のびた髪と小心者
ここ数カ月、いつも脳みその片隅で美容院にいかなくちゃな、と思っている。実は、もう一年近く髪の毛を切りに行っていないので、傷み放題の伸び放題。いい加減洗うのがめんどくさい量になってきて、排水溝に絡みつく髪の毛も嫌になってくる時期である。
なら、さっさと行けばよいではないか。
確かに、その通り。しかし、問題は、そう簡単ではないのだ。
まず、どんな髪形になりたいのかが、全然わからない。長いのが面倒なので、ショートにしてしまいたい気持ちがある。でも、ばっさり切ってしまって、お気に入りの髪ゴムがしばらく使えなくなるのは、すこし寂しい。それに、後頭部に皮膚移植の跡があって、極端なショートカットが出来ない。あと、顔を晒して他人になにか思われやしないかという、非常に後ろ向きな考えも、やはり少し脳裏をよぎるのだ。嫌なことに。
同時に、髪の毛を染めてみたいな、と思う。できれば、思い切り派手に。
でも、なぜ染めたいのか考えると、自分が元気に見られたいからなのだ。どちらかというと地味顔だし、真面目然とした印象を与える見た目をしている。そのためか、なにか突拍子もないことをやりたいという欲求がある。緑とか、紫とか、変な色にしてみたい。ふとそう思う日がある。
やればよいのだが、問題は美容院無精のため、プリンになっても間違いなく放置してしまう未来が見えていることだ。それに、似合わない、おかしいと言われるのを恐れている。
変に見られたいのに、変に見られたくない。言葉にするとおかしな欲求なのだが、皆そんなもんだろうなと思っている。
皆、個性がほしいけれども、仲間外れは嫌なのだ。そんなもんだよね、人間。
そういえば、一年前、人生で初めて髪の毛を染めた。少しピンクがかった茶髪のセミショートは、いまでは見る影もない。よくよく見ると、髪先にかけて地毛からグラデーションを描いている。
はじめて髪の毛を染めようと思ったのは、四月から始まる新しい生活に、なにかしら『強さ』がほしいと思ったからだ。
知らない人ばかりの環境に、突然異端として放り込まれることを、畏れていた。自分を飾って武装したいというのは、動物的な本能なのだろうか。多くの鳥や虫なんかも、美しい羽や甲羅を競い合う。
髪の毛を染めて、化粧をした。毎日した。慣れないけれども、そうしなくちゃいけない気がした。
小心者なりの、見栄だった。
大学院の男の先輩に、「目はちいさいけれど、ぶさいくではないよ」みたいなことを言われた。そのことを、今になって思い出す。
褒めている、つもりなのだろうか。
なぜ、人の見た目を、まな板の上に乗せて調理したがるのだろう。
心の中で、死んでくれ。って思った。最悪だ。
性的に対象化されることに、吐き気がした。女子大で過ごした四年間が、心底恋しかった。
体調を崩して大学に行けなくなってから、一度だけ這うように登校したことがある。途中で、吐きそうになったり、エレベーターの中で涙が止まらなかったりした。
ああ、なんて情けない。恥ずかしい。見られたくない。
今思えば、そんな精神状態は異常なので、今すぐ病院にいくべきなのだが、異常にいる人間は異常とは気づきにくいものだ。不思議なことに。
マスクをしていた。化粧をする精神的余裕がなかったので、マスクをして、眉毛だけを書いて、大学に行った。
別の先輩に、「今日は顔が薄いね」と言われた。
ああ、なんなんだろう。
なんで、そんなことを言うのだろう。
研究室のある階に降りるだけで、涙が出て、なにもできなくて、吐きそうで。手足は怠くて、歩くのもままならない。
なのに、顔が薄くちゃいけないのだろうか。
きっと、言う側に批判的意味なんてなにもないのだ。彼も彼女も、自分の発言を覚えてすらいないのだろう。同じようなことを、私も必ずどこかで誰かにしているに違いない。嫌だなあ。
人間が駄目になるときって、大きな出来事があるわけじゃないのかもしれない。小さな積み重ねがあって、ぽっきりとなった。そうやって、どこにも行けなくなってしまった。
〇
髪の毛を切りに行きたい。せめて、見た目だけでも違う自分になりたいのかもしれない。だけれでも、私は私で、どんな姿になってもどこにいても、同じ人生の線の上に私は立っている。
自分が自分で好きだとい言える髪型になりたい。
できるだけ、奔放な感じがいいなあ。
健康的で、明るくみられたい。
それと、目が小さいとか、顔が薄いとか、そういうこと言われても気にしない人間でいたい。
近いうちに、髪の毛を切りに行こう。
やっぱりショートがいい。
染めるのは保留。
パーマはどうだろう。ゆるパーマショート、かわいい。
強くいたいな。
自分のために、強くいたい。
それが、虚勢じゃない強さになればいいな。
〇
あとやっぱ目が小さいって言ってきた男、心底ゆるせねぇし、二股かけてる話を嬉し気に話してくるの、去勢されろって思う。心の中で中指立ててる。
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