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あの時、返せなかった手紙。(#磨け感情解像度)

 手紙を貰った記憶がある。
 ひどく曖昧で、もしかしたら捏造した思い出かもしれない。手元にその手紙は残っておらず、差出人の顔は朧気で、名前も思い出せない。
 それでも、手紙を貰った記憶がある。
 その手紙に返信をしなかったことが、今になって少しだけ、心の底に引っかかっているんだ。

  〇

 その男の子のことを、私はよく知らない。恐らく、同じクラスだった同級生の誰も、彼の事を詳しく知らなかっただろう。
 まだ入学したばかりの高校一年生、外部進学者の集まる五組の端に、確かに彼は居た。少し猫背気味で、優しそうな垂れ眼だった気がする。どこか頼りなさげで、『落ち着いている』と言えば聞こえはいいが、その実は『弱々しい』という言葉のほうが似あう。彼は、そんな高校生だった。

 高校に入学した年の五月、私はバセドウ氏病の診断を受けた。手足は重く、気分は落ち込み、三階にある教室を目指すだけで息が切れる。

 思春期なんて、みんな切れ味のいいナイフを隠し持っているみたいなものだ。
 露骨に人を傷つけたり、罵倒するよなことはしない。だけれども、心の奥底では誰もが見下せる人間を探している。自分より格下だと思える人間、自分はまだましだと思える安心材料。受験や将来の不安、家庭環境のストレス。そういった見えない淀みが、教室の中には常に漂っているようだ。
 そんな教室に居づらくて、ますます学校への足は遠のく。気が付けば、週に三日ほど登校するだけで、精一杯になっていた。

 私は自分のことに必死で、教室にもうひとつ、いつも空いている席があることに、しばらくは気が付かなかった。

  〇

 単位ギリギリをすり抜けながら一学期を終え、夏休みが明けるころには次第にバセドウ氏病の薬が効きはじめた。手の震えや疲れやすさはあるものの、少しずつ、私は自分の身体と折り合いをつけられるようになり、学校へと登校する日数も増えていく。
 学内での委員会仕事で同級生と関わる機会も多くなり、ちいさくとも、たしかにあの教室の隅に、学校の端に、私の居場所があり、友達がいた。辛くて休む日もあったけれども、確かに私は五組の生徒だった。

 彼の席はいつまでも空席で、いつだって机の中にプリントが溜まっている。整理するのも一苦労の紙の束を、担任が時々まとめて持っていく。誰も彼には言及しなかったし、プリントを失くした男子生徒が時々彼の引き出しを漁ることすらあった。

  〇

 生徒には一人一つロッカーが与えられている。教室の窓際に並ぶ小さなロッカーには、皆各々教科書や体操着、運動靴を片付けている。クラスの人数が少ないので、空きロッカーがいくつかあり、部活をしている男子生徒が練習着や汗臭いユニフォームを詰め込んでいた。

 あの日もそうだった。
 丸刈りの野球部員が自分のユニフォームを探して、ロッカーを片っ端から開けては騒いでいる。掃除が終わり、もうすぐホ-ムルームが始まる土曜の正午。午前授業が終われば、皆それぞれ帰るなり部活にせいを出すなりする。
 カバンを片付けて、手短にその日の事を自分の『生活ノート』にまとめる。毎日、五行ほどの短い文章と前日の勉強時間や睡眠時間を記載したノートを担任に提出するのが、学校の習わしだった。
 些細なことから、悩みや内面についてまで。他の生徒がなにを書いていたかは知らないが、私はそこに自分の病状を記すこともある。それが他人に見られていいノートではなかったことだけは、確かだった。
「あっ!」
 ロッカーを開けてユニフォームを探していた丸刈りが、ひときわ大きな声をあげた。ちょうど窓際の私の席の、そのすぐ近くのロッカーを開けて、驚いている。その声で、クラス中が彼の方を見ていた。
「うるせえな、なんだよ?」
サッカー部の男子が教室の向こう側から聞く。
「いや、このロッカーさあ……」
 無造作にプリントが詰め込まれて、およそ機能を果たしているとは思えない狭くて汚いロッカーが、近くに座っていた私の席から見えた。丸刈りの男子生徒が、ごそごそとその中を漁って、今ちょうど私の手元で開かれているものと同じ、薄水色の表紙をした『生活ノート』を手にして言った。
「ここ、アイツのロッカーだわ」
 数人の男子が、口もとをにやつかせながらやめろよという声が聞こえる。それは、制止とは違う意味を含んだ声。露悪的な厭らしさを含んだ声。
「なに書いてあると思う?なあ」
 ノートを手にした男子が、口元をにやけさせながらノートを開こうとしたとき。
「いってえ!」
 私はおもわず、手元にあった自分の『生活ノート』で、そいつの頭を思い切りひっぱたいていた。
「なにすんだよ痛えな!」
「しまえよ、見ていいものじゃないでしょ。馬鹿じゃないの?最低」
 口から勝手に言葉が出て、一度にまくしたてた。
 一瞬クラスが静まり返り、それから、「叩くことねえじゃん」と男子が小さくつぶやいた。彼のノートはロッカーの中へと戻されていった。
「だからやめろっつったのに」
「お前ばかだなあ」
「うるせえ」
 少しだけ不貞腐れた顔をした丸刈りは、クラスの男子の輪へと戻っていき、すぐに教室はいつも通りの喧騒を取り戻していた。

