難易度設計は折れ線グラフではないのでは?
よく、レベルデザイン(難易度設計)の本などで、下記グラフの黒線のようにプレイヤーの成長曲線があり、黄色の範囲に収まるとフロー状態となり、それを目指すことがレベルデザインである。
といった内容があったりするが、本当にそうだろうか?
サイゼリヤの間違え探しの各間違えに難易度を割り振って、どの程度のプレイヤーであれば適切な難易度か定義することは可能なのだろうか?
そもそも、サイゼリヤの間違え探しは長く愛されているような気がするが、やる回数によって発見のしやすさは変わっているのだろうか?プレイヤーは成長しているのだろうか?
と考えていくと難易度の設計は折れ線グラフでは表せないのではないかと考える。
難易度は段階ではなく許容される幅なのでは?
イージー/ノーマル/ハードと難易度を選択できるゲームはよくある。
これらは、直観的に考えると、難しさが段階的に設定されており、ノーマルからイージーに変える行為は、階段を下りるように難しさを”下げて”ゲームをクリアしやすくするように思える。ただ、ゲームをクリアしやすくするようにする設定であることは間違いないが、”下げる”というより”広げる”と言った方が、適切だと私は考える。
例えば、アクションゲームの難易度を狭めるにはどうするか、敵の動きに対して、攻撃の隙を減らしたり、そもそも攻撃がヒットするタイミングや行動を減らすのではないか、つまりプレイヤーが相手を倒す時に許容される行動が制限されるのである。難易度を広げるには、この幅を広げる行為なため、下げるというよりか広げると言った方がプレイヤー的にも難易度を変えることに積極的になる気がする。
また、こう考えるとパズルゲームなど、数値で難易度の設定ができないゲームでも難易度の調整が可能のように思えてくる。
クイズ番組などでも、1問に多くの時間が使用された場合、答えがドンピシャでなくとも正解とする場合がある、パズルゲームでもこういった答えを広く捉えらえるような設計にしておくと難易度の設定ができるようになると考える。(こう考えるとBotWなどは正解を一つとしないパズル的な遊びを設けれているので、多くの人が楽しめるようになっているのかなと。)
難易度設計は数値を設計することではなく、方向性を設計することではないか?
RPGやアクションゲームの難易度設計(レベルデザイン)を行うとする場合、どこの段階からレベルデザインが発生しているのだろうか、各パラメータを調整している時?
否。
私は、敵の種類を設計している時、もっと言えば企画段階からレベルデザインは発生していると考える。というのも、簡単なバトルや難しいバトルは前述の通りあくまで許容される幅でしかない。そう考えると各バトルの違いが窮屈の度合いだと、遊びとして消化されるのは良くてはじめの数バトルだろう。
確かにクッキークリッカーのように数値の設定だけで遊びを設けることは可能ではある。あるが人を選ぶだろう、またしてはアクションやRPGで数値だけ異なる敵と戦っていてもすぐに飽きるだろう。
もっと言えば、設計する際に答えが千差万別になるのが割と厄介だと考える。遊ぶ人によって感覚が異なるので、感じる窮屈度合いが変わってしまう。
そんな曖昧な数値で、設定して設計したといえるだろうか。
長々と書いたが結論、そのゲームの核を担保した状態で、様々な遊びを考案し、窮屈の度合いによって順番を並び変えることが、難易度設計なのではないかと私は考える。
様々な遊びというのは、アクションで言えば意識する部分、「速度があるため、後隙を狙おう」や「動きは遅いが範囲が広いため、攻撃を食らわない位置を常に意識せねば」など、そのゲームでできる遊びの方向性をいじり、すでに定義した遊びを意識させるために各種パラメータの調整を行う。
こうすると、ただ一本の折れ線グラフではなく、そのバトルにおけるグラフがあり、それらをクリアするために各種技能を屈指するようにできる。
パターンも企画によるが、広ーく取れるので飽きがきづらいかと。
ローグライトが好まれるのは、都度都度求められるパラメータが変化して、自身の持っているパラメータが異なるので、潜る度遊びが変わっている気がするので、好まれるのかなと。
難易度やプレイヤーの成長曲線が常に変化しているので、プレイする度変わって楽しいイメージ。
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