人間万事塞翁が馬
いつも波乗りに行くポイントに 多分私より年上であろう女性が
時々 やってくる。
大晦日に みんなより遅れてパドルアウトしてきた彼女だけど
ラインナップに到着すると間も無く 彼女のところにセットの波が
入ってきて 待つことなく最初の波をつかまえた。
そして 再びラインナップに戻り少したつと また彼女のところに
セットの波がきて 彼女はその波に乗った。
彼女のリズムが その日の波のサイクルにシンクロし その後も
楽に 乗り続けていた。
元日も 彼女は 少し遅れてやってきた。
前日のように 彼女のところにセットの波が来たのだが その日は
うまくテイクオフできずに 次の波もその次の波も 同じところで
ワイプアウトしていた。
波は毎日変化している。潮の干満も 毎日少しづつずれていく。
と同時に 私たちにもバイオリズムがあり 昨日と今日では調子が
違うこともある。
常に同じであることを望むのは 人間だけかも知れない。
常に同じであるということは 卵が孵化しないということだ。
蛹が蝶にならないままでいるということだ。
蕾が開いて花になり やがて散っていく。
蕾が希望を運び、花が感動をもたらし、散っていくことで
寂しさを知る。そこには 目には見えないが 心の動きがある。
今日落ち込んでも 明日はいい日になる。
そう思って生きた人生の結果が いい人生だったということになる。
世情がカオスの渦潮なのは 今に始まった事ではない。
井戸端会議の歴史も長い。
が それが世の中だとわかっていれば 憂うことなど何もない。
人生はつらいものと思っていれば 辛さも辛くない。
生きるということは 細胞のレベルでは 毎秒戦いだ。
辛いのは当然なのである。
先日スレッズに ラーメン屋のオヤジに怒鳴られたという男性の
投稿があった。
その人は仕事がゴタゴタしていて 考え事をしながらラーメンを
食べていたのだという。するとそれを作ったオヤジがカウンター越しに
「食ってる時は 考え事するな!」と その人に言ったそうで
お金を払っている客に対してひどい態度だと憤慨していた。
怒りがおさまらないから わざわざスレッズに投稿したのだろうと
思う。
ネガティブなコメントが多い中、「ラーメン屋さんは あなたが
考え事をしていることに気づき 食事の時間だけでもリラックス
したほうがいいと わざわざ丁寧にも声をかけてくださったんですね。
そうやって見てくれてる人がいることはありがたいことですね。」と
コメントした。
もちろん、「間違ったことをしている人を持ち上げるのはおかしくない
ですか?」というレスが来るのを承知でだ。
その男性の年齢は分からないが 昭和にはそんなオヤジがあちこちに
いた。彼らは 大抵が 職人がたきで 口数が少なく シャイである。
シャイであるが故に ソフトに言葉をかけれない。
それが彼らの 愛情表現なのだ。
それがわかっていれば そんなオヤジたちの怒鳴り声は 愛おしいので
あるが その男性は まだ若く、人生の深い味わいを味わうには 経験
が少ないのかもしれない。
人生を 正しいと 間違いだけで 振り分けて生きると 真理を見逃す。
美しい薔薇の花は正しいが その棘は間違いだというのと同じだ。
その花も棘も薔薇なのだ。花だけでも棘だけでも薔薇にはならないのだ。
その男性は 怒鳴られたと思って 怒鳴り返したらしい。
その時 オヤジがハッとした表情だったとも書いてあった。
やはり オヤジはシャイなのだ。悪気があって言ったわけではない
のだ。本当に怒鳴るだけのつもりなら 怒鳴り返されたことに対して
再び怒鳴るだろう。
その男性の人生に今必要なのは スレッズで同情してくれる他人では
なく 彼を深く見つめるオヤジの愛情だったのだが いつか彼にもわかる日が来ると思いたい。
人間万事塞翁が馬。最大の可能性を開くチャンスは 常に自分の受け止め方にある。