人に致して人に致されず
健康の定義は、WHOによって1948年に示されています。
健康とは、身体的・精神的かつ社会的に完全に良好な状態にあることであり、単に疾病又は虚弱でないことをいうのではない。
その2年後に、ILO(国際労働機関)とWHO(世界保健機関)の合同委員会が1950年に策定した「労働衛生の目標」は、次のように規定されています。
労働衛生(職業保健)は以下のことを目的とすべきである。
すなわち、すべての職業に従事する人々の身体的、精神的及び社会的健康を最高度に保持増進せしめること。
労働条件に起因する健康障害を予防すること。
健康に不利な諸条件から雇用中の労働者を保護すること。
労働者の生理的及び心理的特性に適合する作業環境に配置維持させること。
これらを要約すれば、仕事の人への適合と、人の仕事への適合をめざすことである。
最後の要約において、「仕事を人に合わせること」の方が先に書かれていることから、仕事を人に適合させることの方が重要であることが明らかです。人を仕事に合わせることよりも優先順位が先になっています。
同じような記載が「孫子の兵法」にもあります。
善く戦う者は、人を致して人に致されず。
(訳)戦上手は、相手の作戦行動に乗らず、逆に相手をこちらの作戦に乗せようとする。
これは主導権を握ることが大切だと、私たちに教えてくれます。言い換えると、「仕事を致して、仕事に致されず」ということになります。
つまり、うまく仕事をさせるようにするためには、職業環境や作業環境を意のままに、人が仕事をできる状態にしなければなりません。
トム・ハンクスが主役の米国の映画「アポロ13」を見たときに、この労働衛生の目標が突然目の前に浮かんできました。
地球から月に向かう飛行中に、宇宙船の故障が発生しました。
ミッションである月面到着をあきらめ、急遽、地球に引き返すことになりましたが、果たして3人の宇宙飛行士は、無事に帰って来られるのか。
宇宙には、空気がありません。温度は太陽の光が当たれば超高温、太陽が隠れたら超低温、気圧はゼロ、無重力の世界です。人体に有害な宇宙線が降り注いでくる世界です。水も食料もありません。排泄物の処理はどうするのか……。
3人のクルーは、彼らの身体的及び心理的素質に適合する宇宙船に配置維持されるべくハードな訓練を経て選び抜かれた逸材でした。
そのうちの一人が風疹に罹患した可能性があることから、出発直前に乗組員から外され、別の者と交替させられます。
宇宙空間という労働条件に起因する健康障害の予防や、健康に不利な宇宙の諸条件から宇宙飛行士を保護するために、地上の管制官たちは、あらゆる英知を結集させました。
外された宇宙飛行士は、地上に建設された宇宙船と全く同じ構造物の中に入って、実際の宇宙船の中で生じている状況を再現しようとします。
宇宙船内の二酸化炭素の濃度が上昇して、このままでは意識混濁となる事態が発生する恐れがありました。二酸化炭素を吸収するフィルターを船内に装着する方法を地上で考え、その方法を無線機で伝えて、二酸化炭素濃度上昇の危機を乗り切りました。
宇宙船内のクルーと地上の管制官たちは、結束して労働衛生の目標を達成させ、無事に帰還させたのです。あらゆるトラブルが生じても、「主導権」は渡しませんでした。
宇宙船内の異変に最初に気が付いたのは、地上の管制塔の医師でした。クルーに装着されていた心拍数を計測する装置の数値が突然上昇したのです。
「何かが宇宙船内に起こった」と判断しています。
このように、主導権を握るためには、さまざまなアンテナを張り巡らせていなければなりません。
太平洋戦争において、日米両軍は南方の諸島で戦いをしました。
日本軍は必ず夜襲をしかけてくると予測していた米軍は、自軍の周囲のジャングルに収音マイクを設置して、日本軍兵士の行軍してくる音を察知して、攻撃に備えていました。
発光弾を打ち上げて昼間のような明るさにして、目に見える日本軍に対し圧倒的な火砲を使って攻撃をします。
夜襲は、仕掛けられた方は不意打ちとなって混乱・動揺することが多く、仕掛ける側にとって主導権を握る戦法ですが、米軍の方が孫子の「人に致して人に致されず」とということに忠実な戦い方をしています。
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