【進撃の巨人の最終回を予想】ミカサのILOVEYOUでエレン鳥になるend
「(始祖の力を掌握し、)巨人を従えて世界に向かって進撃する。」そんないつかの未来の記憶に導かれた巨人。その名は『進撃の巨人』━━
いやーすごい。すごすぎる。毎度毎度、唸らされる進撃の巨人ですが、130話は特に素晴らしかったですね。
「これで何度目?」というぐらいまたもやひっくり返されたタイトル回収はもちろんのこと、地鳴らしの絵の迫力に震えちゃいました。
さて、そんな進撃の巨人もいよいよクライマックス。
去年ぐらいから、ずーっとクライマックスといっている進撃の巨人ですが 笑 ホントのホントに、いよいよクライマックスです、今。
野球でいうなら
9回裏、ハンジさんの送りバント成功で、同点のランナーが2塁へ出塁。
ここからクリーンナップのリヴァイ、ミカサ、アルミンが控えている
ってところでしょう。
おそらくあと3~4話ぐらいで終わるのかな?と予想してますが、進撃の巨人という物語はここまで終盤になっても、いまだに謎が残っているし、こんな状況になってしまって、どうやって話を締めくくるのか?まったく展開が読めないんですよね。
ただ、そういう展開だからこそ、僕みたいな考察好きにはたまらないわけでして。
あれこれ思いを巡らせているうちに、居てもたっても居られなくなりまして、前回の「ミカサの頭痛の謎」に引き続き、今回は「最終回に至るまでの展開」を気が付いたらこうして書き連ねておりました。
というわけで、今回も妄想多めの長文です。
前回、消化不良で終わった「ミカサの頭痛の謎」や「将軍家が壁に残った理由」も新たな解釈を加えて大幅に加筆修正(というか、180度の方向転換)しています。
是非、暇つぶしに読んでもらえたらと思います。
始祖、進撃、将軍家の「三すくみの関係性」を再定義
今回、最終回までの展開を考察するうえで、重要な前提条件として考えたのが、ヒィズルの将軍家の家紋があらわす「三すくみ」の関係です。
この将軍家の家紋については、そもそも「三つ組み筋違い」という
「三者が支え合い倒れない」という意味があるそうなんですね。
しかし、
現在の進撃の巨人の展開を見ると、その意味は「三すくみ(※)」の
「お互いに牽制する関係性」と捉えたほうが、シックリきます。
※「三者の力関係が拮抗している状態」→例:じゃんけんのグー・チョキ・パーの関係性
具体的には、
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・始祖 → 将軍
始祖の平和思想に異を唱えた将軍家は迫害されることに...
・進撃 → 始祖
始祖の独善が進撃の怒りを招き、力を奪われることに...
・将軍 → 進撃
地鳴らしを起こした進撃を将軍(ミカサ)が止める。
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この三者の関係性ですね。
もともとヒィズルの家紋の意味と三すくみの関係については、進撃の考察ファンにはおなじみのYOUTUBE「タキチャンネル」を見て知りました。
「確かに、この三すくみの関係性で話が進んでいるよなー」
と、つい最近までは思っていたんですが、130話、131話を繰り返し読んでいるうちにちょっと考えが変わりました。
「この三すくみの関係性だけど、矢印の方向が逆なんじゃないか?」と。
で、新たに僕が考えた三者の三すくみの関係性がこちらです。
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・始祖 → 進撃
進撃を利用して、始祖(ユミル)を解放させる。
・進撃 → 将軍
将軍家の力を封じる?地鳴らしが起こる未来を教えた可能性も。
・将軍 → 始祖
地鳴らしを止める&ユミルの呪いを終わらせる
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以上のように「始祖」「進撃」「将軍家」の三すくみ関係性を再定義したことで、生まれたのが今回の考察になります。
ということで、ここからが本編です。
エレンとは何者なのか?
