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風船爆弾は、紙とこんにゃくのりで造った世界初の大陸弾道ミサイルである

旧日本軍が開発した風船爆弾の本を読んだことがあります。

和紙をこんにゃくノリで貼り付けてつくった直径10mほどの風船でした。

これに水素ガスを入れて空に浮かべると、上昇して偏西風に乗り、太平洋を越えて8000キロ離れたアメリカ大陸まで到達することができます。

風船には焼夷弾が入った竹かごが仕掛けられていました。

昭和19年の11月から20年の4月まで、千葉県、茨城県、福島県の太平洋に面した海岸から飛ばされました。

合計、約9000個の風船爆弾が空中に発射されました。

米国での成果を日本軍は米国のラジオを傍受して確認しましたが、これといった成果はあげられませんでした。

我が国では、この風船爆弾の攻撃は全くの失敗ということになっており、戦史からもほとんど消え去っています。

女学生が動員され、和紙をこんにゃくのりで貼り付ける作業に従事しました。

手がかぶれて大変だったと言われています。

宮崎県でも、延岡高等女学校の女学生が動員されています。

しかし、この風船爆弾は、米国には相当なインパクトがあったのです。

約1000個が米国本土に到着しました。

火事を起こしたり、オレゴン州では風船を拾って爆発して6人が死亡するという被害もあったのですが、米国は報道を禁止しました。

日本が細菌兵器を開発していることを米国はつかんでいたので、風船の中に細菌兵器が含まれていないか、徹底的に調査をしました。

米国では、心理的な効果は絶大だったのです。

紙とこんにゃくのりでつくったモノクロの兵器ですが、世界初の大陸間弾道ミサイルと言われています。

和紙をつなぎ合わせる接着剤の原料について米軍は徹底的に調べましたが、特定出来ませんでした。

戦後に、日本に調査に来て、こんにゃくという食べ物だと判って大変驚いたそうです。

日本軍は、獣医部隊が開発した牛疫ウイルスを風船の中に入れる計画を考えていました。

牛疫は、ウイルスに感染した牛は死に至るという恐ろしい病気です。

中国大陸や朝鮮半島では牛疫ウイルスが蔓延しており、日本軍の獣医部隊はワクチンの作成に成功していたのです。

牛疫ウイルスのワクチン接種をした牛は、感染せずに死ぬことはありませんでした。

アメリカに住む牛は、この中国大陸に蔓延する牛疫ウイルスの免疫を持っていないいことから、牛疫ウイルスを風船爆弾に入れて米国に飛ばせば、米国の主要な産業である畜産業は壊滅的な被害を受けることになります。

この作戦は、陸軍参謀総長のところまで上げられました。

参謀総長の決断は、ノーでした。

「報復として米国が開発している稲に病気を起こす病原菌を国内にまかれたらどうなる?」と聞かれた獣医官たちは沈黙します。

最終的には、風船爆弾の中に牛疫ウイルスを入れる作戦は行われることはありませんでした。

「牛」に対する「稲(米)」への報復を考慮した合理的な判断だったと思います。

アフリカ大陸は、かつては豊かな大陸でした。

国境もなく、各部族たちは牛を大量に飼育し、放牧をしていました。

ところが、アフリカで牛疫ウイルスが蔓延して、ほとんどの牛が死に絶えてしまいました。

牛という「財産」をなくしたアフリカの部族たちは、極度の貧困状態に陥ってしまいました。

このためアフリカの各部族の力は急激に衰退し、欧州諸国に制圧され、国境がつくられ植民地となっていきました。

自由な往来もできなくなりました。

牛疫はフランスでも蔓延し、世界ではじめて「獣医」を養成する学校が設立されます。

国立リヨン獣医学校です。1762年のことでした。

戦後、日本の獣医がつくったワクチンは、さらに改良されて平和的に利用されました。

世界中の牛に接種され、世界から牛疫が無くなりました。

天然痘ウイルスに続いて、なくなったウイルス第2例目です。

風船は、よく歌でうたわれる人気のあるアイテムですが、公衆衛生学的には大変危険です。

生物化学兵器のキャリアとして使われる可能性があるからです。

阪神タイガースの応援では、7回のラッキーセブンのときには、観客がふくらかした風船を飛ばしていましたが、新型コロナウイルス感染症のときは禁止されていました。

もし、見知らぬ場所に風船が落ちていたら、大陸からの細菌化学兵器による攻撃かもしれません。

あたりで鳥や虫や魚などが死んでいたら、大変危険です。

しかし、浅田美代子さんの「赤い風船」はよかったです。

天地真理二世と呼ばれていましたが、天地真理さんもよかった。

ん。何の話か判らなくなりました。

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