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日本の公害対策は、百人一首の舞台を汚された「怒り」から始まった

「五月雨」と書いて「さみだれ」と読むことを知ったのは、中学生の頃、甲斐バンドの「裏切りの街角」を初めて聞いたときです。
「しとしとさみだれ」と耳にする歌の意味がわからず、歌詞を見て衝撃を受けました。作詞をした甲斐よしひろさんは天才だと思いました。
 
しとしと五月雨 わだかまり
君さえいてくれたならば

 
ついでに「わだかまり」という言葉の意味を辞書をひいて理解し、歌は役に立つものだと思いました。

5月27日は、百人一首の日。
1235(文暦2)年5月27日に、藤原定家が百人一首を完成させたといわれています。
古今集はこう言っています。歌の力は凄い。
 
力をいれずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるのは、歌なり

1970(昭和45)年は。日本国中が公害で大変でした。
この年の国会は「公害国会」と言われています。
公害を所管する省庁として「環境庁(現環境省)」が、新設されることになりました。
きっかけとなったのが、静岡県の田子の浦港での水質汚染です。
製紙工場の廃液で、田子の浦が白く濁っていたのです。
 
百人一首に、田子の浦を詠んだ、有名な歌があります。
作者は山部赤人。

田子の浦にうちいでてみれば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
 
廃液まみれの田子の浦の映像をテレビで見て、日本国民が激怒しました。
「百人一首で有名な田子の浦を汚すとは何事か!」、工場廃液をなんとかしろ!」
まさに、歌が天地を動かしました。
国会も公害対策に本腰を入れたのです。

「日本人は歌の前に平等」だと、評論家の渡部昇一さんや漫画家の里中満智子さんが言っております。
万葉集には、天皇陛下から防人や農民、詠み人知らずまで、また男女の区別もなく収録されています。
里中さんは、「世界に先駆けた民主主義的な歌集」といっています。

里中さんの「天上の虹」は万葉集を題材にした漫画で、編集者からは「短めの連載にしてね」と言われていましたが、32年間連載したそうです。
里中氏は、主人公の持統天皇が、若い頃に最初に恋心をいだく相手を有馬皇子に設定しました。
有間皇子は、中大兄皇子(のちの天智天皇)のいとこで、皇位継承をめぐるライバル。
有間皇子に謀反のおそれがあると通報があり、中大兄皇子の取り調べを受けるために護送されることになります。
その途中に詠んだ歌です。
 
家にあれば筍に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
(我が家にいれば器に食べ物を盛るのに、今は旅に出ているので、椎の葉に持っている) 

吉川英治記念館にある椎

有間皇子は「謀反のことは全く知らない」と言いましたが、死刑に処せられました。
享年19歳。
有間皇子が本当に謀反を企てたかどうかは不明だと言われています。

この歌をみて、ドキリとしました
椎の葉を略すると「椎葉」になります。
もしかして、我が椎葉村に有間皇子が逃げてきたのかもしれないと、調べてみました。
和歌山県海南市にお墓があったので、ちょっと残念でした。

上椎葉ダム


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