進撃の巨人を読んでいて、ずっと疑問だったことの1つが、エレンの生まれつきの異常な自由への意志です。
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「(自由を求めるのは、)オレがこの世に生まれたからだ」
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物語の序盤から現在に至るまでエレンはずっとこの調子なんですが、正直ちょっとおかしな人ですよね 笑
そんなちょっとおかしな人であるエレンなんですが、130話、131話を読んで見えてきたのは、エレンが自由の奴隷だということと、ずっと始祖の操り人形だったんじゃないか?
ということです。
この巨人の姿を見てどう思います?
始祖に操られている進撃のマリオネットって感じですよね。
ラスボスといっていいこの「始祖×進撃の巨人」の姿をわざわざこんな操り人形を思わせる姿形にしたのって、絶対に意味があってのことだと思うんですよ。
もし、本当にエレンがずっと始祖の操り人形だったとしたら、エレンの生まれつきの異常なまでの自由への意志は次にように説明できるのでは?と思います。
エレンは、解放を願うユミルの自由を求める意志が生み出した特別な一個体
ってことです。
別の言い方をすると、エレンの異常なまでの自由を求める意志は、「ユミルを解放する者として宿命づけられた習性」だってことです。
エレンは、ユミルの自由を求める意志の結晶
「ユミルは意志をもたない奴隷である」と、ジークをそう言いました。
でも、実際はそうではなくてずっと意志はあったんです。でも、道のどこかに置いてきた。そのずっと道のどこかに置いてきた意志が流れ着いた先が、エレンという器なんですね。
だから、
エレンは、ユミルの自由を求める意志の結晶だと考えていいと思います。
こう考えると、エレンが生まれつきの異常なまでに自由に執着するのも、
不自由や奴隷に対して怒りを持っているのもわかると思いませんか?
エレン自身が言っていますが、エレンを座標へと導いたのはユミルです。
ユミルにとってエレンは片割れというべき存在であり、自らを解放するには
ユミルの自由への意志を具現化させたエレンの存在が必要でした。
だから、ずっと2,000年前から呼びかけていたんです。
そしてその想いがついに届いたのが、第一話の冒頭の「いってらっしゃい」のシーンであり、あの日、あの場所から、ユミルとエレンは呼応し始めたんじゃないでしょうか。
そして、二人が呼応し始めた同じ日に、巨人が壁を破壊し、エレンが巨人を一匹残らず駆逐することを誓い、進撃の巨人がグリシャから継承された。
舞台が整い、役者が揃って、物語がはじまったわけです。
これって果たして偶然なんでしょうか?それともすべて誰かがお膳立てをして決まっていたことなんでしょうか?
エレンの行動は自由意志によるもの?それともユミルの解放者としての習性?
とまぁ、ここまで話をすると、これまでのエレンの行動すべてが怪しくなってきますよね。
「オレは自由だ」「オレが何をしようと何を選ぼうとそれはオレの自由意志が選択したものだ」
こんな発言をエレン自身はしているわけですが、これって裏を返せば、自分は不自由だと白状しているようなもんですからね。
実際にこの発言の後、アルミンとミカサを突き放す発言をするわけですが
この部分、改めて読み返してみると非常に面白いです。
アルミンに対しては、「お前はベルトルトの記憶に支配されている」と言っておきながら、当の本人は未来の記憶に支配されてがんじがらめです。
ミカサに対しても、「俺への執着はアッカーマンの習性によるものだ。」なんてことを言いながら、自分の自由への執着は、ここまで述べてきたように、ユミルを解放する者としての習性である可能性があるわけです。
「あれ?エレンこそ自由意志のない奴隷じゃないの?」
エレンもそれに薄々気づいてるところがあるからこそ、ミカサの執着とアッカーマンの習性を結びつける作り話を思いついたんだと思うんですね。
さらに、
「ミカサを傷つけることが君が求めた自由か?どっちだよ、クソ野郎に屈した奴隷は」
「ッ... 誰が奴隷だ」
アルミンが発した「奴隷」という言葉に歯噛みし、過敏に反応しています。
