変革の時が来た: 本当の平和憲法を作ろう!
皆さんこんにちは、今日は憲法記念日ですね。日本国憲法が施行されて77年です。時は移ろい、変わらないものもありますが、変わるものもあり、変えねばならぬものもあるのが世の中です。時には常識を疑う勇気も必要です。
日本国憲法が「平和憲法」であるということは日本国民の誰もが信じて疑わない事であり、それを改めることを頑なに拒否する人が左翼だけでなく「保守派」にも多いです。その心髄とも呼ばれるのがお馴染みの第9条です。
彼らは言います「平和憲法こそが日本の平和を守ってきた」のだと(これを本気で主張する人が自民党の中にもいます)。最近はそれに疑義を唱える者も出てきてはいますが、せいぜい「変えたほうが良い」程度にしか発信できないのが現状です。
けれどまさか「日本国憲法」こそが近未来に戦争を引き起こす「呼び水」になっているとしたらいかがでしょう?それでも守り通しますか?今回はそれについて考察していきましょう。
マッカーサーノートの真意
最初に日本国憲法の成立過程からおさらいしていきましょう。
戦争で敗北した私たちは主権を失い、アメリカを主体とする連合国軍総司令部(GHQ)の統治下に置かれることとなりました。GHQは我が国を“民主化”すると称して陸海軍の解体、財閥の解体、皇室宮家の削減、行政機構と諸制度の改革ないし破壊を行いました。その集大成としてGHQが力を入れたのが大日本帝国憲法の改正でした。
これは1945年10月8日、合衆国の国務・陸軍。海軍調査委員会の下部組織である極東委員会で出された資料の一文で「日本の自発的な改革が望めない場合に最高司令官が憲法改正によってこれを行う」という意味です。これの何が問題かというと、ハーグ陸戦条約違反であることが挙げられます。
なお、本条約の主語が「交戦当事国」とあることから戦後は含まれないという主張があるようですが、これは間違いです。なぜなら戦闘が終わっていても当事国間が平和になっているとは限らず、それを明確にするのが「講和条約」だからです。
つまり、日本とアメリカは1951年9月8日に署名され、1952年4月28日に発行されたサンフランシスコ講和条約が出るまでは「交戦当事国」ということになり、ハーグ陸戦条約の適応対象となるのです。そうでなければ敵国を征服しさえすれば勝った側はやりたい放題となってしまいます。もともとそれを防ぐための条約です。まあ、守れてませんが。
それはともかく、アメリカが日本の憲法を変えるにあたって、日本側が出した草案をすべて蹴って押し付けたのがマッカーサー草案です。その条文の一つを見ればなぜアメリカが条約違反を犯してでも憲法改正を断行したかがわかります。
これこそが日本国憲法第9条の原点であり、GHQの本当の狙いです。内容は現在の9条と同様に「国際紛争の解決のための戦争放棄」と「戦力不保持」が謳われていますが、それに加えて”even for preserving its own security”「自らの安全を護る目的でさえも」と書かれています。つまりアメリカは日本に「自衛もできない国」になって欲しかったのです。その理由は極めて単純で「二度と日本がアメリカや西欧諸国の脅威にならないようにするため」でした。戦争に勝ったとはいえ対日戦でアメリカは大きな犠牲を払っていましたから、脅威を永久に取り除いておきたかったのでしょう。日本が有色人種の国だったこともあります(合衆国で公民権運動が本格化するのは1950年代になってからです)。
それを踏まえたうえで、第三国の視点になったつもりで9条を読んでみてください。
はい、これを見てわかることは「日本だけが戦争をすることは禁止」ということです。つまり日本との戦争を想定している国にとっては、日本人が憲法を護る限り自分たちは絶対に安全で、やりたい放題できるということになります。また、最初の攻撃は必ず自分たちから打てますから、いざ日本が気に入らないと思えばいつでもタコ殴りにすることができます。かつてのアメリカは日本に対してそういう関係を求めており、それが日本国憲法第9条の本質なのです。
マッカーサーの呪い
さて、憲法について少しでも詳しい方(保守派限定)なら「ド素人が、重要な点を見落としているだろ」と突っ込んでいることでしょう。その通りです。今の9条とマッカーサーノートには重大な違いがあります。二つを並べてみてみましょう。
