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年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる

厚生労働省のある霞ヶ関から日比谷公園を通り抜けて少し歩くと皇居のお堀があり、その一角に第一生命ビルが建っています。

戦後、GHQが接収して、マッカーサー将軍が勤務しました。

マッカーサーがいた5階の執務室は、現在も当時のままに残されています。

一度視察したことがあります。

テーブルと椅子というシンプルな部屋です。

引き出しのついた机は嫌いで、テーブルを使用していました。

さらにマッカーサーは電話が嫌いだったので、部屋に電話を置きませんでした。

皮の椅子は、多くの人が触ったことで緑色が薄れています。

部屋には詩のパネルがあります。

マッカーサーが好んだものでした。

青春とは臆病さを退ける勇気
安きにつく気持ちを捨てる冒険心を意味する
ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる


サムエル・ウルマンの詩「青春」です。

これを見たときに、言葉がでませんでした。

還暦プラス1となって改めて読んでみると、ジーンとくるものがあります。

日本の将軍たちと違って、マッカーサーは環境を味方にして人命の損傷をなによりも嫌いました。

環境を味方にするというのは、南方のニューギニアなどの戦場でマラリアの予防を徹底し、予防ができなかった日本軍を自滅に追い込んだことを指します。

朝鮮戦争では、戦場に投入された新兵器ヘリコプターを、戦傷病の兵士の後送に運用することを決断しました。

公衆衛生を誰よりも理解していた将軍です。

日本軍の将軍の中で、マッカーサーと同様に公衆衛生に理解があったのは、今村均陸軍大将でしょう。

南方の拠点であるラバウルで籠城して、米軍を迎え撃つ作戦を展開します。

空襲を避けるために地下壕を掘って陸海軍10万の将兵を穴にこもらせ、栽培による食糧生産と感染症予防対策を徹底しました。

統治の方法は、農業や公衆衛生の専門家に任せて、それを自分の命令として配下の部隊に徹底させました。

マッカーサーは、今村将軍の率いる日本軍が守備するラバウルを避けて、フィリピン攻略を目指しました。

漫画家の水木しげるさんは、ラバウルで左腕を負傷し、軍医の治療で左腕を切断しました。

マラリアに罹って死の一歩手前まで行きましたが、奇跡的に回復して日本に帰国することができました。

その水木しげるさんも、軍司令官だった今村将軍を誉めています。

現在、「ゲゲゲの鬼太郎」を我々が見ることができるのは、本当に奇跡だと思います。

左腕を失っても、ひたすら漫画を描いていた水木しげるさんは、冒険心があり夢を見続けた人だったと思います。

水木しげるさんは戦場にゲーテの本を持って行きました。

人は理想を失ったとき初めて老いる。

マッカーサーと今村均と水木しげるさんを目標に、新年の想いを新たにしたところです。

結論を言えば、公衆衛生は大事ということになります。

かなり強引に結論に持ってきたような気がしますが、今年もハベレオ通信をよろしくお願いいたします。

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