愚かで愛おしいほど人間らしい自分のこと
引き続き生理週間につき、触れるものすべてを傷つけるくらいの心持である。こういうときにしか書けないこともいっぱいあるので、そういうことについて書こうと思います。
毎日noteを始めて、十日とすこし。どちらかというと綺麗な面を書いていることの方が多い。見返すと、なになに、草木染、散歩、黒豆、ゆず、あとは雑記と紅白と眼鏡割った話と一人暮らしのこと。
しゃらくせ~~~~
お高く止まりやがって!!
実際の私の人生が草木染をして黒豆たいて柚子茶を作るゆるふわ人生かというと、勿論違う。いや、noteに書いてることは全部本当のことなので、虚構があるとかではない。そうじゃなくて、ざっくりとトリミングされている部分が非常に多い。
なんだか、恥ずかしいのだ。生々しい人生というのは、処理して言語化できないことが多い。あるいは、言語化して自分の中では終わったと思っていても、ひょっこりゾンビみたいに顔を出すこともある。そういう人生の焦げ付きを晒すのは、なんだか、構ってほしいみたいで恥ずかしい。人生の焦げ付きをアイデンティティだと思ってしまっている自分を知るのが恥ずかしい。
なんの話かと言うと、私が思春期にガンだった話である。
13才に皮膚がんと診断されて、そこから10年、再発の疑いなんかもありながら病院に通院する人生を送った。
困ったことに、思春期というアイデンティティを確立する時期に、私は自分ではなくガンと向き合わなければならなかった。この二つは≒ではあるが=ではない。私は私で、ガンはガンなのだが、本当に困ったことに、私はガン患者ではない私をほとんど知らないのだ。
学校の皆が、受験だなんだで高校を選択する時期に、私は再発の疑いだなんだで手術の選択をしていた。毎年行われる野外総合活動という名のお泊りイベントにクラス中が行っている間、病院で抗がん剤を打っていた。
おかげで手術との兼ね合いや己のこじらせの兼ね合いで高校受験をせず、世にも珍しい高校浪人をする羽目になる。
うける。
いや、笑って誤魔化すのはやめよう、なにも面白くない。正直今でも完全にそのころのことが処理しきれたわけじゃないのだ。辛すぎて、毎日が暗闇の中で、記憶も驚くほど曖昧である。
ただ、今ここで生きている私だけは、中学生の多感な自分のことを責めてはいけないなと思っている。学校にいけないほど、つらかったのだ。そして私は学校に行かないという選択ができたのだ。えらいぞ。すごい。生きててよかった。なぜなら黒豆がおいしいので。
さて、諸々あって、なんとか高校に入学できた。よかったね、これで普通の高校生と同じように学校に行けるね!!!と母は大喜び。普通じゃなきゃいかんのか……とひねくれた私は思うものの、口に出すと喧嘩になるので出さない。
しかし、なにかがおかしい。なんだろう。なんだ、このだるさ。異様に体が重いし、朝は起きられない。常にイライラするし、異常に食欲がある。さぼってるわけではないのに、怠けてしまう。無気力の極み。
なんとびっくり、バセドウ氏病である。甲状腺機能亢進症ともいう。先生に「一生薬と付き合ってくことになるかもしれないくらい数値高いね~」と言われた。高いね~~ではない。こちとらまだ16才のピチピチ多感10台である。ガンの上にバセドウ病なんてもの乗せられれば、人生が嫌になるぞ!!
嫌になった。
も~~~~~やだやだやだやだ!!!!!やだ!!!!!
今でも高校が卒業できたことが不思議でしょうがない。先生、ありがとう、ご迷惑をおかけしました。でも高校行くのは死ぬほどつらかったので、何度ホームに入ってくる電車にダイブしてやろうと思った事か。
ダイブしなかった自分えらい、すごい、信じられない。おっとな~~!!!
齢二十前にして病二個持ちという、なんだかよくわからない病気人間になってしまったが、無事高校卒業、大学入学をした。
初めての独り暮らし、体も重いし、うまくいかないし、それでも勉学は楽しかった。勉強が楽しいと思えることだけがなによりも救いだった。ただ、こんな体ではまともに働くこともできない気がする。勉強も好きだし、大学院にいこう。それから自分の生き方を探してもいいではないか。出来るならば好きなことを仕事にしたいよ~~。
そんなこんなで、外部の大学院を受験した。なぜ外部かと言うと、母の意向である。転ばぬ先の杖が大好きな母は有名大に行ってほしかったらしい。行った。受かってよかった、あやうくニートである。
と、おもったのも束の間、鬱になった。
ようやく現在に追いついたな、ただいま休学中の身です、24才です。
去年の夏に初めてメンタルクリニックに行ったんですけど、「死にたいと思うことは多いですか?」と聞かれて、「???」となった。
皆、基本的に死にたいと思いながら生きているんじゃないのか?
ただ「死にたい」っていうと色々と(本当に色々と)面倒なので、口に出さずに生きてるんじゃないの……え、ちがうの、うそ……。
ところで、私は刺身が好きである。あと刺身茶漬けも大好きである。
なぜか。
刺身とは生食用だが、火を通しても食べられる。加熱用は火を通さないと食べられない。つまり、刺身の状態であれば、焼いてもいいし焼かなくてもいいという二つの選択肢を持っており、そこにお得感がある。あと刺身は普通においしい。
人生も同じだな、と思う。
生きるということは生まれたときから既に持っていて、いつでも死という選択を自主的にとることは可能である。ただ、一度死んでしまうと生きていた状態に戻ることはできない。つまり、生きている状態は死ぬという状態も内包していて、お得である。
書いてて、何言ってんだろなこいつって気持ちになってきた。
でも、そういうこと。なので、なんとな~~く生きている。生きていると黒豆がおいしかったり、ゆず茶がおいしかったり、文を書くのが楽しかったりする。
生きるってたのし~~~!!!!って思うこともある。
うーん、人生だなぁ。
そういうことで、絶賛実家にパラサイト中の身の上であります。これがもうすぐ生まれて四半世紀になろうとする人間の出来ですよ。ひどいな、やっぱり人生無理だわ。
ちなみに私の母は私よりも重度の鬱なので、この半年くらいずっと体調がすぐれない。それ故台所を任されている。料理は好きだ。掃除は微妙。水回りの掃除は大嫌い、寒いから。
なにか良い生き方、ないですかね。
小学生の時ずっと小説家になりたかったことを思い出した。
最近は本も読めていない。自分のキャパがいっぱいいっぱいだと本もまともに読めないのだな。
文字が上滑りしていく様はなんだか悲しくて、悔しい。
愚かで、愛おしいほど人間らしい、そんな私のことについて。
本当は忘れる前にちゃんと中学のこととか記事にしたいんだけど、今日は生理なので感情が一番手前に立っていても許される。生理なので。
これ冷静になったら消したくなるタイプの記事だなぁ。
まさにマグカップの茶渋。
おわり!
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