映画「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」感想
2018年、フランス・ベルギー。
監督/フランソワ・オゾン
出演/メルヴィル・プポー ドゥニ・メノーシェ スワン・アルロー ほか
フランス全土に衝撃を与えた“プレナ神父事件”を扱った作品です。
フランス本国では2019年2月に公開され、ほぼ同時期にプレナ神父の裁判も始まったらしい。
カトリックの聖職者プレナが長年に渡って犯してきた少年への性的暴行。その被害者は80人以上ともいわれており、犯罪初期から実態を把握していた教会上層部が事実を隠蔽しプレナ神父を野放しにしていたことも被害者数を増大させた一因だと言われています。
聖書の勉強会やカブスカウトの活動の場などで少年を漁っていたプレナ神父。子どもたちから被害を聞いた親たちの反応もそれぞれで、黙殺する親あり、どうせたいしたことじゃないのだろうとタカをくくる親あり、教会に掛け合うもうまく丸め込まれる親あり、子どもからの訴えがなく全く事実を知らなかった親もいたかもしれません。
噂ではなんとなく知っていたけれど、神父の性犯罪に触れることへのタブー視があったのか、見て見ぬふりをしてきた地元の大人たちもいたようです。カトリック社会で必然的に生まれる閉鎖性とでもいうべきでしょうか。
第一の告発者は、順調に地位を築いている会社員、アレクサンドル・ゲラン(メルヴィル・プポー)。良き妻と素直に育った子どもたちに囲まれ、リヨンで暮らしています。日曜日には家族そろって教会に行く穏やかな日々。そんなある日、彼はプレナ神父がいまだ聖職についていて再びリヨンに赴任してくることを知り、子どもたちを守るためにも神父を告発せねばと決心します。20年、30年の時を経て、ようやく彼は事件と向き合い闘う気持ちを固めてゆくのです。
ここで、理解ある妻の励ましの言葉に添えられた「子どもたちにもきちんと説明したほうがいい」という一言に驚きました。5人の子どもたちの一番上と二番目の息子は高校生くらいです。そんな思春期まっさかりの息子たちを前に「お父さんは少年の頃に神父に性的暴行を受けたんだよ」と父親が説明しているところを想像するだけで頭痛がしそうだと思った矢先に、スクリーンはすでにそんな場面になっていました。
息子たちは、友達から相談を受けているかのような雰囲気で、「で、お父さんは闘うんだね」みたいな自然なノリ。気まずく沈黙してしまう場面を想像した私のほうがよほど閉鎖的なのかもしれません。
アレクサンドルは教会に告発しますが、うまく丸め込もうとする教会側に業を煮やし、警察に訴えます。ただし、時効が成立しているため、事件化することができません。
そんな中、警察の捜査によって時効前の被害者であると目されるフランソワ・ドゥボールの存在が浮上します。彼は当初、そんな昔のことを思い出したくもないし関わりたくもないという態度でしたが、次第にプレナ神父や教会と闘う意思を固め、仲間を集めて被害者の会を立ち上げます。
このフランソワにしても彼が集めた同志である外科医にしても、良い家庭に恵まれ社会的にも成功し、一見、少年時代の事件が人生に影を落としているようには見えないのですが、彼らは長年、トラウマに苦しんできたのです。
そんな彼らが同志を見つけてゆく過程で、彼らとはまた違った様子の被害者も現れます。エマニュエル・トマサンは初対面の人にいきなり「僕はIQが高いゼブラと診断され、そのせいで何もかもがうまくいかないのさ」などと言う、仕事も金もない変わり者で、他人への(むしろ自分自身への)不信感でいっぱいの嫉妬深い彼女とアホみたいな痴話ゲンカを繰り返す毎日を送っています。そんな彼が被害者の会に自分の居場所を見つけてゆく様子がなかなか興味深い。
謎なのは、プレナ神父。いつ誰に問い詰められても、いつも素直に「ええ、私は罪を犯しました」と認めるのです。ちょっとは事実を隠そうとしたり言い訳をしたり言い逃れようとしそうなものを、なんだか、あけすけすぎるというか…。ちなみに、そのむかし教会の上層部に問い詰められた時も素直に認めたのに、上層部は何もしなかったようです。
罪を認めて誰かに自分の行いを止めてほしかったのかとも思ったのですが、そのわりには、罪の重さを感じている気配も薄い。きょとんとした態度で、まるで子どものようなのです(なんて言ったら、子どもに対して失礼でしょうが)。
このプレナ神父の詳細をもう少し掘り下げて描いてほしかったな…。
とはいえ、それぞれの被害者たちの背景にある家族関係、現在の生活、長年のトラウマ・心情などがこまやかに描きわけられ、とても見応えのある作品でした。