それでも日々はつづいていく
明けない夜はない、とか。止まない雨はない、とか。よく耳にする言葉がある。生きていればいいことがある。別に死ぬわけじゃないんだから、大丈夫。
そういった言葉たちに、励まされたことがないと言えば、嘘になる。頑張れって言葉がまっすぐ届く瞬間があるように、励ましや、前向きな言葉に救われる時がある。
だけれども、ひねくれで後ろ向きな私は、だからこそ、人生は辛いとも思うのだ。
明けない夜も止まない雨も、ない。何があったって、明日が来て、夜は明け、雨は止み、時間は止まらない。
原爆が落ちた日も、飛行機がビルに突っ込んだ日も、大きな地震が起きた日も。どんな日だって、朝はくる。どこかで、誰かが亡くなっていても、愛する人を失っても、生きる気力が底を尽きたとしても。
太陽は無慈悲だなと、思うのだ。
無慈悲に朝を連れてきて、嫌でも歩き出さねばならない。生きるのがつらくとも、苦しくとも、涙で目元が晴れようとも、腹は減る。
なんだか馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいそうになる。私ひとり、貴方ひとりがこの世の終わりのような顔をしている。もう、消えてしまいたいとさえ思う。そんな時、間の抜けた音でお腹が鳴るのだ。食欲はなくとも、身体は食えと脳みそを刺激する。どんなに死にたくとも、身体は生きようとする。
どんだけ最悪なことが起きても、朝が来れば起きて、飯を食うために動かなければいけない。人と会い、料理をし、食って、風呂に入って、また寝るのだ。生活のサイクルは平坦で、だけれども人生は何一つ平坦じゃない。不思議なことに。
明けない夜がないことも、止まない雨がないことも、まったくもって残酷な現実に他ならない。すべてがここで、ゲームオーバー。終わってしまえばどれほど楽なのだろう。
ひねくれで、後ろ向き。部屋の隅でキノコを生やしているような人間は、時に太陽を恨めしく思う。どれほど泣きはらした目をしていても、生きなければならない人生を突きつけてくる。
人生は、つづくからこそ恐ろしい。終わりの見えない、真っ暗闇を、それでも手探りで生きていくしかない。
のぼる太陽は、残酷なやさしさだ。
平等に、誰にでも、朝を連れてくる。
それでも日々はつづいていく。
私たちは、そんな優しい地獄を生きている。
生きていく。
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