「理想」云々は戦後当初湧きあがった世界政府思想によるものですから置いときます。重要なのは「自らの安全を守るため」の部分が9条に引き継がれていないことです。そもそも「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」自体は1929年7月24日発行の「不戦条約」を引用したものです。そして第二項冒頭に「前項の目的を達するため、」を追加したことにより、自衛のためであれば最低限の戦力を持つことができる余地を与えました(芦田修正)。これが今日自衛隊が存在できる根拠となっております。
ならええやないかそのままでもと言いたくなりますが、現実は甘くありません。確かに政府の公式解釈では「自衛は否定されていない」として自衛隊を合憲としていますが、憲法学者や左翼のみならず日本国民の中には「自衛隊は違憲」と認識している人がかなりいます。
アンケートが保守系の産経新聞ですから、朝日新聞ともなれば半数以上にはなりそうです。まるでマッカーサーノートの消された言葉を霊視しているかのようです。元帥本人にとっては不本意でしょうが「マッカーサーの呪い」と名付けさせていただきます。
こうなってしまった理由は戦後教育や左翼メディアなどいろいろ考えられるのですが、知日派のアメリカ人弁護士ケント・ギルバート氏は、日本人の憲法に対する認識に原因があると指摘しています。
アメリカの不当な干渉があったとはいえ、名目上は日本国民の手による改正となっていますから、日本国憲法は「民定憲法」であり、禁止されている事(侵略戦争)以外はできることになっています。しかし「自衛隊は違憲」「PKO派遣は違憲」「集団的自衛権は違憲」と主張する憲法学者たちは、君主によって制定された「欽定憲法」のように、許可されてない物はすべて禁止と解釈しているというのです。
それを裏付ける証拠としてアメリカを含め、多くの国々が憲法の修正・改正をしているのに対し、我が国の憲法は1947年に施行されて以降、一度も改正されていません。「不磨の大典」として一切の手を付けられない様は、1890年に施行されて以降敗戦まで一度も手を付けられることのなかった大日本帝国憲法に通じるものがあります。左翼思想を掲げる護憲派たちがそれを後押ししているのですから、何とも皮肉なものです。
こうした状況を打開するために6年前から「日本の国益と尊厳を護る会」代表の参議院議員青山繁晴氏は「自衛の措置は妨げない」条文の追加を提案しています。これは9条第二項の「陸海空軍その他の戦力」の「その他の戦力」に自衛隊が含まれると拡大解釈できる事と、「国の交戦権はこれを認めない」が自衛戦争も否定しかねない事を念頭に置いたものです。
例によって野党も公明党も反発しておりますが(自民党にも反対者がいます)、それは先ほどのケントさんの言う通り「欽定憲法的憲法観」であると共に、自衛を否定した「マッカーサーの呪い」に憑りつかれている状態です。いつまで「昔のアメリカ」の願望に従っているのでしょうね?
9条に護られるならず者国家たち
ここまで記事を読んでくださった方の中には「この記事は反米ブログか」と思われる方が出てくるかもしれません。私が右か左か、親米か否かは皆さんのご想像に任せます。しかし、今私が声を大にして言いたいのは「今9条の恩恵に最もあずかっているのは中国と北朝鮮、韓国、ロシア」であるということです。
もっとはっきり申せば今や日本国憲法第9条は平和どころか、新たな戦争を招き寄せつつある危険な条項となりつつあるのです。
「そんな、まさか」と思われるかもしれませんが、前に指摘したマッカーサーノートの真意を思い出してください。「日本だけが戦争をすることは禁止」とあり、どこにも「日本と戦争してはいけない」という規定はありません。日本人は例によって「許可されてないから」禁止されていると思い込んでいますが、向こうにとっては別に日本の憲法に縛られる道理などなく、力さえ伴えばいつでも戦争を仕掛けることができるのです。
今までは「世界の警察」アメリカがにらみを利かせており、戦力もはるかに及ばなかったので平和でしたが、これからはどうでしょうか?
