アフガニスタンでは、百の診療所より一本の用水路である
開発途上国の農村におけるプライマリ・ヘルスケアの実例は、大変考えさせられます。
水不足による不衛生な水の使用が原因で、下痢症が流行している地域に井戸を建設し、浄水の供給と衛生環境の改善を図る取組を進めると、乳児死亡率の改善につながります。
医療よりも水対策の方が、住民の健康対策として重要になります。
アフガニスタンで医療活動をしてきた日本人医師の中村哲さんの取組が、代表的な例です。
患者診療から井戸掘りに転換して、土木工事を行って用水路を引く活動に主力を移しました。
アフガニスタンで非業の死を遂げた中村先生の書いた文章を読むと、医療よりもはるかに多くの人の命が救えるかが実感できます。
飢餓と渇水を前に医療人は余りに無力で、辛い思いをする。
清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった。
私たちは「百の診療所より一本の用水路」を合い言葉に、体当たりで実事業に邁進してきた。
実際、診療所付近で落命する患者たちは、ほとんどが小児であった。
栄養失調で弱っているところに汚水を口にし、赤痢にかかる。
健康なら死ぬことはないが、背景に食料不足と脱水があると致命的である。
子どもだけではない
多くの病気は十分な食糧と清潔な飲み水さえあれば罹らぬものであった。
中村先生の活動をテレビで見て、なんで医者が土木作業をするのか判りませんでしたが、この文章で謎が解けました。
中村先生は、故郷の福岡県で昔に築かれた堤防や、ため池を造った先人たちの知恵を調べて、アフガニスタンの用水路の建設に取り組みました。
どうして中村先生のような人が殺されるのか、全く訳がわかりません。
アフガニスタン人は恩知らずではないか、と思いました。
しかし、江戸時代の延岡藩の家老の藤江監物という人物の話を知り、考え方が変わりました。
藤江監物は、宮崎県日之影町にある岩熊井堰の建設を進めた人物です。
「ひばりの巣」といわれた水の来ない土地に、五ヶ瀬川に堰をつくって水をひけば、田んぼがたくさんできて、米を増産できる。
1724年に監物は、この地元からの要望をすいあげて、郡奉行の江尻喜多右衛門に堰と用水路の建設を命じました。
しかし、台風や洪水が起きて、なかなか工事が進みませんでした。
1731年には、建設反対派の讒言によって、監物とその子三人が、日之影の舟の尾の牢に入れられてしまいます。
軍用資金の流用の疑義がある、ということでした。
病弱だった長男が入獄後四〇日目に病死します。二四歳でした。
監物は抗議のために絶食して、獄死します。四五歳でした。
建設工事は、郡奉行の江尻らの熱意によって粘り強く続けられて、1734年に岩熊井堰と用水路が完成しました。
これにより、三〇〇石の増産となりました。
監物は無実の罪でした。
生き残った二人の子どもは、出獄して名誉を回復されています。
藤江監物の命日には、今でも毎年、関係者が集まり慰霊祭が開催されます。
このように、いいことをする人が非業の死を遂げることは、我が国でもあることです。
藤江監物親子の墓や碑が、日之影町や延岡市内にあります。
アフガニスタンにはなかなか行くことはできませんが、岩熊井堰や監物親子の墓や顕彰碑に行ってみたいと思っています。