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直美を考える若手医師は、美容整形の由来を知って、立ち止まって考えてもらいたい
地域医療の会議で、医師会の先生から、直美の問題が指摘されました。
直美さんという女性が問題なのではなく、直美(ちょくび)と呼ばれる、医師免許を取得して2年間の臨床研修を終えた直後の美容医療の診療所で働き始める若手医師の問題です。
こうした医師は、毎年約9000人の医師免許取得者のうち、200人規模にのぼるとも。
社会的な価値観の変化で美容医療が身近になって、一部の大手診療所チェーンが若手医師に高額な報酬を提示していることで、増えています。
こうした直美の問題は、二つの弊害があると指摘されています。
一つ目の弊害は、医師偏在を助長することで、
二つ目は、医療事故を起こしやすいということ
です。
美容医療は都会に集中しています。直美が増えると、地方の医師が減ります。
美容医療に従事する若手医師は、経験が浅いので、未熟な医療技術による医療事故の増加が懸念されています。
健康人への美容医療は自由診療ですが、健康被害を受けた「患者」への治療は保険診療となります。
つまり、医療財政全体に関わる問題となるのです。
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美容医療の歴史的な経緯を紹介したいと思います。
そもそも、美容医療のコアとなる形成外科は、軍陣医学から発展したものです。
英国の二人の軍医がこの分野の発展に貢献しています。
第一次世界大戦中の1915年に、耳鼻科医のギリスは、陸軍の軍医大尉として従軍しました。
パリにある米軍病院で、米軍の口腔外科医からドイツの医学書を貸してもらいました。
ギリスは、この口腔外科の医学書をもとに、下顎骨骨折や、口腔周囲の障害の治療を学びました。
戦後になって、ロンドン郊外にあるクイーンズ病院に勤務しました。
ギリスは、画家のトンクスと会いました。
トンクスは外科医学に興味を持っていました。
傷やその治療、回復後の状態などについて、トンクスにデッサンで描かせました。
今で言えば、ビフォー、アフターです。
現在は、医療の広告規制で禁止されています。
こうして、ギリスは、皮膚移植や皮膚弁の技術を進化させていきます。
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もうひとりの軍医、マッキンドウは、第二次世界大戦中に英国空軍病院で勤務しました。
パイロットの重傷のやけどや外科治療を行いました。
この分野は、前人未踏であり、ひどい傷害を受けた空軍パイロットたちの顔を何度も手術を行ったのです。
マッキンドウは、顔面に傷害を受けた元パイロットを集めて、徹底的な治療を行います。
こうした元パイロットたちのグループは、「モルモット・クラブ」と自称しました。
英国の戦闘機スピットファイヤーに搭乗するパイロットたちは、目を覆うような傷害を治すことができる優秀な外科医がいることを知って、勇気百倍となりました。
つまり、バトル・オブ・ブリテンは、美容形成外科医が陰で支えていました。
この二つの世界大戦を通じて、形成外科は進化し、戦後は大繁盛しました。
新しい鼻をつくることに、もはや問題はなくなっていたのです。
大昔のインドに追いつきました。
美容医療は、軍陣医学から始まったのです。
主たる顧客は、第一次世界大戦の塹壕で戦った陸軍兵士と、第二次世界大戦の空で戦った空軍パイロットでした。
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直美を考える若手医師は、こうした医学の由来を知って、立ち止まって考えてもらいたいと思います。
どうせなるなら
自衛隊の医官になって、陸上自衛隊の駐屯地や航空自衛隊の基地に勤務して、軍陣医学の王道を経験するとか、
顔面の治療を行う耳鼻咽喉科や皮膚科や形成外科で技術を徹底的に磨くとか、
そうした経験を踏まえてから、
美容整形の道に進んでも、遅すぎることはないと思います。
はじめるのに、遅すぎることはない。
これは個人の感想です。