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私たちが大人になるとき

「コーンにしますか?カップにしますか?」という問いに「コーン!」と即答したボウヤを見かけた。

「えー、あんた絶対こぼすやろ」「コーンがええ!」

母親とひと通りの攻防を経て彼は、口の中に入れるとべちゃっと口内に張り付くタイプのコーンの上に真っ白く巻かれたソフトクリームを手に入れた。

夏休みのソフトクリームって、嬉しいよね。なんて、他人から見れば微笑ましいひとコマだけど、お母さんはあの後、大変だろうな。おそらく小学生にもなっていない彼には、まだコーンのソフトクリームを綺麗に食べ切るスキルはない。

ひとくちが小さく、食べるスピードも遅いのでだんだんとソフトクリームの最下部が湿っていき、まずいと思って下から食べ始めてしまったら、それは終わりの始まりである。結局べたべたになった手や衣服をなんとかするのは親なのだ。

でも、わかるよ、少年。せっかくだったら大きい方を選びたいし、食べられる部分が多いなら、そっちが良いに決まってるよね。パッキンアイスでさえ、左右どちらの端っこのほうが少しでも多く入っているか見極めて妹と分けていたから、わかるよ。

もちろん私も、小さいときは必ずコーンを選びたがる子供だった。小学校3年生のときに一人で札幌を訪れたときのこと。祖父母と共に牧場に出かけ、例にもれずコーンのソフトクリームをねだった。東京育ちの私は、子供ながらに普段食べるソフトクリームとは比べものにならない濃厚なミルクの味に「やっぱり北海道は違うんだよなぁ〜」などと分かったようなことを呟いて、ため息をついたことを覚えている。

汚れると分かっているのに、絶対にコーンを選んでしまうのは何歳くらいまでなんだろう。言い換えれば、コーンを食べたくても「汚れないこと」を優先してカップを選べるようになるのは、一体何歳くらいからなんだろう。これは一度全国レベルで調査しても良いと思う。

「ソフトクリームを買う」なんていう、この世においてもトップレベルにワクワクする行動の端っこに、こうしたある種の理性を持ち合わせることなど思いつきもしなかったあの頃の、非常に純度の高い欲求。

それが消えかかるとき、人はひとつ大人になるんじゃないかな。なんて思うと、ちょっと寂しいですね。

出張で訪れた関西の小さな町の観光案内所のフードコーナーで、大人になった私はカップのソフトクリームを片手に、ふとそんなことを思うのであった。

さぁ、仕事、仕事。

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