この反応は、薄毛を気にしている人に「ハゲ」といった時と同じ反応です。思い当たることがなければこんな反応しませんもん 笑
ただ、この「エレン自身が奴隷だった」というところに、エレンを止めるためのヒントが隠れていると思います。
131話の座標のふもとにいるエレンが巨人になる前の「子供の姿」であることを考えると、多分、未来の記憶に支配されていない&ユミルを解放する者としての習性もない「本来のエレン」がいるはずなんですよ。
「ユミルの解放者として自由の奴隷と化すしかなかった宿命から抜け出して、本来のエレンを取り戻すこと。」
エレンを説得して地鳴らしを止めさせることができるとしたらこの方向でアプローチするしかないんじゃないかと。
もちろんエレンに本来のエレンを思い出させるのはアルミンの役目です。
ミカサのILOVEYOUで物語は終わりを告げる
「この物語に欠けているのは男女の性愛。だから落としどころがあるとすればソコ」
引用:シリーズ 深読み読書会「進撃の巨人~人類再生の物語」
これは深読み読書会の進撃の巨人の回で、仏文学者の鹿島茂さんが進撃の巨人のラストを予想するなかでお話されていた内容です。
番組が放送された当時は、ちょうどマーレがパラディ島に奇襲を仕掛けてきたときぐらいで恋愛要素というのはまるでなかった時です。
なので、
このラスト予想は「どうだろうなー」という感じで軽く聞き流していたんですが、さすが鹿島さんというべきか、なんというか、その後、作中では男女の性愛が描かれ出しました。
・アルミン&アニ
・ガビ&ファルコ
まさか進撃の巨人で登場人物同士のカップルができて、頬を赤らめる胸キュンシーンが描かれるなんて思いもしませんでしたけどね。
となるとですよ、
エレンとミカサの関係についてもう一歩踏み込む場面が描かれるのは、これはもう間違いない話で、特にミカサがエレンへの愛を伝える場面は絶対と言い切っていいぐらい登場するはずです。
ずーーっとミカサはエレンへの気持ちを「家族だから」とか「命の恩人だから」と言葉を濁してきました。その言葉に嘘はないんでしょうけど、やっぱり最後の最後は、エレンにILOVEYOUを伝えないといけません。
「すべては最初から決まってたのかもしれない。
それでも考えてしまう。あのときもし私が別の答えを選んでいたら
結果は違っていたんじゃないかって...」
このセリフががすべてのような気がします。
ミカサのILOVEYOUには世界を変える力がある。
ミカサがエレンにILOVEYOUを伝えていれば、地鳴らしも起こらなかっただろうし、きっと地鳴らしを止めることもできるんだと思います。
そもそも、フリッツ王がユミルに対して愛ある言葉をあの最後の瞬間に投げかけていれば、今とは違う世界になっていたのは間違いないわけですから。
で、
そんなミカサがエレンにILOVEYOUを伝える瞬間には、長らく謎だったミカサの頭痛も将軍家の壁にとどまった理由も解けるはずです。
ミカサの頭痛は「ユミルの失われた記憶」に起因する
ミカサの頭痛については、ほんとににあれこれ考えてきましたが、妄想の末たどり着いた答えがこれです。
「ユミルが巨人になってから死ぬまでの13年間の記憶」です。
ユミルは死の間際、
・巨人の力を手に入れてフリッツ王に尽くしたこと。
・フリッツ王に愛されたいと願ったこと。
・フリッツ王の子を生み、家族になれるのではないかと期待したこと
これらすべてが無駄だったと悟りました。
そして絶望して死を選んだわけですが、その際に、巨人の力を手に入れてから今までの記憶すべてを忘れてしまいたいと望んだんじゃないでしょうか?
だから、座標でのユミルは巨人になる前の少女の姿なんだと思います。
しかし、
巨人になってからの愛を求めた13年間の記憶は消し去られたわけではなくて、思いもよらないどこか別の場所に保管されているわけですよ。
それってどこに?→ミカサにです。
そもそも進撃の巨人における頭痛は、何かを思い出しそうなとき、あるいは何を思い出そうとすることに対しての拒否反応です。
ミカサが頭痛を引き起こしたシーンに共通するのって、「愛を注いだものが消えてなくなる、裏切られる」そうした気持ちが強く沸き上がったときじゃありませんか?