  〇

 思春期なんて、みんな心の中に切れ味のいいナイフを隠し持っているみたいなものだ。
 典型的ないじめや、陰口は言わなくても。どこかで、見下せる人間をいつも探している。自分は大丈夫だと、安心できる材料を。笑いものにしていいピエロを。

  〇

 夏服から冬服に変わり、それほど日が経たぬ頃、彼は学校をやめる決意をした。

 冷たさを含む風が、坂道の桜並木を丸裸にするべく吹き荒れた日。ホームルームの時間に彼は久しぶりに教室に入り、皆の前へ立った。やめる前に、自分の言葉で話がしたいという本人からの申し出だと、担任が説明をした。

「上手くしゃべれないといけないから、書いてきました」
 そう言って、彼は懐から取り出した便箋を、ゆっくりと読み上げた。
 中学時代にいじめを受けて不登校だったこと。遠くのこの高校へ来て、一から学校生活をはじめるつもりだったのに、うまく朝起きられなかったこと。苦しくて、どうしようもなかったこと。皆に会わせる顔がないと思っていたこと。自分が弱いと言うこと。
 それでも、勉強は嫌いじゃない。だから、通信制の高校へと転入することに決めたということ。

 教室の後ろには、彼のお母さんが立って、彼が話す姿を静かに見つめていたのを覚えている。

 それから、彼は少しだけ仲の良かった男子生徒と話して帰っていった。彼のお母さんは、皆さんにお世話になったからと、生徒ひとりひとりにハンドタオルを配った。レースのついた、やわらかなハンドタオルだった。
 ホームルームが終わり帰ろうとしたとき、担任の教師に呼び止められた。
「これ、あの子があなたに渡して、って」
 それは、確かに私宛の手紙。少しだけ驚いて、同時に彼の感情がわかるようなきがして、その手紙を受け取った。

 彼は、私が病気で休みがちなことを担任から聴いていたようだった。それから、私も学校にあまり行けてないことも。自分と似ていると、勝手に思っていたこと。自分は辞めてしまうけれど、体調に気を付けながらでも高校生活を楽しんでほしいと、そう書かれていた。

 私は、いつまで経ってもその手紙に返事をすることができないでいた。

  〇

 思春期なんて、みんな切れ味のいいナイフを隠し持っているみたいなものだ。

 私だって、そうだった。

 彼の『生活ノート』が覗かれそうになった時、反射的に身体が動いていた。それから、頭の先まで憤りが駆け上がって、手先まで血が巡るのを感じていた。
 馬鹿じゃなかろうか。くそみたいだ。それは、覗こうとした男子生徒への怒りであり、同時に学校へと来ない彼への怒りでもあった。
 学校へと行かない日が空けば空くほど、行けなくなる。行けなければ行けないほど、何を言われるのか分からなくなる。クラスの嘲笑の対象にされているかもしれないと、そう思うほど夜は眠れず、朝は恐ろしい。
 いくら部屋のベットの上で、泣きながら苦しんでいたって、クラスの連中はそんなの知ったことじゃないんだ。どんな憶測や下種な勘繰りも、好き放題だ。
 わかってるなら、来いよ。
 自分の内側を書いたようなノートを、放っておくなよ。
 ニヤニヤ笑う馬鹿みたいな同級生の、話のタネになるようなこと、すんなよ。

 私は、彼のためでも、ましてや正義ためでもない。私自身のために、行き場のない感情を怒りへと変換させていた。
 彼へと向けられる嘲笑。その見えないナイフは、同時に私にも向けられたナイフだ。いじめられているわけでも、問題があったわけでもない。それでも、学校に来ることが難しい生徒がいる。そのことを、嘲笑する同級生にはどうしたって理解できないのだから。

