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翔風のポエジー 第二話 君ふたたび

第二話【君ふたたび】

「あれも私。これも私。どっちも本当の私だよ」
向こうの角まで歩きながら話しましょうと、詩帆璃に言われ、翔風は
戸惑いながら一緒に歩いている。薄いオレンジ色の夕日が街を染めている。
「私は黒川家の娘として、校内ではそれらしい振る舞いを心掛け、それらしい行動を取っているの。家のために生きる私。その一方で、自分のために生きる私もちゃんといるわ」
詩帆璃には、一般の高校生にはとうてい理解のできない、名家ゆえの悩みがあった。翔風も漠然とではあるがその彼女の複雑な運命を感じ取った。
「大変そうですね」としか言えなかった。
「そんなに深刻なことでもないんだけどね」と、詩帆璃。

「生れ持ったさがだから」と彼女が言った瞬間、
寂しげな表情が垣間見えた気がした。

「そうだ。ひとつ訊いてもいいかな?」
詩帆璃は翔風の方を向いて言った。
「今朝、お茶碗とお箸を持っていたのはどうして?」
詩帆璃は不思議そうな顔で訊ねた。
「食べたくて」と、翔風も至極真面目な顔で答えた。
予想だにしない回答を貰い、無邪気にクスクスと笑いだす詩帆璃。
「私てっきり、舞い降りる紙を、お茶碗とお箸で掴もうとしてたのかと思ってたわ。食べたくて?佐々木君可笑しい」
つられて笑う翔風。
茶碗と箸を持って空から降ってるくる紙を掴もうとする奴のほうがはるかに可笑しいと思うが。
「僕もひとつ訊いてもいいですか?」
「ええ」
「ポエジーってなんですか?」
ふたりは歩道の角まで歩いて来て止まった。
道路の向かいに黒塗りの高級車が止まっていて、傍に、今朝見かけた口髭の執事がこちらを見ながら立っている。

詩情しじょうって意味かな」

「君は風が吹いたって言ってたでしょ?私もこの気持ちをうたにしたいと思った瞬間に、この胸のどこかに震えるような衝動、ポエジーが沸き上がるの。楽しかったり、嬉しかったり、悲しかったり、つらかったり。そういう時にね」

「それじゃあ待たね」
小さく手を振る詩帆璃。
「それと内緒だよ」
人差し指で口元をシーっとする詩帆璃。
「これは君と私のふたりだけの秘密」

帰宅後、詩を書こうと思ったのだが1文字も浮かばなかった。
作詩ってこんなにも難しいものなのかと、翔風はひとり頭を抱えた。
初めて書いた詩を皆に褒められたのは嬉しかった。昨日の詩はまぐれでたまたま。ビギナーズラック的なやつなのかもしれない。自分には最初から詩の才能はないのか。ポエジーなんてものは持ち合わせていない。白紙のノートの前で、落ち込み、気がつけば夜が明けていた。

今日も雲一つない快晴。
翔風は、同級の甲子朗と善臣と共に登校していた。
昨日と同じように梅茶漬けをかき込みがら歩いている翔風は、昨日とは打って変わって、浮かない顔をしている。
「考え事をして一睡もできなかったなんてお前らしくもない」
甲子朗は、お茶漬けをズルズル食べている翔風にそう言った。
「珍しいこともあるもんだ」と、善臣。
「こりゃあ突然どしゃ降りの雨になったりするんじゃねえか?」
と、青空を見上げながら甲子朗が笑う。
「そういや、詩の会ってのはどんな感じなんだ?」と、善臣が問う。
「いい部活だよ。初めて詩を書いてみたんだけど、みんなに褒められて嬉しかった。だけど・・・」
箸が止まる翔風。
「甲子朗は小学生の頃からずっと野球をやってきて、善臣も小さい時からずっと将棋が好きでしょ。僕もようやく、やってみたいと思えることに出会えた気がしたんだけどなあ。出鼻を挫かれるとはこういうことなのかなあ」
「なあにしょげてんだよ。ほら、茶漬け食って元気出せ」と慰める甲子朗。

「佐々木君。佐々木翔風君」
突如、眼前に仁王立ちで立ちはだかる女子生徒。
同じ高校の制服を着ている。
「お久しぶりね、佐々木君。そして他のふたり」
よく見ると、昨日、中庭で見かけたあの赤い髪の女子生徒であった。
しかし面識はない。3人で顔を見合わせるが、3人とも目の前の女子生徒を顔見知りだとは思っていない。
「ええと、どこで会いましたっけ?」
すると、彼女の表情がみるみるうちに強張り頬が赤くなってゆく。どうみても顔に不機嫌ですと浮き上がってきている。つかつかとこちらに向かって歩いてくる。強そうだ。これはまずいと思った時には遅かった。彼女は右腕をねじこむように旋回させると、翔風のみぞおちに正確無比な正拳突きを打ち放った。その刹那、その場所が突然のどしゃ降りとなった。
「うわあ」と、4人が声を上げた。一瞬で全員がずぶ濡れである。
翔風は背負っていたリュックから折りたたみ傘を取り出した。
それを女子生徒に「これ使って」と手渡した。
「で、でも」と戸惑う女子生徒。
「もう1本あるし」と、甲子朗が自分の折りたたみ傘を広げた。
「借りるから」
女子生徒はそう言うと、傘を開かずに持ったまま学校へと走って行った。
「透けてたな・・・ブラジャー」
遠い目で甲子朗は呟く。
「だな」と善臣。
翔風は正拳突きを受けたみぞおちを擦りながら、あの子はいったい誰なのか記憶を辿っていた。

