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WHOの健康の定義は、第二次世界大戦のレジスタンス運動家がつくった

1947年4月7日に、国際保健機関(WHO)が誕生しました。
毎年4月7日はWHO誕生の日となっています。

WHO憲章にある「健康の定義」は有名です。

健康は身体的にも精神的にも社会的にも完全で良好な状態をいい、単に病気がないとか虚弱でないということではない。

WHOの第三代の事務局長マーラーによると、この定義は第二次世界大戦中にレジスタンス運動を行い、後にWHO職員となったひとりの人物によってつくられたのだそうです。

その人物は、レジスタンスをしている間に、これまでにない健康感を得ることができました。
精神的に満ち足りた感覚を味わえたといっています。

WHOの定義ができるまで、健康とは身体的要素だけが強調されがちでした。
身体が大丈夫であれば健康、という感じです。
しかし、このレジスタンスの経験から「精神」という要素が加えられました。

一方、レジスタンスに関わることによって、もし自分が殺されてしまったら、家族はどうなるか?
そんな不安がありました。
そのとき、レジスタンス運動の同志が、「もしお前が死んでしまったら、家族の面倒をみてあげよう」と言ってくれました。

家族を含む社会もまた健康に重要な要素だということを実感できました。
そして「社会」という要素が加えられました。

WHOの健康の定義には、次のような批判があります。

・非現実的であり、観念論である
・静的な定義であり、活動的な概念に欠ける
・「完全」という言葉があるが、この定義に適する健康者はほとんど存在しない
・障害者はこの定義には該当しない

いろいろな批判はありますが、私が初めてこの定義を見たときは、まさに目から鱗でした。
身体の健康ばかりを考えていましたが、精神も社会もあるのかと、視野が広がりました。

真相を知ると、意外に身の回りのことだけで決めたんだなと思います。
その定義のシンプルさと、できた経緯のあっさり具合に驚きました。

不完全な健康の定義だからこそ、世界中の多くの人を巻き込んで、目指すべき健康像を追求していく推進力になっているのかもしれません。

WHOの事務総長に日本人がなったことがあります。
1988年からの二期一〇年間は、中嶋宏氏が事務総長として世界の公衆衛生の舵取りをしました。

WHOには六つの地域事務局があり、そのうち日本が所属しているWHO西太平洋地域事務局はマニラにあります。
日本の新型コロナウイルス対策を行った尾身茂さんは、この地域事務局長でした。SARSが発生したときに指揮を執っています。

2018年から葛西健さんが、西太平洋地域事務局長を務めていました。
葛西さんは、WHOに行く前は、宮崎県の福祉保健部にいました。

平成17年の台風14号で、椎葉村で崖崩れが発生して死亡者が出たときに、「椎葉村のご家族は無事ですか?」と富山県庁に勤務していた私にわざわざ電話をかけてきました。

椎葉村の実家や親の携帯の電話がつながらず、心配していたときのことでしたので、このときのご配慮には本当に感謝しています。

上椎葉ダム

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