消してしまいたい13年間の「愛を注いだものが消えてなくなる、裏切られる」記憶が呼び起こされそうになるから、それを思い出すまいと必死に蓋をしようとする反応がミカサの頭痛の正体なのかなと。
とすると、
ミカサがもしユミルに直接触れるようなことがこの先あるのなら、それをきっかけに、ユミルが忘れたいと望んだ「愛」を欲した13年間の記憶を思い出すかもしれません。
・愛する存在、家族、大切な人を失うこと
・愛を願うも拒絶されること
・愛・夢・自由・希望を求めた人生が否定されること
こうした記憶とそれに付随する感情(悔しさ、辛さ、悲しさ)が戻ってきたとしたらユミルはどうするでしょうか?
自分と同じ思いを他人にも味あわせるでしょうか?巻き添えにするでしょうか?
そもそも自分はフリッツ王に最後の最後に絶望しました。でも、ミカサは世界が終ろうとするこの期に及んでまだなおエレンを信じているし、命の危険を顧みずに、エレンのもとにやってきた。
ミカサのその姿、そして、エレンへのILOVEYOUに最も触発されるのは、エレンというよりも愛を乞う人生を生きたユミルなんだと思うんですよ。
愛を求めた13年間の記憶を思い出し、さらに自らが体験したかった「愛」をミカサの行動の中にみることで、ユミルのなかで何かが変わり、地鳴らしが止まるんじゃないとかというのが僕の予想です。
ちなみに、このミカサのILOVEYOUで地鳴らしが止まる説は、『散歩する侵略者』という映画が参考になっています。
この映画では侵略者(憑依型の宇宙人)がいて、人間のさまざまな概念を奪い取って自分達のものにしていくんですね。
地球人の概念も一通り経験し、地球を侵略する最終段階で、最後に愛の概念を奪い取るんですね。そして、侵略者たちの本隊のUFOが遂に地球に到着してラストを迎えるんですが...
→すんでのところで地球の侵略を中止するんです。
なぜなら、「愛を知ってしまったから」です。
いかがですか?なかなか面白いでしょ?
進撃の巨人も最後の落としどころは「愛」になるのかどうか?非常に注目しています。
将軍家が壁の世界にとどまったのは未来を知っていたからではないか?
さて、将軍家が壁に残った理由です。
前回の考察では、将軍家には、道に介入できる能力があってそれが始祖にとってやっかいなものであるため監禁されたんだという話をしました。
→はい、これは撤回します。
始祖に監禁されたのではなく、将軍が始祖を監視するために壁に残ったというのが今の考えです。
そもそも将軍家の役割というのは、新たに定義した「三すくみの関係性」から考えると、「将軍家→始祖」ですから、矢印が逆になります。
その意味するものは、始祖を監視して世界のバランスを保ち、いざというときは巨人から世界を救うというものだと思うんですね。
もしかすると、壁にとどまった将軍様は、いつかの未来、地鳴らしが起きて世界が崩壊の危機を迎えるとき、始祖を止めて世界を救うのが将軍家の末裔だということを知っていたのかもしれません。
で、
始祖が壁に閉じこもろうとするのを知った時、その日(地鳴らし)は近いと感じて、壁にとどまることを選んだわけです。
壁の王が記憶を改ざんして一糸乱れぬ平和を実現しようとしたことに反対した理由も明らかですね。そうした壁の王の独善が進撃に力を奪われる呼び水になり、いつかの未来の地鳴らしにつながることを知っていたからです。
結局、将軍様は壁の王を止められず、挙句の果てには迫害されることになったわけですが、それでも将軍家の末裔が壁の中でアッカーマンと出会い、世界を救う子を生むと知っていたなら壁の中にとどまりますよね。
巨人の力(地鳴らし)により危機を迎える世界を救うのが将軍家が背負った宿命だからです。
地鳴らし後の世界 将軍の末裔(ミカサ)が世界を救ったという物語
地鳴らしが止まった後はどうなるでしょうか?
