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作家の吉村昭さんは、下北半島の小説を三つ書いている

日本人で、「公式に」最初に種痘を実施したのは、1849(嘉永2)年のオランダの商館医モーニッケによるオランダ経由の痘苗を使った佐賀藩の藩医楢林宗健です。

それよりも25年も早く、ロシア経由の痘苗を使い、医師ではない中川五郎治が蝦夷地の松前で種痘を行っていました。

作家の吉村昭さんが、小説「北天の星」で下北半島出身の中川五郎治が種痘を行ったことを描いています。

五郎治がエトロフ島の番人をしていたときに、ロシア船に捉えられシベリアに連れて行かれました。

好奇心旺盛な五郎治は、シベリアで行われている種痘の技術を習得して日本に帰国します。

日本人で初めてスキーをした人物とも言われています。

松前を中心に種痘を行いましたが、その技術は、誰にも教えませんでした。

五郎治の種痘の噂を聞きつけて、教えを請いたいと秋田からやってきた医師にも、自分の生活の糧となっているので教えることはできないと拒絶しています。

五郎治の亡くなった後は、松前における種痘の技術は途絶えてしまいます。

私が青森県のむつ保健所に勤務していたときに、このことを新聞で知りました。

厚生省にいたときには全く知りませんでしたので、驚きました。

さっそく本を買って読みました。

ちょうどその頃に、青森県医師会から医師会の雑誌に原稿を依頼されていました。

そこで、中川五郎治のことを書きました。

むつ保健所管内の出身で、日本で初めて種痘を実施した功績があるのに、地元に顕彰するものが何もないのは大変さみしい。

出身地である川内町に、吉村昭先生を呼んで講演をしてもらい、町内に五郎治を顕彰する碑ができることが私の夢である。


青森県の医師会長が私の文章を読んで、青森県の部長に話をしたそうです。

いきなり、むつ保健所に、作家の吉村昭さんを呼んで講演会をする予算が令達されてきました。

困ったのは、むつ保健所の我々でした。

吉村昭さんの住所など全く知らないので、どうすればいいか途方に暮れていました。

むつ市出身の薬剤師の課長さんが、北天の星の後書きに「むつ市教育委員会の相馬努氏には取材でお世話になった」とあるのを見つけました。

調べてみると、むつ市の福祉事務所長をしており、すぐに連絡をしてくれました。

相馬所長から東京の吉祥寺の吉村昭先生の住所を教えていただき、「大変律儀な人で、手紙を書くと必ず返事を下さる」というアドバイスもありました。

手紙を書いたところ、すぐに返事がありました。

2月に岩手県の田老町に行くので、翌日は空いているという内容でした。

そこで、むつ市まで来ていただくことになりました。

講演会の前日の夜、吉村昭氏が泊まったむつ市内のホテルで、川内町の町長さんと一緒に食事をしました。

吉村先生は杯をかわしながら、町長さんに中川五郎治の碑をつくることを勧めておりました。

さて、当日です。

人口8000人の川内町の体育館には、800人が集まりました。

保健所から案内を出していたので、新聞記者などのマスコミも集まりました。

最初に、主催者の川内町の町長さんが挨拶をしました。

「中川五郎治の碑を建設することにします!」といきなり宣言したではありませんか。

関係者一同は驚いて、川内町の助役さんに聞いたら、いまの話は全く知らないということでした。

町長さんのアドリブ発言でした。

平成16年に中川五郎治の碑が完成しました。

町村合併で、川内町はむつ市と合併することになり、町としては最後の仕事になりました。

起工式をやる前に、町長さんが厚生労働省まで来ました。

発起人のひとりになってくれと頼まれました。

「この後に、吉村先生のご自宅に行きます」とうれしそうに話しておられました。

完成した碑の写真を見ると、裏側に吉村昭先生や町長さんと一緒に私の名前が載っています。

吉村昭先生は、この2年後に亡くなりました。

ご存命中に、碑が完成してよかったです。

吉村昭先生は、日南市の飫肥出身の外相小村寿太郎を描いた「ポーツマツの旗」や、宮崎市の高岡出身の海軍軍医の高木兼寛を描いた「白い航跡」など宮崎県出身の偉人を描いています。

二人とも、私が小説を書くまでは、宮崎県ではあまり評価されていなかった人物だったんだよ」と笑って言っておられました。

下北半島を舞台にした小説には、「北天の星」以外に、大間のマグロ漁師を描いた「魚影の群れ」、幕末に日本に来たペリーの通訳を描いた「黒船」があります。

この話を吉村先生にしたところ、講演で「昨夜、保健所長さんに下北半島を題材にした小説が3つありますね、と言われました」というところから話が始まり、感動したことを覚えております。

「魚影の群れ」は映画化され、若い夏目雅子さんが出演しています。

大間の巨大マグロは、東京の築地の初競りで「億」の値段が付くほど有名になりました。

中川五郎治の碑の実物は見たことがないので、いつか下北半島に行って見てきたいと思います。

予防接種は公衆衛生の原点!

自分の名前も確認したいと思います。

このことをきっかけに「夢は文章にするとかなう」ということを学習しました。

ちなみに、「北天の星」は講談社文庫から出ており、おすすめです。

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