非当事者研究への脚注その5
今回は「当事者」のミッシングピースです。「非当事者研究その2」で、法律の専門用語だった「当事者」が障害者運動で使われるようになったということに少しだけ触れました。
ここで年表的に触れておくと、「当事者」が初めて登場したのは1890年の民事訴訟法で、障害者運動で使われ出したのは1980年代です。この約90年の間、「当事者」を法律以外で全く使われなかったのかというのが一つの謎です。
この謎に対する完璧な答えは持ち合わせていませんが、「当事者」を法律以外で使った一人として評論家の #三宅雪嶺 (1860ー1945)を挙げられます。三宅が「当事者」を法律以外で使う先鞭をつけた可能性です。
まず私が確認した限りで言えば、『同時代史』第2巻(1950)で「当事者」が使われています。『同時代史』は、1926年からの連載をもとしたものです。
また三宅は「当事者」を“Partei”の翻訳語であることも知っていたと思います。三宅が東京大学准判任御用掛・文学部准助教授兼編輯方であった1883年(明治16年)にドイツ語の習得を命じる辞令が下っていること、カントの純粋理性批判で多用される“transzendental”を「超絶的」と訳したり、“judgement”の訳語として「判断」が定着していても「断定」と訳すなど、翻訳行為にはかなり関心があったのではないかと思われます。
さらに三宅の政治評論では、臣民ではなく主体としての国民の実現にあたって、政党(Partei)による政治を重視していたことも挙げられます。
参考文献
石原孝二『精神障害を哲学する』(東京大学出版会、2018)
中野目徹『三宅雪嶺』(吉川弘文館、2019)
森田康夫『三宅雪嶺の思想像』(和泉書院、2015)
石塚正英・柴田隆行『哲学・思想翻訳語事典』(論創社、2013)