フラミンガム研究のことを聞かれて、「鳥の研究?」と答えた医師には怒っていい
公衆衛生を習うとまず最初に疫学があり、「コホート研究」という言葉が出てきます。
この「コホート」という聞き慣れない言葉に、多くの医学生がつまずき、公衆衛生が嫌いになるのです!
コホートって何?
その頃の医師国家試験では、このような問題が出ておりました。
コホート研究は、症例対照研究と比べて実施するのが比較的容易である。
〇か✕か?
理解していない医学生にとっては、なんのことか見当も付きません。
そもそも、質問の意図もわかりませんので、鉛筆を転がして決めるしかありません。
漢字の多い症例対照研究の方が難しそう、と引っかかってしまう設問でした。
しかし、語呂合わせで「子(コ)育ては本当(ホート)に大変だ」と覚える、という記憶術の本がありました。
そのため私は、コホート研究は大変だということだけは覚えていました。
正解は✖です。
こうした不毛の公衆衛生の学習は、あとあとまで響くことになります。
大学の同級生で疫学の研究者と焼き鳥屋で飲んだときに、衝撃的な話を聞きました。
「コホート」とはローマ帝国の軍隊用語だったのです!
500人くらいの部隊をコホートと呼んだそうで、今の軍隊の「大隊」に相当します。
ローマ帝国の時代にコホートは、同じ武器を与えられて戦場に赴きました。
コホート内で戦死したり傷病死する兵士が出ますが、戦争が終わるまでは補充されません。
兵士がどれくらい最後まで生き残ったのかを調べて、そのコホートの強さが評価されたのです。
これが、コホート研究の名前の由来でした。
ううう。知らなかったぞ。
ある集団の生死や病気の発生を長期間にわたって追跡・調査するコホート研究は、実施するのは大変手間がかかって大変なのは当然です。
せめてせめてコホートの名前の由来を、公衆衛生学の講義で教えてくれたらよかったのに……。
今の医学生は、コホートの本質を全く知らずに育った私のようなことはないと強く信じています。
さて、コホート研究を世界で始めて実施したのが、米国です。
1930年代に米国では、心臓病で亡くなる人が増えていました。
米国の連邦公衆衛生局は、心臓病対策の一環として、1948年に国立心臓肺血液研究所を設立させて研究を行うことにしました。
きっかけは、ルーズベルト大統領です。
日本が降伏する前に脳出血で急死しました。
日常的に300mmHgを越える高血圧がありました。
当時は、高血圧がどのような健康影響を及ぼすのか全く判っていませんでした。
大規模な健康者集団を長期間にわたって観察し、心臓血管疾患にかかる人たちがどのような共通要因を持っているか探ることにしました。
その場所として、東海岸のマサチューセッツ州のボストンの西方にあるフラミンガムという人口2~3万人ほどの小さな都市が選ばれます。
フラミンガムは、研究所のあるワシントンD.C.からも近く、住民の転入・転出が少なく、同じ集団を継続的に追跡・観察できることから選ばれました。
1948年に、フラミンガムの住人で、30~62歳の約5200人を対象に調査が開始されます。
2年に1度、問診と医学的検査が実施されました。
研究が始められたときは、大型のパンチカードしかありませんでした。
約5000人分の生活習慣の回答や、血液検査の値を手書きで記録したあと、パンチカードに記録し直して、ミスがないかを確認し、それぞれの調査項目の平均値や割合などを集計しました。
こうしたことから2年に1回という調査がやっとだったのです。
フラミンガム研究の10年間にわたる調査データが分析できるようになったのは、1960年代にIBMの大型のコンピューターが造られ、利用可能になってからのことでした。
フラミンガム研究でのデータ解析の結果、虚血性心疾患の発生確率を高める要因として、高血圧、高コレステロール、喫煙が三大危険因子であることが初めて明らかにされました。
コホート研究という疫学的手法を心臓血管疾患に応用し、定量的な方法で危険因子を発見した点で、歴史に名を残しています。
「危険因子」という言葉は、フラミンガム研究ではじめて使われました。
医学教育では、コホートとフラミンガムは、ペアで教えてもらわないと駄目です。
その副作用として、公衆衛生を下に見ている臨床医には、これまでたくさん出会いました。
例外なく「公衆衛生って、いったい何の役に立つのかよくわからない」と言っておりました。
「高血圧、高コレステロール、喫煙はよくないですよ」と患者さんに説明をしたことのない臨床医はおそらくいないでしょう。
公衆衛生の成果を使っていながら、公衆衛生がわからないという医師がわかりません。
疫学研究の恩恵を受けておきながら、フラミンガム研究のことを聞かれたときに「何それ、鳥の研究?」と答えた医師がいたら、怒っていいです。
フラミンガム研究は、世代を超えて、今も継続して続けられています。
今年が76年目です。
宮崎県高千穂町土呂久のヒ素に汚染された地域の住民に対する健康調査は、51年目を迎えています。
毎年、高千穂保健所で実施される日本を代表するコホート調査です。
この調査によって新たに特定された疾患は、認定基準の中に採用されています。
宮崎大学医学部のメディカルスタッフが、半世紀にわたってこのコホート調査を支えています。