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[感想,要約]ナチの子どもたち:第三帝国指導者の父のもとに生まれて/(著)タニア クラスニアンスキ(翻訳)吉田 春美


虐殺加害者、戦争犯罪人の親を持った子供たち

 ナチス党は優勢思想に従って、多くの子供を産むことアーリア系の女性に奨励した。15人以上産めば勲章が貰えたそうだ。赤ちゃん工場というおぞましい施設まである
 そういう施設で生まれた子供、一般的なナチ党員の子供、ナチス党で出世した官僚の子供、ドイツ国で育った子供、ナチス党がドイツの法律を変え、少年少女にヒトラーユーゲントを義務教育としていた時代には、子供たちはナチズムを基にした教育を受けた。一般家庭はともかくとして、ナチス高官の元に生まれれば、間違った教育からは逃れらなかっただろう。その子供たちはどんな人生を送ったのか、「ナチの子どもたち:第三帝国指導者の父のもとに生まれて」の要約記事を読んだら、少しであるとしても見えてくるものがあるかもしれない


グルドーン・ヒムラー(父 ハインリヒ・ヒムラー)

 グルドーン・ヒムラーはナチスのイデオロギーに染まり、第二次世界大戦が終わってから「静かなる助力」を立ち上げて、元ナチス党員やSS親衛隊の逃亡を助けた
 ハインリヒ・ヒムラーは主に人材管理のような仕事をした。大きい功績はナチス党の私設軍隊であるSS親衛隊の拡充である。ナチズムの思想にも傾倒していたらしいので、ハインリヒ・ヒムラーは民族迫害と虐殺への加害の罪からは逃れられないだろう
 その子であるグルドーン・ヒムラーも必然的にナチズムに染まる。父であるハインリヒ・ヒムラーが戦争犯罪を犯したとは認められず、戦後にもナチスに加担する活動をした

ロルフ・メンゲレ(父 ヨーゼフ・メンゲレ)

 優生学に従いドイツ人、アーリア人を増やす為に双子の研究をしたヨーゼフ・メンゲレはロルフ・メンゲレという子をもった。敗戦が濃厚となりメンゲレも連合軍から逃亡を余儀なくされた。一般に、親衛隊員は脇の下に血液型の入れ墨を入れていた。連合軍はそれを目印に親衛隊員を捕まえていたが、ヨーゼフ・メンゲレは自分の身体に傷をつけることを嫌がり、刺青を入れなかったので、連合軍に捕まっても親衛隊員と認定されなかった
 連合軍からの逃亡に成功し、各地を転々としながら過ごす。戦後、裁判で自分の名前を見て焦るったが、堂々とドイツに戻り、息子のロルフと過ごした時期もある
 そのロルフは、学校で虐殺者の子供とからかわれていた。ロルフはナチスのイデオロギーに染まっていなかった。父メンゲレと過ごす時間が少なかったからだ。ロルフは父メンゲレと再会し、虐殺のことを聞いた。メンゲレの言い分は、命の選別はしておらず、労働できるかできないか決めただけであり、ほとんどの人間は病気にかかっていて労働はできなかった。アウシュビッツはメンゲレが配属される前から存在した。配属されてから、割り振られた仕事をこなしたのみと、当人には虐殺加害者であるという自覚はなかった
 メレンゲは居場所を突き止められていたが逃げ延びた。なぜならばモサドとナチハンターが、アドルフ・アイヒマンを捕まえるために活動していたからである

[感想]ナチスのイデオロギーに染まった子供たち/時代と環境が善悪を決める

 この本によると、多くのナチス高官の子供は親の影響を受けて、ナチズムに染まっていた。なのでこの記事で取り上げたロルフ・メンゲレ(父 ヨーゼフ・メンゲレ)は珍しく、ナチスのイデオロギーに感化されていなかった。子供のころにヨーゼフ・メンゲレと過ごす時間が少なく、影響を受けにくかっからと書いてあったような気がする
 ナチスの考え方は、ナチスが権力を握っている間は正しいイデオロギーだが、そうでなければ世間の考えから離れた思想になる。時代や環境が正しさを決めるということである

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