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映画「ホテル・ルワンダ」感想

2004年、英・伊・南アフリカ共和国合作
監督/テリー・ジョージ
出演/ドン・チードル ソフィー・オコネドー ジャン・レノ ほか

まずはこの映画の背景となるルワンダ紛争について。
アフリカ大陸中部に位置するルワンダには、もともとフツ族とツチ族という部族があり、少数派のツチ族のほうが少しだけ裕福だという違いはあるものの、両者は共存していた。第一次大戦後はベルギーの植民地となり、そのベルギーによって、ツチがフツを支配するという間接支配体制が作られ、ツチとフツは対立するようになった。その後、1959年に起こったルワンダ革命によってツチとフツの立場は逆転し、ツチは迫害され潜伏し反乱軍を形成するようになる。1990年に内戦勃発、1993年和平合意に至ったものの、フツ族出身の大統領が暗殺されるという事件が起こる(フツ族過激派によるという説やツチ族によるという説あり)。再び両者は対立、1994年フツ族民兵によるツチに対する大量虐殺が始まる。映画の舞台はこのあたりですが、ここからコンゴ戦争へと向かっていきます。

ポールは、ルワンダにある外国資本の高級ホテル「ミル・コリン」の支配人。紛争のさなかにあって現実を見据え、有力者と積極的に顔つなぎをして、いざという時の備えをしているリアリストであり、誠実なホテルマンでもあり、家族をこよなく愛する父親でもあり、フツ族である。そして彼の妻はツチ族だった。
日々深刻化するツチに対する迫害。民兵ばかりでなく、中立であるはずの政府軍(警察)にも怪しい動きがある(政府軍のビジムング将軍は、陰で密かに民兵を操っているのではと噂される人物である)。近所の人たちはツチの妻をもつポールを頼って自然と集まってくる。避難民を次々とミル・コリンに受け入れるポール。国連軍が駐在し外国マスメディアなども滞在する四ツ星ホテルには、横暴きわまりない民兵もさすがに手出しができないのだった(ただし国連軍は平和維持活動のみで軍事介入などはできない。平気で殺戮を繰り返す民兵にむざむざ殺された国連軍兵士もいるほどで、こういう事態ともなればさすがに歯痒さを感じないわけにはいかない)。籠城後しばらくして、西側先進国による介入軍がホテルにやってきた。これで助かると喜ぶ人々。だが介入軍は外国人だけを救出し、ルワンダの人たちを見捨てたのだ。外国人をピックアップした軍が去った後のホテルに残された人々の自衛戦が始まる。と言っても、民兵に対抗して血で血を洗うような争いをするわけではない。人々はポールの先導のもと、自分たちを見捨てた世界に向けて、それでもその良心を信じて訴えかけるのだった…。

電話線が生命線となります。
ジャン・レノ演じるミル・コリンの社長(もちろん、西側の平和な暮らしの中にいます)がなかなかかっこ良かった。ポールからの電話を受け、即座に政府高官などに働きかけます。紛争のさなかなのでそれが一時しのぎに過ぎない解決策ではあっても、世界じゅうから見捨てられつつあるルワンダの人たちの強い味方となったのでした。
ポールに先導されて、みなで電話作戦を繰り広げた結果、ぽつぽつと受け入れを表明してくれる国々(主にアフリカ諸国)もありました。それを知らせにきた国連軍のオリバー大佐も味のある人物。最後までルワンダの人たちに関わり続けようとした人物の一人です。
赤十字の女性職員もそう。彼らは本当に勇敢です。

気概の白人ジャーナリスト・ジャックもなかなか渋かった。身の危険を冒し、世界にルワンダの惨状を知らしめようとしたジャーナリスト魂もさることながら、介入軍にピックアップされて避難する際に、自分に差しかけられた傘を「いいよ。恥ずかしい」と拒んだ言葉に、彼の良心を感じました。そう、自分たちを見捨てて去っていこうとする白人が雨の中、ホテルから避難用バスに移るほんの数歩のために、ミル・コリンの従業員たち(ルワンダ人)は後ろから一人一人丁寧に傘を差しかけていたのです。ほとんどの白人たちは、ジャックのように恥じ入ったりすることなく当然のような顔でそのままバスに乗り込んでいく。こういう非常事態にあって、良心や羞恥心の尺度がゆるんでしまう様をまざまざと見せつけられた気がしました。

そしてポール。
自分の力ではせいぜい家族ぐらいしか救えないと現実的な判断を下していたものの、事態の進展につれて、呑み込まれるように渦中のど真ん中に連れてこられ、次第に人々の命を救うために無我夢中になってゆく。今までの自分の価値観、それを凌駕する現実、その現実に対応して乗り越えてゆこうとする勇気と良心。ふと、日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝の姿が彼に重なりました。
ポールには実際のモデルがいて、彼はなんと1200人余りの人々をホテルにかくまったそうです。

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