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ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON 1周目をプレイした感想②

1周目をプレイした感想①のつづき。
①では「良かった点」を述べたので、こちらでは「気になった点」を述べる。
まずは、地味なポイントから。

画面表示について

UI(ユーザーインターフェース)や各種パーツのパラメータに関する表示等が分かりにくいというのは、シリーズを通して今まで傾向としてはあったが、今作では特にそれが顕著だと感じた。

例えば、今作ではR3スティックを押し込むことで、ロックアシストモードの「ON/OFF」を切り替えられるようになっており、ONにすると、ロックしている最中の敵を自分の機体が常に正面でとらえてくれるようになっているのだが、プレイ中に自分が今どちらのモードでプレイしているのか分からなくなることが何度かあった。
画面中央の円形のレティクルの周囲に、目印となるものが表示されるようにはなっており、非戦闘中であればそれに気づけるのだが、戦闘中に見分けるのは困難であるように思えた。
ボス戦などの緊迫した場面で、つい力んでしまってR3スティックを押し込んでしまったり、戦闘前にアシストをONにしておくのを忘れたりすることが、わたしの場合はよくあり、その度に相手に照準を合わせながらフィーリングで「ON/OFF」を確認する、ということをしていた。

また、今作では、武器がいくつかの属性に分類されているのだが、ガレージにおける武器の属性表示のアイコンが非常に小さくわかりづらいと思った。

ガレージについて

次に気になったのは「ガレージ」。
ストーリー中盤に「海越え」というミッションがあり、これを境に主人公の活動エリアが大きく変化することになるのだが、主人公を貨物用のパッケージにつめこんで巨大なカタパルトで撃ち出す、というイベントムービーまで用意しておきながら、ミッションが終了すると、帰ってくるのはいつもと同じガレージなのだ。
あの段取りはいったい何だったのか、という気分にわたしはなった。

他のゲームを例にとると、『Dragon Age : Inquisition』という作品では、ストーリーの中盤で起こるイベントをきっかけに、主人公の活動拠点が小さな教会から巨大な城塞へと移り、調合できるポーションの種類やつくれる装備の種類が増えるため、ゲーム的にできることが増えたことを視覚的に実感できるようになっていた。今思えば、きわめて秀逸なアイデアであったといえる。

前作のV(ファイブ)系が、模様替えをできるくらいにガレージに力をいれていたため、それとの比較になってしまっているというのもあるが、今作はガレージそのものが少しさみしいようにわたしは感じた。

少し個人的な話をすると、わたしはVにおいてガレージのBGMとして使われている『Steps』と、それと同系統の『Lament over the howling age』という曲が好きで、サウンドトラックを購入し、今でも車の運転中に聴くことがある。

ロボゲーにおけるガレージというのは、パラメータの数字とにらめっこしたり、休憩中にAFKしたりする場所で、ゲームを起動中、プレイヤーが最も多くの時間を過ごす場所である。そのため、ロボゲーにおいてはこのガレージに対するプレイヤーの評価が、作品全体の評価にも直結すると、わたしは考えている。
今作では、格納されている自分の機体を眺めたり、フォトモードで写真を撮ったりできるのだが、ほんの少しだけ物足りなさを感じてしまった。

ボス戦について

次は「ボス戦」について。
これは多くのプレイヤーが気づいていることだと思うが、ボス戦の解答がワンパターンなのである。
何パターンかの戦い方を試み、一通り苦戦した後は結局「その時入手可能な最高火力を、至近距離から押しつける」という結論にたどり着くということを、わたしはボス戦の度に繰り返していたように思う。
他の独立傭兵たちはどうしているのだろうか、といくつかの撃破動画を確認したが、結果は「火力の押しつけ方が、プレイスタイルによって異なる」ということが分かっただけだった。軽量機体では、相手の懐に潜り込み高速戦闘を仕掛ける。重量機体では、相手の懐に潜り込みごり押しする。わたしの場合は、その中間といった感じだった。

過去作をふりかえってみると、アーマードコアという作品には必ず、どんなに困難なミッションにも逃げ道やごまかしのような手段が用意されていたように思う。
例えば、自分が操縦する機体をエリアオーバーギリギリに立たせると、敵はある一定以上近づいてこれなくなるため、中遠距離から落ち着いて対処することができる、という方法はシリーズを通して有名なテクニックのひとつだ。

しかし、今作においては、その手のごまかしが存在しないため、強敵と正面から向き合わなければならず、撃破後に疲労感を覚えることが多かった。
普段から「死にゲー」をプレイしている方であれば、気にならないのだろうが、わたしはこのジャンルには向いていないらしい。
強敵を倒した達成感というのは、未来に対する疑念があればこそ生じる感情であり、未来に対する確信が揺らがないのであれば、費やした時間相応の疲労感が勝ってしまう。

例外的に、「ジャガーノート」と「スマートクリーナー」だけは、明確にわかりやすい弱点が用意されていたので、プレイしていて楽しかった。「あー、やっぱりそうだよね。あなたこれされると困るよね」という、発見にたいする喜びがあった。


