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西郷隆盛は、新撰組の産業医を明治陸軍の軍医のトップに就ける人事をした
幕末のイケメン新撰組の土方歳三の話です。
新撰組が京都の西本願寺に本営を置いていたときに、幕府の奥医師(将軍の主治医)の松本良順がやって来ました。
隊士のいる本営は、不衛生で、部屋を覗くと傷病者があふれておりました。
また隊士達の顔色は悪く、将軍の奥医師が来ても、挨拶をするものはいませんでした。
新撰組副長の土方歳三は、「何かお気づきのことがあれば、教えていただきたい」と言いました。
松本は、部屋が不潔であることから、清掃をするように言いました。
また、隊士の健康状況がよくないようなので、食事を改善するようにアドバイスします。
豚を飼うことを勧めました。
豚肉を食べて、残飯は豚の餌にすれば清潔さも保てると指導しました。
さらに病人は、きちんと医師による治療を受けさせるように指摘しました。
しばらくたって松本が再訪問しました。
本営は見違えるように清潔になっていました。
隊士たちの顔色はよくなって、松本にも挨拶をしました。
なにより隊士たちの士気が上がっていました。
「全ておおせのとおりに処理しました」という土方の説明に、松本は感心します。
松本が新撰組の産業医だと想定すると、職場巡視の結果を踏まえて、産業医が事業者である土方に勧告し、事業場の衛生状況を改善させたと言えます。
土方の実家は薬屋で、薬学の素養がありました。
産業医の勧告は、新撰組ナンバー2の心に響いたのでしょう。
隊士たちの衛生を最優先したことで、土方のリーダーシップ力は向上しました。
とりわけ食事の豚肉が、効いたと思います。
その後の土方は、鳥羽伏見の戦い、会津の戦い、箱館五稜郭の戦いと、戦を重ねるごとに、近代軍事集団の指揮官として成長していきます。
もともとは剣士でしたが、鳥羽伏見の戦い以後は、剣を棄てて銃をとり、隊を指揮します。
松本も産業医から軍医に変貌して、土方とともに会津の戦いに従軍しました。
箱館にも行こうとしますが、土方から「あなたは貴重な人材だから死なすのは惜しい」と残されました。
土方は、箱館五稜郭の戦いで戦死しました。
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松本は新政府軍に捕まえられて、牢屋に入れられます。
その後、釈放されて、東京の早稲田に医院を建て診療を開始しました。
そこにやってきたのが、薩摩の西郷隆盛です。
軍医制度を創設するので、松本に軍医のトップになって欲しいと頼みます。
西郷の意を受けて、長州の山縣有朋が何度も松本のところに通って説得しました。
新政府をつくった薩摩や長州の医師の中には、なりたい人はいくらでもいたのですが、西郷は徳川方の賊軍だった松本を招聘しました。
「新撰組の産業医」を、よくぞまあ、そういう明治政府の重用ポストにつけたと思います。
西郷隆盛でなければ、こうした思い切った人事はできないでしょう。
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司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」は、幕末の医療について描かれています。
大阪の適塾の緒方洪庵や、長崎療養所のポンペや松本良順など、日本の近代医学のはじまりがよくわかり、おすすめです。