昨年の暮れに中国の現役将校がついに日本との「戦争」に言及しました。
台湾統一を掲げている習近平政権ですが、近年はさらに苛烈さを増しております。その勢いで日本に対して「(統一を)邪魔するなら戦争だぞ」と恫喝し、さらに日本の沖縄県石垣島の尖閣諸島を「俺のだから戦争してでも取り戻す」と宣言しているのです。この発言に日本は騒然となっていますが、私の見立てではまだまだ抑制的です。彼らは「日本の沖縄領有権」も認めていないので、主張と恫喝は今後エスカレートするでしょう。彼らは9条を日本をフルボッコにするチャンスとしかとらえていないのです。
他ならぬアメリカの専門家でさえも、日本に9条を制定させたことに「先見性がなかった」と評しています。
この「アメリカは日本を護るが日本はアメリカを護る義務がない」という片務性は「もしトラ」で話題沸騰のトランプ前大統領も指摘していたことであり、多くのアメリカ国民が同じ考えを抱えているならば日本の安全保障は根底から覆ることになります。何せ在日米軍の補完としての活動を前提に自衛隊は組織されているわけです。巷でも増長する中国に関して「米中戦争の危機」などと他人事で、日本はそれに巻き込まれないようにすべきという主張さえあります。実際はアメリカが「日本と中国の戦争に巻き込まれる」ことに戦々恐々としており、抑止のために日本の防衛力向上に期待をかけているのが「現在のアメリカ」なのです。
所々に影を落とす9条被害
以上の話を聞いても「そもそも何が問題なの?」と疑問に思われる方がおられるでしょう。「いざというときは自衛隊ちゃんと戦うっしょ」と嗤う人もいるかもしれません。なら9条による具体的な弊害をご紹介していきます。
まず、最も弊害を被っているのは自衛隊です。自衛隊は自衛隊法を根拠に活動をしている訳ですが、その内容は「できる事」を細かく羅列したポジティブリストとなっております。一方、米軍をはじめとした海外の軍事組織は全てネガティブリストで動いています。ネガティブって言葉は悪いイメージをしてしまいそうですが、その肝は「やってはいけない事」を単純明快に並べ、それ以外はすべてやって防衛に当たれというスマートさにあります。
例えば敵のミサイル一発飛んできただけでも、海外の軍は探知次第即撃ち落とせますが、わが自衛隊は「防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て……」などと行政手順を踏まなければならず、その間に着弾☆というコントみたいな状況にあるのです。それも自衛隊が「警察予備隊」をルーツとして警察に倣った法体系を採用したためです。変えようにもそれが自衛隊を「軍」と認めることになるため「マッカーサーの呪い」にかかった人たちが頑固として阻止してくるのです。
また尖閣諸島問題においても、自衛隊法第80条の「必要とあれば海上保安庁を防衛大臣統制下における」も、海上保安庁法第25条の「海保は軍に属さない」によって妨げられる状況にあります。これを改善しようと一昨年に安保三文章改定で有事において海保を防衛相の統制下に置くことが明文化されました。
引用元の産経新聞の記事では25条の影響で「掛け声倒れ」の懸念が指摘されています。同条文は「海保の9条」とも言われ、それを守る強い抵抗勢力が伺えます。これも「マッカーサーの呪い」の最たるものでしょう。
「困るのは自衛隊じゃん。外交で解決すれば」と思ったそこのあなた!はい、手を挙げて!そう、あなたですよ?怒らないから。
実は外交にも9条の弊害はしっかり表れております。ただニコニコして仲良くして日本が支援金を出して……と言ったことはできても、ロシアに北方領土を、韓国に竹島を不法占拠されたまま進展がありません。それどころか中国に尖閣を狙われる有様です。さらに北朝鮮に拉致された横田めぐみさん達をいまだに取り戻せず、被害者家族の方々が会えぬまま老いていくばかりです。国の領土と国民の命がかかっているのに「外交で解決」できないのです。
「これらは難しい問題だから仕方がない」と思われますか?いいでしょう。これはどうですか?2021年、アメリカやイギリスが中国のウイグル人への人権侵害について「ジェノサイド」認定しましたが、日本政府は「認定しない」発言をして物議をかもしました。
その根拠として当局が主張しているのは「ジェノサイド条約に入ってない」であり、その理由が憲法9条です。いかがです?日本の「平和憲法」が弾圧されるウイグル人を見て見ぬふりさせるのです。それって本当に「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」してるんですかね?
