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NHK「100分de名著」ブックス サルトル 実存主義とは何か: 希望と自由の哲学[part1][感想,批評,レビュー,あらすじ]
実存主義とは?
実存主義とは、人間は存在が先立ち、中身は後から成立する、人間は自ら作るところのものなにものでもないという思考である。つまり、主体的に生きる主体性と、未来に向かい投企(自分で何をするか選択する自由、それに対する責任、選択への不安、一人で決める孤独)が実存主義の主だった考え方になる
サルトル「嘔吐」は何を表現した?
ジャン=ポール・サルトル(以降、サルトルと記す)が著した「嘔吐」では、実存主義を象徴するシーンとして、主人公であるロカンタンが、すべては偶然に存在したのみであると気が付く一節がある。ドアの取っ手や小石を見て不快感を覚え、その不快はすべては偶然に存在しているからだと気が付く。ピアノから流れる音楽は、音符により決められた規則で流れるので耳を傾ければ心地がいいのに対し、物はうわべのニスを取り除けば卑猥なぶよぶよした無秩序な塊である。すべての物は偶然に存在し、無秩序であり不条理であり、根拠がないとロカンタンは気が付く
嘔吐は、サルトルが世界と人間の真実発見の物語を描こうとした作品である。実存は偶然である、というのがサルトルが作品に著した
人間は自由の刑に処せられている
人間は世界に投げ出され実存し、自らの行為に自らで価値を見つけなければならない。価値を決定するのは自分であり神ではない、ということを、自由の刑に処せられている、と表現した
地獄とは他人のことだ アンガジュマン(アンガージュマン)とは
アンガジュマン(engagement)は積極的な社会参加、政治参加を意味する。元々は巻き込まれるという意味であるが、他人を関わり合いにするという意味で使われる。人間は常に他人の視線に巻き込まれている。つまり人間は誰もが他者の認識に巻き込まれ他有化されている
「嘔吐」でロカンタンは権力者の肖像画と向き合う。ロカンタンは権力者とは相反して社会的弱者であり、存在する権利すら持っていないと思う。その中で突如、ロカンタンの視線が肖像画を眺め返す側に回ると、権力というものはなく、相手の威厳は成り立たなくなった。視点が変わることで、権力者もぶよぶよしたわいせつな肉体、つまり下種である。実質的に自らと変わりないということに、ロカンタンは気が付く
他者のまなざしは人から向けられた視線であり、他者の中の評価とは、他者にゆだねられしまう。地獄とは他人のことだ、とは他者の中で決めつけられた自分のことを指しており、「能力が低い」と認識されてしまえば、簡単には評価を変えることができない