り合ったり、どうしようもなく好きになったりした。

その頃、コワーキングというかリビングのような時間の流れ方をしていることが多かったので、みんなで突如として鍋をはじめたり、餃子を包んだりもした。

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今年の始まりに「専門性のあるキャリアについて考えるイベントをするから登壇してほしい」ということで一緒に喋ったのは、音楽の先生と物理学専攻の学生と元公務員の人。みんな友達。少し不思議だ。


何より好きだったのが、この場で個人塾の授業が行われていた時間。その塾はコワーキングスペースで個別授業をするというスタイルで、このリビングのようなコワーキングに中学生と先生である大学生が来て、授業をしている。その横で僕ら大人も仕事をしたり、遊んだり、出会って友達になったりしている。


一生懸命であったり、楽しそうな大人を子どもたちが目撃すること、そういう大人と同じ空間にいることを感じる機会は、とてもこの子たちにとって大切なことだと思った。

彼らはよく遭遇する僕の名前を知ってたし、僕だって彼らの名前も学年も部活も、ハマっているゲームも知っていた。授業の休憩時間には、Labに引いてある人工芝で一緒にゴロゴロしたりした。


一方で、Labでの時間は楽しい思い出が多いけれど、どうもそうでもない時期もあった。その頃、なんというか居心地が良くなかった。

ちょうど1年ちょっと前の時期だ。当時のLabのスタッフが総じてそれぞれの活動に忙しくて、場にスタッフが誰もいないことが多かった。

多かったというか、朝に鍵を開けて、夜に鍵を閉めるその時しかスタッフが来れないみたいな日もしばしばあったくらい。

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スタッフが誰もいないので、その時のその「空間」の雰囲気がどんな感じだったかというのは伝わらない、というのもなんとなくストレスだった。

社会人のプログラマーっぽい人が何人か利用していて、でもお互いに関われる雰囲気は全く出さず、干渉しない距離を保ちながらずっと自分の作業をして、そして帰る。挨拶をかわすこともほぼなかった。


ただの作業場のようになっていて、そこまでLabの雰囲気に対して楽しく幻想を抱いていたこともあったから、なんか違うなあと思っていて、

「いまのLab、好きじゃないなあ」と思った。


そんなタイミングで、3周年イベントにタイミングを合わせたクラウドファンディングを始めた堀下さんから「応援寄稿してほしい」と言われたが、意地を張って、「そんな気分になれないかも」と断り、あとから1万円だけ支援した。

最近、あんた自身がLabに全然いないじゃん。

そんな何様なのか、どういう立場なのか、全くもってよくわからないどうしようもない不満があったのかもしれない。初期によく来ていた人の応援寄稿にも勝手に違和感を覚えたりした。今思っても、というか当時から迷惑極まりない話だなとは思っていた。


最近、好きじゃないなあと思いながら、頻度は下がっていたが惰性で足は運び続けていたら、

3周年イベントの数日前、代表含め何人かの「Labの人たち」がふらっと集まったタイミングがあった。場の雰囲気が変わったのを感じて、「ああ、この感じじゃん」と思った。




結局のところ、ここの人が好きだったんだと気づいて、なんか意地を張ってた自分が恥ずかしく思えた。いる人が変われば場の雰囲気は変わるのは当然で、勝手に「空間」の理想を抱いて、そうなっていないことにストレスを感じていたのもアホらしいなと思った。


好きなのは空間じゃなくて、人。その人たちがつくる場。

「場に価値はない。場に集うひとだけが価値。」と代表の堀下恭平がよく言ってる。


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「居場所」と人の流動性


繰り返すが、人が変われば場の雰囲気は変わる。

思えば、初めて足を踏み入れたころのLabスタッフは代表以外みんなLabを卒業したし、その後にスタッフとして加入した面々もほとんど卒業している。

その場に関わる人が変わって、場の雰囲気が変わって、訪れる人の層も変わって、気づいたら大量の配信機材と卓球台(??)が導入されて。

もちろん人の入れ替わりもあるが、代表の堀下さん自身や事業や「場」としてのフェーズも変わっていって、それに合わせて雰囲気は変わる。

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Labの1周年イベントの写真を久々にみたら、あの頃Labで出会った人がたくさんいて懐かしく感じた。ほんとうにびっくりするくらい。

3年目くらいの頃に、その人達とLabで出会う機会はめっきり減った気がしている。

人の流動性があるってそういうことだと思う。


その時々の雰囲気やフェーズにあった人が集まるし、その場で何か得た人が次のステージに向かっているということがたくさんあって、素晴らしいと思う。


空間としてのLabから離れたって良い関係が続いている人もたくさんいるだろうし、Labの3年目、4年目の頃に出会った人たちにだって、大好きな人がたくさんいる。

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人の流動性があってこそ、場は健全でいられるし、空気が淀むことなくオープンであり続けられる。



何が言いたいかというと、「自分は長くここに居過ぎたのかもしれないな」ということ。多分、丸3年通い続けた「お客さん」はいないんじゃないだろうか。


なんだかんだ、心に強く残っているのは1~2年目あたりの「リビング感」の強いTsukuba Place Labで、おもむろにご飯を作り始めて作業中の人を巻き込無用なことが、(きっと)いまよりもっと緩いテンションで起きていた頃で、

多分その時の堀下さんやLab自体のフェーズ、その頃のLabスタッフや常連さんが生んでいた雰囲気だったのだと思う。

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人や場のフェーズが変わっていく中で、僕はお客さんとしてそこに通い続けていて、今振り返るとどこかもう少し早いタイミングで離れていても不思議じゃなかった。というか、もしかするとその方が「自然」だったかもしれない。(ただ不自然に居残ったおかげで出会った人には大好きな人が多い)

学校を卒業し、仕事を始めて、つくばを離れて。そうやって物理的に距離ができてよかったんだろうなと思っている。その時々の流れによって人が集い、その人たちが生むものが場の価値。流れに合わなくなっているなら、いったん離れよう。


「居場所感」を拗らせてしまっているからか、今年の春から夏あたりは自分がその場にいないことをなんだか寂しく感じてしまったけど、もう大丈夫。多分、行く方が寂しくなったりするから、最近はあんまり情報も入れていない。


流れが来たら、また合流するかもしれないな。

それくらいの気持ちでいる。

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いったん、おわり


Tsukuba Place Labに足繁く通う日々が僕にくれたのは、

出会わなかったであろう人との偶然の出会いだったり、そもそも日々起こる「偶然との出会い」のように思う。

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それは場づくりやまちづくり、コミュニティや様々な仕事、イベント、デザイン、人とのコミュニケーション、その場に流れてくる様々なものへのアンテナを僕に立ててくれて、

その結果、Labに足を踏み入れる前の大学卒業間近の僕が思い描いていた将来のイメージが、大きく変わってしまった。

Tsukuba Place Labで出会った「好きな人たち」とここで過ごす「好きな時間」が、えらく僕の人生の方向性を変えたのだ。


本当にもう、責任をとってもらいたい。

という言葉で、心からの感謝を伝えておきます。

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集う人が変わって、雰囲気が変わる。

Labは生き物みたいな感じかもしれない。

生きているから、様々な偶然が起きて、たまに人の人生をちょっと狂わしたりしている。

そんな偶然が起こる必然がそこにあれば、ずっとこの先もあの場は生き生きと、いろんな人を緩やかに巻き込んでいけるような気がしているのだ。



2020年12月1日、

4周年、おめでとうございます。

またジンジャーエール、送っておきますね。

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