放課後。
翔風が詩の会の部室を訪れると、あの正拳突きの女子生徒がひとり椅子に座って文庫本を読んでいた。翔風は驚いた。彼女も驚きの表情を見せたが、すぐさま文庫本を読み直した。青い上履きを履いている。同級生だ。
会長のような留年生には見えない。
「あのう、君も詩を書くの?」探るように話しかけた。
「ええ」こちらを見ずに頷く女子生徒。
「僕も書きたいんだけど、いざ書こうとすると、難しくて書けないんだよね」と、頭を掻く翔風。
「あなたの詩、詠んだわ。佐々木翔風君」
「僕の詩を?」
女子生徒は読んでいた文庫本を閉じ、机の上を指差した。
机の上には入部届などの書類が置かれていて、そこには昨日翔風が書いた初めての詩『うたかたのはかなさ』のルーズリーフもあった。
部室に忘れたままだった。
「どう・・・だった?」恐る恐る訊いてみた。
「いいんじゃない?あなたらしくて」
「僕らしい?でも君と会ったのは初めて・・・じゃないんだよね?」
「会った会わないなんて関係ない。あなたの詩を詠んであなたらしいと感じたまでよ」
女子生徒は翔風の顔をじっと見上げた。そしてすぐに視線を外すと、椅子から立ち上がり、制服の胸の内ポケットから、丁寧に折りたたまれた紙を取り出して、広げた。スッと小さく息を吸い口を開く。

 想い出す
 季節が移いゆこうとも
 瞳に映る
 時代が変わろうとも

 大きな樫の木に登り
 下りれなくなって泣いた日
 川遊びで転んで
 足を縫うほどの怪我をした日

 楽しいことはたくさんあった気がするのに
 自転車の練習で転んだり
 猫に引っかかれたりと
 変なことばかり覚えてる

 幼馴染の顔も忘れてしまった気がする
 だけど忘れないものがこの胸にある
 想い出す
 いつまでも
 瞳に映る
 いつまでも

翔風の胸に懐かしい風が吹いた。記憶が蘇ってくる。
「君は・・・小さい頃によく遊んだ」
逢原あいはらさわやか。思い出した?」
えっへんとした笑顔で仁王立ちするさわやか。
男の子に負けまいと無鉄砲にも高い木に登って、いつも下りれなくなって、泣いていたあの子。川遊びで転んで怪我をして、近所のお医者さんまでおんぶして連れて行ったあの子。鬼ごっこやかくれんぼ。毎日のように一緒に泥だらけになって遊んでいた。この子はあの子だ。
「思い出した。憶えていた。しっかりと。はっきりとね」
「この詩、さっき書いたのよ」
「懐かしさに溢れた詩だね」
さわやかの頬は紅くなっていた。それを隠すようにそっぽを向いた。
「これ、ありがとう」
そっぽを向いたまま、
折り畳み傘をリレーのバトンパスのように翔風に手渡し、言った。

「詩は、書きたいと思った時にはもう書いているようなものよ」

「早いね、お二人さん」
瀬谷会長が部室に入ってきた。なつ子さんも一緒だ。
「昨日は校内を案内していただいて有難うございました」
さわやかがなつ子に礼を述べる。
「いいのいいの。また案内するね」グッと親指をサムズアップするなつ子。
「そうそう。君たちにはまだ部誌を見せてなかったね」
会長が、部室の戸棚から数冊の本を引き抜いて、
翔風とさわやかに手渡した。
桜並木の絵が描かれた表紙。すごく上手な絵である。
「それは詩帆璃ちゃんが描いたんだよ」と、なつ子。
絵の才能もあるのだ。
「みなさんこんにちは」と、ちょうど話に出た詩帆璃が部室に現れた。
「詩帆璃先輩!こんにちは」
まるで子犬のような反応で無邪気に挨拶をしてしまった翔風。
「こんにちは。佐々木君」
翔風の距離感をけん制するかのように、いつも通りのしとやかな挨拶を返す詩帆璃。
さわやかは、翔風の挨拶の温度に他とは違う何かを感じて、
翔風をじっと見た。
「な、なんだよ」と、翔風。
「なーんか。なーんか」と、じろじろと翔風の顔を見るさわやか。

そんな中、どこからか詩の朗読が聞こえてきた。


 僕のことを誰も知らない森で
 君だけに僕を知って欲しい
 はじまりはあっけないもの
 おわりは考えちゃいけないもの
 アールグレイのお代わりを
 口に注いであげる
 僕の元にひざまずいて
 剥き出しの素肌で
 朝まで抱き合おう
 君のことを知りたい
 僕にだけささやいて欲しい

男子生徒が、詩を詠み上げながら、部室に入ってくる。節目節目に豪快なポージングをピタッピタッと決めている。そのポーズはまるで彫刻や銅像作品のようである。実際にポーズが決まると同時に小声で何か言っている。ダビデとかアポロンとか聞こえる。

「君に釣られて、愛に逢いに来たのさ。Oh Dear 佐々木君」

男子生徒は、昨日、翔風が廊下でぶつかったあの男子生徒だった。
片足立ちをして、極端な前傾姿勢で、両手を大きく広げて、
見事なバランス感覚でポーズを決めている。
「グランドアラベスク!」
という締めの掛け声と共に。

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