本当の平和憲法を目指して
敗戦直後、9条が重要な役目を果たしたのは否定しません。当時日本は世界の孤児であり、力による現状変更を試みる「ならず者国家」だったのですから。周辺地域は強い日本を恐れ、何よりもアメリカ自身もその復活を何が何でも阻止することに血道を注いでいたのです。そんな中では「私はあなたの脅威にはなりません」という明確なメッセージが必要であり、そんでなければ天皇制廃止や本土分割という要求を押し付けられる可能性がありました。アメリカも日本には戦闘機開発はさせず、軽工業までに留めた弱小国にするつもりでしたが、朝鮮戦争での需要の高まりから工業化を許します。その背景に憲法9条が重要な働きをしたともいえるでしょう。よく日本共産党が主張する「憲法9条の活用」はすでに行われていたのです。
しかし時は移ろいゆき、情勢は変わります。もはや日本に軍国主義の面影はなく、アメリカも世界を管理し続けるのも限界が訪れました。それに乗じて中国とロシアが台頭し、新たな覇権主義を振りかざしています。中露が中長期的に画策しているのは両国の生存圏拡大であり、ユーラシアとアジアにおける勢力図の変更です。もっと具体的に申し上げればアジア太平洋から米軍が出ていき中露両軍がそれに取って代わり、最終的には両軍が「日本に駐留」することになります。日本が9条を堅持するならば、それを受け入れることになり、それはアジアにおける「民主主義の完全なる死」を意味します。
4月11日、国賓待遇として訪米していた岸田総理が米上下両院議会で演説をしました。9年前の安倍総理以来でその時がスタンディングオベーションの大盛況だっただけに個人的に不安でしたが、見事大成功を収めたようです。
岸田総理と安倍総理の演説内容をそれぞれ読んでみれば「これはアメリカの心を掴みに来ているな」とはっきり伝わってきます。安部さんが「希望の同盟」で日米の未来を提唱し、岸田さんは共に世界の秩序を護る「グローバルパートナー」へ昇華させました。この両演説は日米同盟の深化で一貫しており、中露の望む勢力図の変更に抗するものです。今後中露両国との外交は厳しいものになると予想できます。
最後に彼らの演説を読んで気が付いたことがあります。演説の内容はアメリカの役割を日本も担うことが言及されており、護憲派に言わせれば「9条精神に反する」ように見えますが、語られている理念はむしろ日本国憲法前文の精神を代弁していることです。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の下りは保守派にはお馴染みのなじりネタですが、その次の「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」の部分は今の中露に真っ向から刃向かう動機付けになり、「名誉ある地位を占めたい」はまさにそれを主導するアメリカのグローバルパートナーそのものです。さらに「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」は積極的平和主義であり、左翼が違憲と主張する集団的自衛権に該当するのではないでしょうか?そして我々国民は「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ことを誓わされているのです。こう考えれば「日本を戦争に巻き込む」などと批判される安部・岸田両政権で進められる全力をあげた日米一体化も憲法に従った結果といえます。
しかしこのままでは77年越しに残された「マッカーサーの呪い」によって、日本の安全保障政策は深刻な自己矛盾に陥ってしまいます。憲法前文の「崇高な理想」のために足かせとなる9条を死文化するか、9条を守るために中露の「専制と隷従、圧迫と偏狭」に屈するかのどちらかを選ばなければならなくなるのです。このパラドックスをクリアするためにも、変えるべきところは変えて「本当の平和憲法」を作りませんか?
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