梅雨の晴れ間、祖父の畑。
ここひと月ほど、祖父の体調が芳しくない。
今年の秋に米寿を控えている祖父は、考えて見ればこれまで驚くほど元気だった。日々、畑仕事に精を出し、それから車を運転して買い物へ行く。祖母と連れ立って夕飯の食材を買ったり、時には一人で好きな和菓子屋へ行き、せんべいを買ったり。
そうして買ったお菓子を、私や弟にくれるのだ。せんべい、饅頭、あられ。チョコレートに、ピーナッツまで。時にはあつあつのたこ焼きなんか。
わあ、ありがとう。そういうと、祖父がにっこりとほほ笑む。そんな祖父の顔が見たくて、あまり間食をしなくなった今も、祖父の持ってくるお菓子だけは目いっぱいの笑顔で受け取る。
私たち三人姉弟は、祖父母に決して反抗できない。それくらい、幼いころに世話になり、そして大切に育ててもらった自覚がある。
だからこそ、時折考えるのだ。
もし、祖父母がいなくなったら、私たちはどうするのだろうと。
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祖父が熱を出してからひと月ほど。体温が上下を繰り返し、最初は流行り風邪かと疑いもした。しかし、熱以外にそれらしい症状もなく、かかりつけ医に通いながら様子を見ている。この数週間は、それも治まりつつあった。
ひと月の間で、祖父は随分と弱々しくなったように感じる。
以前は運転していた車も、自分で運転席に座るのは怖くなったようだ。病院に行くにも、タクシーを呼ぶ。時間が合えば、弟が送っていく。
先日、祖父に頼みたいことがあるといわれた。聞くと、このひと月ばかり手を入れてない畑の様子が気になるという。
茄子やトマト、じゃがいもや苺に、落花生。里芋に、それから玉ねぎ。夏の間、祖父の畑の恵みは我が家の食卓をにぎやかにしてくれる。
そういうことならばと、腕まくり。弟と私、そして祖父と祖母。梅雨の晴れ間をぬい、四人で畑へと繰り出すことになった。
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家から車で15分ほどの場所に、畑がある。半分は母型の祖母が管理し、もう半分は父方の祖父が管理している。幼いころは、春にはいちご狩り、秋には芋ほりをしによく訪れた。トマトやキュウリの収穫を手伝った記憶もある畑へと来るのは、久しぶりのことだった。
このひと月で見事に草を伸ばし青く染まった畑をみた祖父は、すこし悲しそうな顔をしていた。しきりに、手伝わせてわるいなあと言い、いつもなら簡単なことなのにとつぶやく。
そんなん、気にしんでよ、いくらでも手伝うからゆってよ。そんな風に声をかけても、やはり祖父は寂し気な顔をしていた。
祖父の指示のもと、畑の畝を掘り返す。
ここにはじゃがいも、こっちは玉ねぎ。それから、苺も。あまり多くはないが、真っ赤な春が実っている。トマトやナスはようやく花が付いたところだった。カボチャが蔓を大きく伸ばして、黄色い花を咲かせている。
スコップやクワを駆使して、じゃがいもを掘り返す。二列の畝を少し掘ると、次から次へと、ころころとじゃがいもが顔を出した。煮っころがしにするのにちょうど良さそうな小さめのもの、丸まるとふくれた立派なもの。あまりの大量に、祖父も祖母も驚いている。
弟と祖父が掘り返し、私と祖母がそれを袋に詰めていく。掘り返されて驚いたアリやミミズが右往左往する様が面白くて、つい手に取ってみる。ミミズはあまりに大きくて、手のひらの上でまるまるとした身体を元気にくねらせている。
ああ、この子たちのおかげで、今年もおいしいじゃがいもが食べられるのだ。そう思い、土に帰す。ミミズはあっというまに掘り返された土と土のあいだに姿を消していった。
それから、落花生を入れた畝の草をむしる。黄色く小さい花を付けた落花生は、その名の通り花を落とし、土に潜る。そこで、おいしいピーナッツが出来る。潜りやすいよう、草を抜き、土を掘り返して柔らかくしておく。
一通りの作業を終えるころには、私も弟も、そして祖父も祖母も、汗だくになっていた。スコップでずっと土を掘り返していた弟は、あごから汗をたらしながら、水も滴るいい男だろと言う。たしかに、臭そうだけど。そう返すと、お前も変わらんと言われる。その通りだなあと、汗まみれのシャツを見ながら笑った。
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小一時間ほどの仕事だったが、家に帰るころには皆疲れ切っていた。じゃがいもは影に置き、玉ねぎも吊るしておく。しばらくは、どちらも買わなくてよさそうだ。
祖父はしきりに悪いかったなあと口にする。
いつもなら一人でできるんやけどなあ、だめやなあ、早くよくならなあかんなあ。
その声が弱々しくて、きっとすぐまた行けるようになるよと励ます。本当にそうなってほしいと、心の中で強く祈った。
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祖父は今年の秋に米寿を迎える。
私にとっては生まれたときから元気に畑仕事をしている祖父だが、それでもやはり、少しずつ弱っていくのを感じる。
それは、例えばお酒を飲まなくなったことや、食べる量が少なくなったこと。耳が遠くなったり、私たちの好き嫌いを忘れてしまうこと。それに、鍬を振るうたびに、肩で息をしていること。
いつまでも、元気でいてくれればと勝手なことを願う。いつまでも、祖父が作った野菜を食べていたいなと思う。
春にはいちごを、夏には大量のトマト、ナス、キュウリ。秋になったら里芋に、さつまいも。落花生だって、祖父が炒ったものが一番おいしいのだ。
だけれども同時に、やはり覚悟を決めなくてはいけないのかもなと、そうも思う。そう思えるだけ、大人になったのかもしれない。ゆっくりと、心の準備をしていかなくてはいけないのかもしれない。
いつか、祖父の畑に野菜が無くなる日が来たとして。そうしたら、四人でじゃがいもを掘り返した梅雨の晴れ間のことを、私は思い出すのだろうか。
落花生は土が柔らかくないといかんと言った祖父の顔も、鍬を振るって肩で息をする、その小さくなった背中も。汗を垂らして働く弟の姿や、元気に身体をくねらせるミミズの重さまで。
出来るだけ、忘れないようにしたいと願う。
時間は戻らず、気が付けば季節は進む。いつか、祖父も祖母も、居なくなる日がくる。
だからこそ、今日流した汗も、豊作のじゃがいもを見た祖父の嬉しそうな顔も、忘れないようにこうして書き残しておきたいのだ。
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