 心底、嫌だった。
 彼に向けられるナイフ。その好奇の視線を自分が決して持っていないと、そう言い切れないことが、なにより嫌だった。


  〇

 彼からの手紙を前にして、どうしても返事をする気になれずにいた。頂いたハンドタオルはタグを切って、引き出しの奥深くへと隠すように片付ける。
 自分の感情に目を向けるのが嫌で嫌で、それで、すぐに頭の中から追い出そうとした。彼の事も、ハンドタオルのことも、それから手紙のことも。

  〇

 今なら、わかる。
 私が彼に手紙を返せなかった理由。

 教壇に立って便箋を読み上げるその姿を、心底羨ましくて恰好いい思ってしまった。そのことを、今になってようやく認められる。
 自分がいるべき場所を、自分で選択できた彼の強さ。そのことをきちんと受け止めて、子供のために道を開いてくれる、両親の理解。
 どれも、あの時の私が欲しくて欲しくて仕方がないものだった。

 彼が学校を辞めてからも、何事もなく授業は続く。私は体調不良で項垂れながらも、這うようにして学校へと行き続けた。
 朝、学校へと向かう列車がホームへと入ってくるたびに、心を殺しながら乗り込む。窓に頭をつけて、どうしたって出てくる涙を隠すように寝たふりをして、それでも教室へと向かった。

 そのことを、あの頃の私は自分で肯定することが出来なかった。あまりに弱くて、情けなくて、恥ずかしいことだけれど。
 私にはないものを持っていて、『逃げた』彼を心の中で嘲り続けることでしか、私は自分を納得させることができなかったんだ。

 私だって、苦しかったのに。一緒に、苦しんでいたのに。貴方は、早々に自分を大切にするほうへと行ってしまった。私はまだここで、意味もなく踏ん張り続けて、毎日心を殺しているのに。ひとりで泣いているのに。
 そう思うことでしか、生きていけなかったんだ。

  〇

 あの手紙を、結局どこにやってしまったのか、わからない。
 もしかして、手紙を貰った記憶すらも全部勘違いかもしれない。

 だけれども、今でも私の手元には、彼のお母さんから頂いたハンドタオルがある。

 彼は元気だろうか。あれから、もう九年ばかり経つ。
 通信制の高校を卒業して、どこかの大学へ行ったのだろうか。聡明な人だったから、きっとどこかで活躍しているに違いないと、そう思う。

  〇

 あの時の、貴方の選択。私は凄くうらやましくて、それで手紙を返すことが出来ませんでした。ごめんなさい。
 私はなんとか卒業して、今は大学で勉強をしています。それも、体調を崩して休んでしまっているのだけどね。

 教壇に立って便箋を読み上げた、貴方の姿。顔は忘れてしまったけれど、それでも心底格好いいと思ったことを覚えています。どれほど、恐ろしいことだったか。想像することしかできないけれど、その勇気を、きっと私は忘れないでしょう。そういうことを、ちゃんと手紙に書くべきでした。本当にごめんなさい。

 しがみついてなんとか卒業した私の選択も、新しく息のしやすい場所を探しに行った貴方の選択も。どちらも違う勇気が必要で、どちらも価値のあるものだったと、今更だけれどようやくそう言えます。
 若いうちに苦労は買ってでもしろなんていうけれど、本当は苦労せずに生きていけたらどんなにいいかって、そんなことを考えてしまいます。だけれども、きっと、私も貴方もあの苦しかった高校生活があるから、今があるんでしょうね。
 あの死にたいほどの苦しみがあってよかったなんて、そんなことは口が裂けても言えないけれど。その苦しみだって、今の私を形作るピースのひとつになっています。生きるって言うことは、そういう歪みも全部抱えて、それでも歩いていくことなのかもしれないな。なんて、最近はそんなことを考えています。

 あの日の貴方は、本当に勇気があって、格好よかったです。
 同級生の誰よりも、大人で聡明でした。
 今でも、私はそう思います。

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 手紙を貰った記憶がある。
 ひどく曖昧で、もしかしたら捏造した思い出かもしれない。手元にその手紙は残っておらず、差出人の顔は朧気で、名前も思い出せない。
 それでも、手紙を貰った記憶がある。

 あの時できなかった返事を、今になってしたって意味がないかもしれないけれど。それもこれも全部、自己満足だってわかっているけれど。

 それでも、一時だけど貴方と同級生で居られて、本当に良かった。


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