操作性について

最後は、大きなくくりでの「操作性」について。
これに関しては、まだ自分の中で考えをまとめきれていない。ただ、いちファンとして自分がこのシリーズに何を求めていたかを、改めて考えなおす必要があると感じた。

ロボゲーにおけるゲームバランスの調整というのは実は非常に難しく、人間の肉体とは重さや大きさや構造が異なる物体を人間の肉体の代わりとして動作させるうえでの不便さであるとか、ぎこちなさといったものを意図的に狙って残さなければならないのだが、それがプレイヤーのストレスになってはならないのだ。

今作におけるACの挙動は4系をベースにしていて、直感的なフィードバックを得られる一方で、エネルギー管理のシビアさであったり、今作から導入された「スタッガーシステム」などによって、操作が自由になりすぎないよう、機体制御にある種のペナルティ(※)が課せられていることもあって、V系のフィーリングも得られるようになっている。

ロボゲーとして上手くゲームバランスが調整されているように思えるが、わたしはなぜだかそこに、ごまかしや欺瞞のようなものを感じてしまった。

(※)今作では、ACの操縦に最適化された「人体」をACに詰め込んで、神経接続によって機体を動かしているという設定が採用されていると思うのだが、直感的な機体制御とスタッガーシステムは表裏一体の関係だと、わたしは考えている。映画『コンカッション』ではないが、操縦している機体に負荷限界を超えるような大きな衝撃が加わると、機体制御をおこなっている生身の脳が過剰な入力信号に耐えられず、一次的に機体制御を手放してしまい、一種の「コンカッション」状態に陥る、というのが今作におけるスタッガーシステムなのだと、わたしは勝手に理解している。

例えば、脳みそだけが生身の、全身を機械化したサイボーグ戦士を操作して、銃を撃ち合うようなゲームはロボゲーだろうか(いち時期のCoDシリーズは、まさにそんな感じだった)。
では、人間とは根本的に形の異なる戦車のようなロボットに人間の脳みそを詰め込んだ、という設定のメカを操縦するゲームはどうだろうか(『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の第2話「暴走の証明」に登場する多脚戦車のようなイメージ)。

今作のアーマードコアは、どちらかといえば前者寄りなのを、あの手この手で後者寄りに見せているだけなのではないか、という考えが、ときおり脳裏をよぎることがあった。特に近接格闘に頼らざるをえないような場面がつづくと「なんでわたしはアーマードコアで格ゲーをしてるんだ?」という気分になった。
また、着弾時に大きな爆発を伴うような兵装を比較的近距離で運用することが多く、「実用性はガチだが、やっていることはネタ」といったプレイで、今作の重厚で深みのある世界観に自ら水をさしているような気分になることがあった。。
気にしないようにすれば気にはならないのだが、プレイしている最中常に「ロボゲーとはいったい何なのだろう。はたしてこれは、わたしのやりたかったロボゲーなのだろうか」という疑問が頭の片隅にあったような気がする。

以上、「気になった点」を4つピックアップした。

まとめ

とはいえ、10年ぶりのアーマードコアにわたしは概ね満足している。
過去作には無かったような要素を楽しんだり、今まで試したことのなかったようなことを試したりして遊んでいる。

例えば、ストーリー終盤の「脱出」というミッションは、今作でわたしがいちばん好きなミッションのひとつで、これは、あることがきっかけで、身柄を拘束されてしまった主人公が間に合わせの機体に乗って、ある場所から脱出を図るというミッションなのだが、
まさかアーマードコアでステルスアクションをすることになるとは、夢にも思わなかった。
個人的には、最新鋭の高速機体といった格好いいACよりも、このミッションで押しつけられるジャンクパーツの寄せ集めのような、ボロボロの機体を動かしている時の方がわくわくしたし、なぜだかしっくりきた。

続編があるかはわからないが、個人的には『ルビコンⅢ RaDシミュレーター』や『独立ジャンカーシミュレーター』のようなスピンオフが発売されたら、絶対に買う自信がある。
土建用のACを転がして、地下資源を採掘したり、戦場でジャンクパーツを漁ったり、企業の施設に忍び込んで機密情報やブループリントを盗んだりして、いらないものは他のジャンカーに売ったり、なんらかの取引の材料にしたりする。そんなゲームが発売されたら、やる以外の選択肢はないと思う。

今回のアーマードコアの新作『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON』は、パッケージとして完成されているだけでなく、作品世界のあちこちにアイデアがちりばめられていて、わたしはプレイ中ずっと想像力を刺激された(とくにChapter2)。

ロボゲーをまじめにつくってくれる会社が、今はFrom Softwareさんしかないので、我々はこの会社に期待しすぎているような気がするが、アーマードコアシリーズをきっかけに、「ロボゲー」というジャンルそのものに「火」がつけば、インディーズでロボゲーをつくる人たちが出てくるのではないかと、期待が持てる。
そのため、わたしは1周目を終えて「ロボゲーの火を絶やすな」という感想をいだいた。

〈完〉

短くまとめることができませんでしたが、ここまでおつきあいいただきありがとうございます。


わたしの活動が、あなたの生活の一助になっているのなら、さいわいです。