連想と飛躍
言語学でいうところの「言える」「言えない」みたいな感覚的な閾値の話なのですが、「風が強いねえ」に対して、どのような返答までがアリか、というのをうちの人と話してました。会話が成り立っているかどうかの話です。
たとえば、その話の前に「二人でなんか商売したいねえ」という前振りがあったとして、
「それにしても今日は風が強いねえ」と言われる。
→風が吹くと桶屋が儲かるを踏まえて、桶屋一緒にやらねえか?って言われるかも、と考える。
→「桶屋はやりたくないねえ」と返事をする。
というのが、冗談にしてもガチにしても、理屈をすっ飛ばす典型例だと思います。
でもこれ、人によってはその前提があったとしても、別にそんなこと考えてないよとか、風の話してんだろがボケとか、うるせえ儲かるかもしんないだろとか、ズバリ言い当ててたら成立するけれども、ほとんどの場合、的外れです。
特に前後関係なく「風が強いねえ」「おれはお前と桶屋なんてやらねえよ」となると殆ど言いがかりの部類。
これのマズいところは、意図を読み間違えたこと自体というよりも、どこまで遡って「お前ここ違うよ」って指摘すればいいのか判らないところです。
理屈筋に推測は出来るけれども、どこまで、どこで間違えてその結論になったのか判らない感じ。省略されちゃってるから。
だから確認のためには、やはりクリティカルそうな部分をきちんと聞き返すしかない。
そう考えるとやはり、僕は会話の成立のためには、名前を聞かれたら名前を言う、年を聞かれたら年を言う、というのが一番大事だと思うのです。
念のために言いますが、年と名前の話はたとえ話です。
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