ここからはもう完全に妄想です。
正直な話、エルディア人がエルディア人を倒したところで自作自演のマッチポンプですから世界に対してまったく説得力がありませんよね?
そこで、ヒィズルの出番です。
将軍家の末裔(ミカサ)が反イエーガー派を率いて、世界を救ったという物語を語れば...
世界を救った英雄となるヒィズル国(キヨミさん)が仲介役となるなら...
パラディ島と世界が交渉のテーブルにつける可能性がわずかながらでてくるのではないでしょうか?さすがに手と手を取り合ってハッピーエンドというのは無理でしょうけど。
世界を救ったヒィズル国が一等国へと復権する以外は、
・ユミルの民は巨人性が消失して人間として再出発
・壁の外の世界は更地になったマーレ大陸を手に入れて復興めざして再出発
各国振り出しに戻ってよーいドンの状態になるという結末になりそうな気がしています。
パラディ島からすれば、相当な時間稼ぎはできたけど、これからが大変だーという結末にたどり着けたら万々歳じゃないでしょうか。
ちなみに、ドイツ語でイェーガーは「狩人」、アッカーマンには「畑を耕す人(農民)」という意味で、それぞれ「時代を終わらせるもの」と、「新しい時代をはじめるもの」というニュアンスも含んでますよね。ここまで考えて名前をつけていたんでしょうかね?諌山創恐るべしです。
「お前は自由だ...」最後のコマはこうなる!
エレンは世界にたいして取り返しの付かないことをしてしまった以上、地鳴らしが止まれば、しかるべき責任をとらなければなりません。
おそらくエレンとしては存在できなくなるはずです。
ユミルは有機生物の起源と接触して巨人になりました。小さく弱いものだったからこそ、大きく強いものを望み、そして巨人になったんじゃないかという考察があって、なるほどなーと思ったんですが、
では、エレンが何にでもなれるとしたら、何を望むでしょうか?
僕は「完全なる自由な存在」になることを望むと思います。肉体にも空間にも時間にも何ものにも縛られない自由な存在です。
これがようするに、僕が考える「エレン鳥になるend(自由の翼を持つもの)」です。
「いってらっしゃい、エレン」はそんな自由な存在になることを選んだエレンをミカサが送り出すシーンです。
エレンが肉体にも空間にも時間にも何ものにも縛られない自由な存在になれば、
・怪しいカモメ
・記憶の断片にでてきたファルコを見下ろす鳥の視点
全部説明つきますよね。あらゆる視点になれるわけなので。
ユミルについては、これはもう大方の予定通りヒストリアの子として生まれかわるのではないかと思います。
愛されるために、です。
このヒストリアの子として生まれてきたユミルを自由な存在になったエレンが見にきて、自分が生まれたとき、グリシャに抱きかかえられた光景と重なって、最後のシーンです。
「お前は自由だ。」
こうして進撃の巨人は終わりを迎えると予想します。
まとめ
今回語った進撃の巨人の最終回展開ですが、ハッピーエンドにはなりえない現在の展開から考えて、考えうる限りの最高のハッピーエンドなんじゃないかと勝手に思ってます。
最後のコマとされる「お前は自由だ。」の意味を最高にポジティブにとらえた結果なので。
「お前は自由だ。」というセリフ自体は、これまで作中で何度か登場しているわけですが、いずれの場面でもその言葉の意味とは異なり、死ぬしかない状況に追い込まれたときに投げかけられた言葉です。
つまり、
進撃の巨人において「お前は自由だ。」というセリフは、これまでのところ死刑宣告と等しい意味をもつ言葉として使われているってことです。
そう考えると、最後のコマの「お前は自由だ。」は
・自由の奴隷として不自由に生きなければならないエレンへの呪い
・そんなエレンに殺される人類に対する死刑宣告
という解釈もできるんですよね。
「進撃の巨人」というタイトルの持つ意味がこれまで幾度となくひっくり返されてきたように、「お前は自由だ。」の意味も、これからの展開次第でいかようにも変わってしまうので、それが非常に楽しみです。
はてさてどうなることやら。。。
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