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旭化成の創業者「野口遵」は延岡市では評価され、水俣市では酷評されている

延岡市にある野口遵記念館を見学してきました。
旭化成の創設者である野口遵の一生を紹介したパネルを見て、スケールの大きい人だと改めて思いました。

野口遵にはあまりいいイメージを持っていませんでした。
なぜならば、水俣病を起こしたチッソ水俣工場を作った人が、野口遵だったからです。
熊本県や水俣市の人が、野口遵記念館を見たら驚くと思います。
野口遵は、昭和19年1月15日に亡くなっています。

5月1日は水俣病公式発見の日です。
毎年、水俣市で慰霊式が開催され、環境大臣や熊本県知事、患者団体の方々、チッソの会長などが出席します。

昭和31年4月に病院の小児科の医師が、重篤な神経症状を呈している二人の姉妹を診察しました。
医師は驚いて、症状から日本脳炎を疑いますが、まだ蚊の発生する時期ではありません。
近所に似たような症状の子どもがいるかどうか、母親に尋ねました。
母親の答えは、「いる」とのこと。
小児科の医師は、院長に相談しました。
院長から、水俣保健所に届け出るように指示されました。
「奇病発生」という届け出がなされた日が、昭和31年5月1日だったのです。

その後、水俣保健所では、水俣市医師会の医師たちの協力を得て、症例基準を作り、その基準に合致する患者がいる地域の疫学調査を行っています。
患者は、水俣湾に面する漁業の家に集中して発生していました。
このときの保健所の初動の疫学調査は、決して褒められることのなかった役所の対応としては例外的に評価されています。

3年ほど前には、地域からネコがいなくなり、ネズミが増えて困るという漁場関係者の声を紹介する新聞記事が出ていました。
環境に異変が生じるときは、まず動物に出て、次に人間の子どもに出るということを教えてくれます。
患者発生の報告は保健所になされる、ということは重要です。
保健所に勤務する職員は、水俣病の教訓を十分に理解しておく必要があります。

毎年5月1日の式典には出席していましたが、新型コロナウイルス感染症の蔓延防止対策の中で途絶えておりました。
宮崎に帰ってきて水俣に近くなったので、これから慰霊式には、是非行ってみたいと思っております。

野口記念館の野口遵の像



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