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『天気の子』をホツマ的に考察する③ 〜ヤマトタケルと龍〜
この記事では、新海誠監督の映画『天気の子』を古史古伝ホツマツタヱ(以下ホツマ)を参考に加えて考察していく。
※最小限に努めるが、ネタバレも含むので本編を先入観なしに見たい方は読まないことをお勧めする。
◎オトタチバナヒメの祈り
陽菜は雨を止ませ天気を晴れにする能力がある。
その時は天に向かって両手を合わせて祈る。
それは神への祈りと同じポーズである。
ホツマには以下のように書いてある。
『ヤマトタケが大磯から上総へ
軍船で渡る時、船を煽る強い風を
鎮めようと、オトタチバナ姫は
船の舳先に登って、天地の神に祈った。』
(超訳ホツマツタヱ 39文より 現代訳 引用
http://hotsuma.anyone.jp/mikai/cat/yaku39/page/3/ )
また、ヤマトタケルとオトタチバナヒメが主祭神の走水神社には、手を合わせて祈るオトタチバナヒメのレリーフがある。
それは、陽菜が天に祈る姿とよく似ている。
※ヤマトタケルは、ホツマでは『ヤマトタケ』である。
◎戻ってきた指輪は形見
日本神話やホツマには、オトタチバナヒメが人柱となって嵐を鎮めてからの後にヒメの形見(櫛や帯)を埋めて塚(墓)を作ったことが書いてある。
日本神話や走水神社の由緒には、オトタチバナヒメが人柱となった数日後に海岸にヒメの櫛が流れついたという記述がある。
天気の子では、帆高が陽菜に贈った指輪が陽菜が人柱となって天に昇った後に指輪だけが地上に落ちてきて帆高に拾われる。
ヒロインの形見が戻ってくる神話になぞらえたシーンだ。
一方で、須賀は妻の形見の結婚指輪を今も自分の結婚指輪と共に薬指に付けている。
◎龍となったオトタチバナヒメ
古事記・日本書紀には描かれていないホツマに記されたオトタチバナヒメの最後の言葉について注目したい。
『「我が君は御威光をヤマトに示そうとしています。わたくしは君のために竜となって船を守ります」と言って海に身を投げた。
一同は驚き、姫を助けようとしても、ついに助けられなかったが、波は静かになり、船は上総に着くことができた。』
(超訳ホツマツタヱ 39文より引用
http://hotsuma.anyone.jp/mikai/cat/yaku39/page/3/)
「君のために竜となって船を守ります」
この一文にオトタチバナヒメの強い決意が込められている。
ちなみに古事記・日本書紀にはこの『竜(龍)』というワードは、私が調べた限りでは載っていない。
もし、この『天気の子』の話が
「人柱が龍になる」という設定だったとしたらどうだろう?
帆高が陽菜を救いに空の上に行った時、陽菜の周りには多くの透明な魚たちが群がっていた。
陽菜の透明になる体の色は、透明な魚の色に似ている。
帆高が飲み込まれた龍の体内には、無数の透明な魚がたくさんいた。
龍は、透明な魚の集合体から成るものではないかという見方もできそうだ。
だから、
人柱になった陽菜もやがては透明な魚のようになってしまい、最終的に龍になってしまうのではないか?と思えるのだ。
あの龍たちはもしかしたら、以前、人柱になった人間たちだったのかもしれない…。
◎ヤマトタケルとホツマツタヱの関係
実は、ヤマトタケルはホツマツタヱと関係が深い。
ヤマトタケルの遺言によってホツマツタヱが生まれたと言われているからだ。
奈良県にある纒向・日代宮跡(景行天皇の宮があった場所)の看板には、
「日本の国の真の歴史ならびに天成(あまなり)の道を子々孫々にのこすべし」
と遺言し、景行天皇がオオタタネコに命じて編纂させたのがホツマツタヱだと書いてある。
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どういった経緯でこの看板が建てられたのかは分からない。
ホツマは40章(文)から成り、最後はヤマトタケルの亡くなる話で終わる。
(私は40文を読むと泣けてくる)
古事記・日本書紀とホツマツタヱでは、ヤマトタケルの実像がかなり違うらしいので興味がある方は読み比べてみると良いかもしれない。
◎まとめ
ホツマがベースになってる可能性があると考えたのは仮説に過ぎなかったのだが、調べていくと映画の説明になるように当てはまる部分が多い。
世の中には似たような神話はたくさんあるし、見方を変えれば別の意味も見えてくるだろう。
この映画は、まだまだ深掘りできることもあると思う。
映画の一つの見方として、参考にしていただけると嬉しく思う。